第17話 五日目





 私が別荘の中に戻った時、3人は広間で何やら言い争いをしている様だった。誰も怪我をしている様子はない。なんとか、間に合ったみたいだ。


「新!!」


「新堂くん!!!」


 素数もとかずと柾が、歓喜と驚愕の入り混じった顔でこっちを見ている。そして、私が肩で支えている女性の方を見た。


「新堂くん、?」


 柾が首を傾げながら尋ねた。


「柾、この人は、御霊鏡子さんだ」


「「は!?」」


 素数もとかずと柾は、何が何やら分からないといった様子だ。無理もない。


「だって、!?」


 素数もとかずが掌を向けて、傍らの女性を示す。その女性は、手錠を手にしたまま、静かにこちらに視線を向けていた。


素数もとかず、驚くのも無理はないが、本当の事しか言わないからな。!」


 偽物と宣告された女は、静かに微笑んだだけだった。


 改めて、御霊さんとその女を見比べてみる。二人とも美人の類いには違いないが、姿

 御霊さんの髪は色素の薄い髪であるのに対し、女は色素の薄い髪だ。

 髪の長さも、御霊さんは腰までたっぷり伸ばした髪であるのに対し、女の髪の長さはせいぜい肩に少し触れる程度だった。(それでも長髪のうちに入るのは間違いないが)

 その顔立ちに関しても、御霊さんのブラッディ・レッドの目元はどちらかと言えば幼さの残る柔らかみを残していたが、女の目つきは鋭く、気の強そうな女性をイメージさせていた。

 二人が同一人物だと言われたら、絶対別人だと言わざるを得ない。仮に姉妹と言われたら、雰囲気は少し似てるなと思う程度だろう。


 今ここに、一つの真実が明らかになった。


「げほ、げほっ!」


 脇で支えている御霊さんが咳き込む。


「大丈夫ですか?一度ベッドで休んだ方が…」


「いや、そこのソファに座らせてくれ。それとコーヒーを一杯頼む。クッキーか何かが一緒にあると嬉しい。もう何日も、食べ物を口にしてないんでな」


「砂糖などは?」


「不要だ。私はブラック派なんでな」


 御霊さんをソファに座らせた後、インスタントコーヒーを淹れにキッチンに向かう。そして、あの時外で起きた事を思い返していた。




――――そう、四日目の朝のあの時、外で何者か分からない人物に背後から殴られ、意識を失った。


 約1時間後だろうか、私は奇跡的に意識を取り戻した。頭がガンガン痛んだが、血は出ていない。どうやら、ニット帽を被っていたお陰で、致命傷にならずに済んだ様だ。

目を覚ますと、身体の上には雪が雑に被せられていた。どうやら私を襲った犯人は致命傷を与える事が出来ず、誰にも発見される事なく凍死してくれという期待を込めて、雪を被せて去っていった様だ。危うく凍傷寸前だ。最早顔は寒さの感覚すらない。

 そして今度は、はっきりと聞こえた。もしかしたら、この声のお陰で私は意識を取り戻したのかもしれない。


「んーー!!んーんん-ーーー!!」


 倉庫の中に、誰かがいる!くぐもっていて分かりづらいが、女性の声だ!!


 私は先程迄行っていた作業を思い出した。針金はまだ手の中に握られている。私は再び、倉庫の錠前を開ける作業を開始した。


 数十分ほどかけて、漸く錠が外れた。よろめきながら倉庫の中に入る。


 そこに、初めて見る女性がいた。毛布に身を包み、手足は拘束されており、目隠しをされ、口にはギャグボールを咥えさせられている。一瞬、何かの特殊なプレイかと思いそうになったが、どう考えてもそんな状況ではない。


 私は寒さで震える手で女性の拘束を解いた。この人、殆ど裸同然の下着姿だ。倉庫の中で厚手の毛布にくるまっていたとはいえ、この人の方こそ凍死しなかったのが不思議なぐらいだ。


「だい、大丈夫ですか?」


「けほ……あぁ」


 女性は衰弱しきった様子で答えた。


「俺は新堂新です。ここの別荘に遊びに来ている、大学生の連中の一人でして。今、かなり大変な事になってるんです。…あなたは?」


「…私は御霊鏡子。探偵だ」



―――――――――――――――――――――――



「―――ちょっと、ちょっと整理させてください。一体全体、何が起きているのか分からないんですが?」


 普段よく頭が回る素数もとかずも、流石にこの状況にはついて行けていないみたいだ。私からコーヒーを受け取ったの御霊さんが、ソファに腰かけながら口を開いた。


「12月20日……つまり、四日前だからお前たちが別荘に到着したその日の夕方、私もこの別荘を訪れていたんだ。車を停め、……恐らく、改造したスタンガンを使用したんだろう……その女の仕業だろうがな……

そして、その女は。毛布や水筒の水を与えて、数日間は死なないようにして、な。拘束された上に目隠しもされた状態で、芋虫みたいに水を飲むのは屈辱的だったな」


 女は、ずっとその場に佇んでいる。昨日まではクールに見えたその仕草も今となってはただ底の知れない恐怖だけがあった。


「えーと…監禁されていた御霊さん。あなたが本物の探偵さんなんですね?」


「そうだ」


「それじゃ…このニセ御霊さんは、一体誰なんですか?御霊さんの、知っている人ですか?」


「…あぁ。そいつの名前は桐崎きりさき孔雀くじゃく。22歳。『霊鏡会』に所属する会員であり、連続殺人犯『ジャック・ナイフ』の正体だ」


 全く知らない名前だった。少なくとも私にとっては初対面なのだから当たり前だ。素数もとかずにとっても柾にとっても、他の竜大生メンバー全員がそうであるに違いない。


「こ、この人が『ジャック・ナイフ』?本当ですか?」


「……あぁ。外界で起きた連続通り魔事件の確たる証拠がこの場にある訳ではないが、今迄行った調査結果から鑑みるに、桐崎が犯人だと私は考えている」


 素数もとかずの問いに御霊さんが答える。


「それじゃつまり、桐崎は、別荘を訪れた御霊さんを外で襲って、所持品を全て奪い監禁して、ってことですか」


「そうなるな」


「信じられません。失礼ですが、あなたの方が本物の御霊さんだという証拠は…」


 柾はずっと口許を手で覆っている。


「そんなのは、こいつが奪った荷物に私の免許証でも残ってれば、簡単に証明できる。

もしくは、私のスマホもこいつがまだ持ってるなら、それの指認証でも構わない」


「でも俺の記憶が正しければ、スマホは彼女自身が何度も使っていましたけど」


「馬鹿、それは桐崎自身が持ってきたスマホに決まってるだろ。兎に角、私が御霊鏡子である証明は私の荷物があれば簡単に可能だから、今は捨て置くぞ。

それにこの女は、『自分こそが本物の御霊鏡子だ』と反論する気はない様だしな」


 それはその通りであった。桐崎は観念した様に沈黙し続けている。


「けど、なんで御霊さんになりすますなんて、面倒な事を」


「それは、勿論」


「勿論、御霊鏡子さんの事が好きだからだよ」


 桐崎が合流後、初めて口を開いた。


「私は所謂いわゆるストーカーで、御霊さんがこの別荘に来るって情報をたまたま入手したんだ。それで御霊さんが車から降りてきた時、頭の中が真っ白になって、気が付いたら御霊さんが気を失っていたんだ。私は、頭がおかしいストーカーだからね。彼女の事をもっとよく知りたいな、彼女になりきったらもっと彼女の気持ちが分かるんじゃないかと思って、彼女に扮して別荘を訪れる事にしてみたんだ。

本当に申し訳ない事をした。あの時は憧れの人が目の前にいて、パニックになってしまった。頭がおかしいストーカーのした事だ、きちんとお詫びする。本当に申し訳なかった」


 桐崎はそう言って頭を下げた。


 ―――――――――――――


「―――この女が私に扮した理由は、


 御霊さんが、一度遮られたであろう言葉を紡いだ。


「殺戮?何の事だ」


 桐崎は顔色一つ変えないまま、腹の座った目でこちらを見つめている。


「破魔麟太郎、竹之内宝作。それと、エミリー・パッチも殺されたという話だったな。3人を殺害し、外で新堂を襲撃した犯人。


「私が貴女を襲った事を怒っているのであれば、本当に謝ろう。けれど、私が殺人犯?御冗談を」


「そ、そうですよ、御霊さん。このニセ御霊さんがやった事は凄く怪しいですけど、殺人犯じゃないと思います」


 柾が間に割って入る。どうも彼女は、桐崎の事を名前ではなくニセ御霊さんと呼びたいみたいだ。


「あぁ…事件の経緯は、倉庫の中で新堂に介抱されている時に、凡そ聞いている。これは、


「特殊能力?」


 素数もとかずが聞き返す。


「まずはそこの説明からだな。非現実的とか言って、話の腰を折らないでくれよ。

私は、『死の臭い』を感じ取る能力がある。具体的には、殺人事件が発生する場所を事前に遠方から察知できる能力と言った方がいいか。『霊鏡会』のメンバーはその事を知っているんだが、桐崎はそれを利用して私をここに呼び寄せたんだ。

まず桐崎はこの別荘で殺人を行う計画を立て、別荘に潜伏していた。恐らく、数カ月は前から潜伏し、『ジャック・ナイフ』の噂を立てたりしていた筈だ。

やがて破魔の家がこの別荘を買い付け、お前たちがこの別荘に訪れる。桐崎はその間もずっと外で潜伏し続け、死の臭いを嗅ぎつけた私が訪れてから襲撃し合流したんだ」


 私自身、『死の臭い』の事を聞いた時は半信半疑だったが、少し納得もしている。私たちが別荘を訪れた日と同時に桐崎が合流してきたのも、こういう事だったのか、と。


「こうしてまんまと『探偵役』のポジションに入り込んだ桐崎は、殺人計画を実行していった。一番の懸念事項はだったが、その問題は破魔を最初に殺害する事でクリアされた」


「そうか…!破魔を殺してWi-Fiルーターを破壊したのは、外部への連絡手段を遮断する為だけじゃなく、か!!」


 素数もとかずがはっとなった様子で口走る。


「あぁ…それに破魔は、以前に私、御霊鏡子の記事を読んだ事があると言っていたらしいな。破魔は覚えていなかったのかもしれないが、もしその記事に顔が掲載されていて、別人だと気づかれたら計画が破綻する。


 破魔が最初に殺されたのは、桐崎の前で『御霊さんの記事をネットで見た事がある』と言ってしまったからなのか。そう考えると、胸が重くなり、激しい憤りを感じざるを得なかった。


「こうして、桐崎は破魔を殺害し…天候も味方して脱出不可能の『吹雪の山荘』を完成させた。桐崎は一人殺すのみに飽き足らず、一人一人殺していく計画を立てていた。

次の標的になったのは竹之内だった。これは皆で部屋に閉じ籠ろうという流れになった時に必然となった」


「そこ、そこですよ。一番の問題は。ニセ御霊さんが竹之内くんを殺せた筈がないですよ。だってニセ御霊さんは、新堂くんが仕掛けたシャー芯で、一晩中窓のない部屋の中にいたって事が証明されてるんだから」


 私もそこが一番気になっていた。まだ御霊さんからは『桐崎が犯人だ』と事前に聞かされているだけで、犯行のトリックについては聞いていない。


「新がシャー芯を仕掛ける前に、別の部屋に隠れてたって説はないか?」


 素数もとかずが一つの推理を披露する。が、その可能性は否定される。


「それはない。だって俺、この作戦をごりょ…桐崎と話した直後に、彼女が部屋に引っ込んだのを見て、ポケットからシャー芯を取り出して扉の前に仕込んだんだから」


「おま…なんでシャー芯なんて持ち歩いてるんだよ」


「桐崎に言われる前から、こういう仕掛けが役に立つかなと思って準備してたんだよ。

桐崎が間違いなく部屋の中にいる時にシャー芯を仕掛けて、翌朝回収した時は折れてなかった。だから、竹之内が殺害された夜に桐崎がずっと自室に居た事は、紛れもない事実なんだ」


「そうだ。最初の殺人は私に動機があり、犯行も可能だったかもしれないが、竹之内が殺された事件は私には絶対に不可能だ」


、か」


 桐崎の言葉を、御霊さんが反芻しながらクッキーを齧る。


「移動しよう。桐崎が使っていた2階の部屋に案内してくれ。あぁ、もう体力も大分回復したから、一人で歩ける」



* * *



 凄い。


 流石は御霊探偵だ。


 まさか、あの状況から脱出されるなんて。


 漏れる声を新堂に聞かれたのだろうか?


 目撃されるリスクは覚悟の上で、きっちり新堂の息の根を止めておくべきだったか。


 いずれにせよ。


 こうなる事を、心の何処かで望んでいたのかもしれない。


 お手並み拝見といこう。


 彼女の素晴らしき一人舞台を。


 あぁ、彼女を見ているだけで胸が苦しい。愛しくて堪らなくなる。


「それにしても、こんな物をされるような事をした覚えはないんだがな」


 私の手首には、井上に掛ける筈だった手錠がぶら下がっていた。鉄の冷たさが直に肌に伝わってくる。


「当然の措置だ。本当なら全身ふんじばって動けないようにしたい所だが、お前にも反証する権利ぐらいはあるからな。同行させてやる」


 御霊探偵が冷淡に言い放った。

彼女の中では殆ど私が犯人である推理が構築しているだろうに、情をかけてくれるとは。なんて優しいんだろう。まるで女神の様だ。


「ここが桐崎の使っていた部屋です。位置的には、竹之内の部屋の真上にありますね」


 新堂の言葉とともに一行が全員部屋に入る。御霊探偵、新堂、井上、柾、の計5人だ。


 部屋の中の設備他の部屋と同じく、ベッドや椅子、机、それと備え付けのトイレルームがあるぐらいで、後は御霊探偵から奪った荷物がそのまま部屋の隅に置かれていた。

 それと一際目を引くのは、あの木の板でびっしり埋め尽くされた窓だ。


「探偵さん。ニセ御霊さんは竹之内くんが殺されたあの晩、一歩もこの部屋から出ていない事は疑いようがないんだよ。

それなのに本当に、竹之内くんを殺せたっていうの?」


 御霊探偵は黙って、トイレの中や部屋の壁を探っている。


「もしかして、秘密の抜け穴や隠された扉があると思ってるのかい?それなら、好きなだけ調べてくれ。そんなものは―――」


「―――絶対ない、と断言できるだろうな」


 私の言葉の後を、御霊探偵が引き取った。彼女は窓を見ている。手で掴んで外そうとしても、取れそうにない。


「もしかして、その板が事件前は外れるようになっていて、事件後の寝静まった時間にトンカチか電動ドライバーか何かを使って固定し直したんじゃ?」


 井上が無い知恵を絞り、見当外れな推理を披露してくれる。最早私の目には名探偵の引き立て役にしか見えない。


素数もとかずくん、そんな大きな音の鳴る大工仕事を部屋の中でしてたら、隣の部屋に聞こえちゃうでしょ。この別荘、別に完全防音でもなんでもないんだから」


 柾の指摘に、敢え無く彼は沈黙した。


「やはりな……ここか」


 そして御霊探偵は、あっさりと見つけてしまった様だ。この密室を破る『鍵』を。


「この窓はただの木板で封鎖された窓じゃない。これは『』だ」


 お見事だ。


「……あぁぁぁぁっ!!くそっ!くそっっ!!!」


 無双窓という単語自体は知っていたらしき井上が、大げさに悔しがる。


「御霊さん、無双窓って何ですか?」


 新堂が尋ねる。


「…無双窓とは、無双連子むそうれんじまどとも言い、小幅の竪板たていた、通称連子を等間隔に前後交互に並べ、内側の連子を引き戸とすることで開閉を可能とする和式の窓の事だ。

通常こんな洋式の別荘には似つかわしくない代物だが、前の持ち主だかが妙な拘りか何かを見せてこんな造りにしたんだろう」


「つまり………んですか?その窓が?」


 新堂が思わず目を見開く。どうやら彼も、トリックの肝はまだ聞かされていないらしい。


「この無双窓は、どうやら特殊な造りになっていて、単に板を直接押したり引いたりするだけじゃ開かないらしい。ここに留め具がある…」


 御霊探偵が、窓枠の下部分に手をあてがう。カチリ、と小気味よい音がした。

そのまま板を押すと、今度はすんなり複数の板が奥側に押し出される。内側の板を横に引くとスライドされ、20センチほどの隙間が等間隔に生まれた。


「真ん中の木板にだけ小さな出っ張りがある…戻す時はこれを引くんだろう。普段は留め具で固定され開かず、一見板で完全に封鎖された窓にしか見えないが、窓枠の下に隠された留め具を動かす事でストッパーが外れ、窓枠が動くようになる仕組みだ。

桐崎はこの別荘を殺人の舞台に選んだ時、この奇妙な仕組みの窓に目を付け、『トリックに使える』と思ったんだろうな。

この窓の仕組みを知らない人間からしたら、窓ガラスが割れたか何かで木の目張りを施された窓にしか見えない。こんな部屋を好き好んで選ぶ人間もいる筈もない。

だから桐崎は、一番最後に現れたにも拘らず、この部屋を使う事が出来たんだ。

事前にお前たちメンバーの事は調べておいて、一部屋余るって事も知っていただろうからな」


 御霊探偵は、新たに生まれた隙間から、下の部屋を覗いている。


「けれど探偵さん、その窓が開いたところで、腕が外に出せるぐらいで、身体はとても外を通りませんよ。

下の方を覗けるから、ボウガンで狙う事は出来るかもしれないけど、ボウガンがこの窓を通るかは試してみないと―――」


「試す必要はない。犯人はボウガンを使っていないんだからな」


 柾の言葉を、御霊探偵が遮った。


「えーーーっ?」


 柾が意外そうにして驚く。


「竹之内には、前もって声を掛けておき…決まった時間に下の部屋の窓から首を出すよう仕向ける……。

そうだな、『殺人犯が別荘の外を通った形跡を見つけた。私は窓の開かない部屋にいるから、そこで犯人を油断させたい。夜の21時ちょうどに、竹之内の部屋の窓から外の様子を探ってくれないか。怪しい人影が居たら、その背格好を覚えるだけで、深追いは絶対しなくていい。ただ、念入りに周囲を探って欲しい』……差し詰め、こんな感じの事を言ったんだろう。

奇妙な指示に聞こえるだろうが、前々から竹之内の信頼を勝ち取っておいたのなら、彼ならば従うだろう」


 まるで予知能力者の様だ。竹之内が私に泣きついてきて宥めてやった、あの後に言った事を、殆どそのまま再現している。


「そして21時前に窓を開け、凶器を準備し、竹之内の部屋の窓が開くのを待つ…」


「それで、その凶器は一体なんだったんですか?」


 焦らされる事に堪らなくなったのか、新堂が促す。


「凶器自体はジャック・ナイフだ。それを2m強の長さの棒の先端に取り付け、それを使って竹之内を殺害したんだ。

棒は恐らく、室内に予め隠しておいたんだろう。伸縮自在の棒であったなら、それも難しい話じゃない」


「あぁ、槍の事ですか?お言葉ですが、凶器のジャックナイフは竹之内の首の右側に刺さってましたよ。真上から狙ったのなら、頭部かもしくは首の後ろに刺さってないとおかしいじゃないですか」


 井上の指摘にも御霊探偵は涼しい顔だ。


「少し特殊な構造の棒なんだ。先端にナイフをに取り付け、の様に振って竹之内の首に突き刺したんだ」


「ふ、振り子?」


「その棒はもう処分してしまっただろうが…手元にスイッチがあり、それを押すだけで先端に取り付けたナイフが外れる構造なんだろう。自撮り棒と似たような構造を想像して貰えると、分かりやすいかもしれない。

竹之内の首に刺さった後、棒を引き血を吹き出させ、スイッチを押しナイフを外せば、『首の右側からナイフを刺された竹之内の死体』が出来上がるという寸法だ」


「そんなに上手く刺さると思うか?勢いよく振ったとしても単純に腕力は殆ど伝わらないだろう?」


 少し反応を見てみるか。


「当然何度かの練習は必要だろうが、ナイフは鋭く磨かれていた。女性の力でも簡単に刺せるぐらい鋭利に、な。

このナイフなら、首の中に数センチ程度は突き刺す事が可能だろう。その為に、今迄鋭利に研がれたナイフを使っていたと言っても過言じゃないかもしれない」


 ふふ、藪蛇だったみたいだ。


「でも、それだとナイフの柄についた血痕に妙な形が残るんじゃ…」


 と、柾。


「その通りだ。が、素人である第一発見者がそんな細かいところまで気付くとは思えないし、その問題は桐崎自身がナイフを回収する事で解決された。

既にナイフの柄の血痕は細工が施されているだろう」


 ご明察。


「こうして、まんまと自室にいたまま竹之内を殺害した桐崎は、棒の血痕を軽く拭き取り隠し、次の日の夜などのばれない時間帯に、拭き取った物と一緒に外のどこかへ処分した。

倉庫の影かどこかで燃やしたら、証拠は完全に隠滅できる」


 実際、その通り燃やした後だ。棒はプラスチックのお手製だから、なんとかばれないうちに燃やす事が出来た。


「これがお前の、『逆密室』と『密室』、『二重の密室』の不可能犯罪を可能としたトリックだ。反論はあるか?」


 御霊探偵が、鋭く睨みを効かせ迫る。あぁ、なんて言い表しようのない格好良さだろう。


「確かに今言った方法で、私にも竹之内を殺す事は可能だったかもしれないな。だが、それが本当に行われた証拠がないだろう。

それに先程私が披露した、井上が犯人だという推理に穴がなければ、彼にも犯行が可能だったと言える筈だ。そうだろう?」


「おい、あいつはどんな推理をしたんだ?」


 井上が先程の私の推理をかいつまんで説明する。


「……ボウガンを使用した犯行、か。一見可能そうだが、その手口で犯行が行われていない事は確かな証拠がある」


「ほう。どうやってだ?」


 フッ、と御霊探偵が笑う。


「警察が到着し検死が行われれば一発だ。ナイフを刺されて死んだのか、矢が刺さって死んだのか、内部の肉の裂傷や、皮膚が裂かれた痕跡は明確に違いが出る。

今この場で立証出来ないが、断言してもいい。竹之内の首の傷は、一度矢が刺さって無理やり引き抜かれた後、ナイフを刺し直した傷跡では絶対にない」


 成程、そうきたか。そこは盲点だったな。


「そして、今私が言った犯行方法は、お前にしか出来ない事は分かるな?

破魔の部屋の窓から竹之内の部屋の窓までは約8メートルあるから、棒を使って殺人を行う事が出来ない。

しかし、桐崎の部屋の窓から竹之内の部屋の窓までは、真上と真下の関係上2,3メートル程度の距離しかない。

竹之内の部屋の窓から一番近い位置の部屋に居たという事実を、一見開閉不可能な無双窓という隠れ蓑を使う事で、その事実を覆い隠す事が出来たんだ」


 何から何までお見通し、か。


「しかし、御霊探偵」


 私がお決まりの文句を告げる。


「ここまであなたには長い推理を述べて貰ったが、あくまで『桐崎に犯行が可能だった』という証拠を挙げているだけで、『桐崎が犯人だ』という証拠が何もないじゃないか。

私が犯人である事を指し示す、決定的な物的証拠は何もない訳だな?」


 御霊探偵は暫し沈黙したのち、


「最後に、エミリーが殺された部屋を見せて貰ってもいいか?」


 それだけ言った。


 エミリーの部屋は、まだ片付けがされておらず、血痕やカラーボールの汚れなどがそこかしこに残っていた。遺体は破魔の部屋に安置してある。


「さ、一体全体、決定的な証拠はどこにあるんだ?」


 私が強がって言う。


「目の前にある」


 御霊探偵は、それだけ言った。


「目の前に?」


 私も他の面々も、全く理解が追い付かない。


「エミリーが犯人に抵抗した痕跡として、カラーボールが飛び散っているのがそもそも不自然な状況だと気が付かないか?

普通、犯人に対し身を守るのなら、彼女自身が持ち込んだ警棒や手錠など、直接的に相手の動きを封じられそうな物は室内にいくらでもあった。

にも拘らず、それらの物を自衛の手段として使った形跡は全く見られない」


 確かに、それらの防犯グッズはエミリーのバッグに入ったままだったり、机の上に放置されたままだった。


「何が言いたいんだ?使う前に殺されたってだけじゃないのか?」


「…その通りだ。エミリーが犯人と対峙した時、その時すでに首を刺されていたと思われる。

使

犯人に襲われ、声も挙げられず、死の淵に立たされた人間が、最後の力を振り絞り取る行動はただ一つ。


「このカラーボールの汚れが、ダイイング・メッセージ?もしそうだとしたら、犯人に当てようと投げて、命中しなかっただけじゃ?」


 新堂が当然の疑問を述べる。が、その時、私の中で、蛇がうごめいた様な、嫌な感覚が響いた。なんだ、これは?


「犯人にカラーボールが命中したからと言って、それが証拠になるとは限らない。

犯人は返り血を防ぐ為にビニールのコートを羽織っていたかもしれないし、仮に命中したとしても、その服を燃やすなどして隠滅されてしまったらそれまでだ。

だからエミリーは、初めからこれに向かってカラーボールを投げたんだよ」


 御霊探偵が、オレンジ色の汚れの付いたドレッサーに手をかけた。その瞬間、私の中に残っていた嫌な感触の正体が瞬時に分かった!


「ドレッサーが…ですか?」


「鈍いな。ドレッサーの、にボールが命中しているんだぞ?」


「あ、あ…………!!ああああああああああ!!」


!」


 自分の名前を犯人として告発する事は妙な感覚だっただろうが、彼女は私を強く睨んだまま言い切った。


「は…犯人が偽装した証拠という可能性もあるだろ?」


 私は頭の中が真っ白になり掛けつつも、なんとか反論を絞り出した。


「カラーボールは手に付着する可能性もある。そんな不要なリスクを負ってまで、こんな回りくどいダイイング・メッセージを偽装するとは考えづらい。それなら分かり易く、血痕で血文字でも書いた方がよっぽど建設的だ。

何より、犯行はエミリーが起床している時間、つまり夜のまだ浅い時間に行われたと考えられる。犯人は一刻も早く現場から立ち去りたいだろうに、こんな偽装工作を、第二の殺人で疑いが貼れていた御霊…の名を騙っていた桐崎を告発する形で残すなど、全く合理性に欠ける。

つまりこのカラーボールは、偽装でも何でもない、紛れもなくエミリー自身が遺したものなんだよ」


 あ…あの外国人女ぁぁぁぁぁ……!!死にぞこないの癖に余計な事を…!!!


「あの女が混乱していて、とにかく手に持ったものを犯人に投げて反撃しようとしたかもしれないだろ」


「急に口が悪くなったな、殺された被害者を『あの女』呼ばわりとは。しかしそれなら部屋の扉の方にカラーボールが命中していなければおかしい事になる」


 反論は尽く跳ね返され、返す言葉も尽きた。


「もう終わりだ。桐崎孔雀」


 ……そうだな。終わりだ。


 そう思った途端、肩の力が急にがっくりと抜けた。


「…まだ分からないことがあります」


 御霊探偵の傍らにいた、新堂が口を開く。


「御霊さんは桐崎の事を、連続殺人鬼の『ジャック・ナイフ』の正体だと名指ししました。その彼女がなぜ、この辺境の地の別荘なんかで計画的な連続殺人を行ったんでしょう。

それに不可解なのは、御霊さんを拘束したまま、ギリギリまで生かしておいた事もです。さっさと殺してしまえば、こんな展開にならずに済んだだろうに」


「動機は……私にもはっきりしない点はあるが、恐らく…」


 さっき言ったじゃないか。


「御霊鏡子の事を、愛しているからだって」






 その時、桐崎の口から出たのは、先程も聞いた言葉であり、耳を疑う様な言葉だった。


「なんですって?」


 新堂が、信じられないと言った様子で聞き返す。


 私自身、のは生まれてこの方初めての事であった。


「御霊鏡子が好きなんだよ。その髪から、表情、立ち振る舞い、頭脳明晰なところも、忌まわしき異能に人生を狂わされ、それでも負けずに運命に立ち向かう姿も、全て…愛おしいんだよ」


 そう言って桐崎は微笑んだ。その瞳は、狂気の混じりけの一つもない、純粋無垢な恋する乙女の瞳であった。


「い…言ってる意味が分かりません。好きだから、御霊さんを襲って、皆を殺したと?それに、今までの通り魔殺人も、今日の事件の延長線上にあるとはとても…」


「あぁ、あれは今回の計画の為のみたいなものだ。

御霊探偵に、最高のミステリという名のクリスマス・プレゼントを贈る為に…」


「…お前は何を言ってるんだ?」


 言葉を返した井上も、新堂も柾も、桐崎の独白に全く理解が及ばないようだ。


「君たちは、本気で恋をした事がないんだな。その人の為に何でもしてあげたい。いや、何でも出来るのが、本気の恋なんだ。

この計画の為に、凄く準備したんだ。ジャック・ナイフの使い方も一から学んだし、上手く人目につかないよう殺す練習も、ニュースになっている様に繰り返した。

やっと自信がついてきてから、この別荘に潜伏して、機を待ったんだ。

巻き込まれた君たちは非常に不運だと思っているし、命を落とした3人の冥福も心から祈った。本心だ。

でもそれは、必要な犠牲だった。これぐらいのプレゼントじゃなきゃ、御霊探偵の心は動かせない。それだけは間違いなかったんだ」


「さっきからプレゼントプレゼントって、どういう事?」


 柾が尋ねる。


「言ってるじゃないか。ミステリ、殺人事件という謎のプレゼントだ。

この事件が完成し、君たちを皆殺しにした後、御霊探偵を眠らせたまま解放し、私は逃走する予定だったんだ。

目が覚めた御霊探偵は、すぐに状況を理解するだろう。この別荘内で連続殺人事件が起きた、自分が生かされたと言う事は、この謎を解いてみろという挑戦状だとね。

そして事件の謎を解いていくにつれ、もう一つの事実に気が付く。この事件は、御霊鏡子が犯人として疑われるよう仕組まれた事件なんじゃないか、と。

警察もその線で捜査を行うだろう。御霊探偵が捕まるのが先か、それとも真犯人を見つけだし、証拠を突き付けるのが先か。これこそ探偵にとって最高のゲーム、最高のプレゼントになると、私は思いついたんだ!

だから今は、本当に悔しい!このプレゼントが完成しなかった事を!私自身の詰めの甘さだ!完璧な計画だと思ったのになぁ!」


 桐崎は恍惚とした表情で語り続ける。完全に自分だけの世界に入ってしまっているようだ…。


「お前の動機は理解した。しかしそれが私への愛の告白だというのなら答えはNOだし、プレゼントについても受け取る気はない。お前を警察に突き出して、事件の解決はするがな」


 私が冷たく言い放っても、桐崎は爛々とした表情のままだ。


「勿論…御霊探偵はそういう人だって、私もよく理解しているからね。

ただ、あなたにとっては100の愛の言葉よりも、1つの謎深き殺人事件の方が、より記憶に残るって事を、私は知っているからね。だからそうしたまでだ」


 成程、この女はこの女なりに、私の事をよく理解しているようだ。少し腹立たしい気持ちもあったが、彼女の言う通りなのも事実だった。


「さぁ、この別荘を出るぞ。脱出ルートに案内してもらう」


「脱出ルート…?そんなものがあるんですか?まだ外の吹雪は続いていますよ」


 新堂が不安そうに窓の外を見やりながら言う。事件は解決に向かっているにも拘らず、外は相変わらずの視界不良だった。


「さっきこいつは『私を解放し逃げるつもりだった』と言った。このコンデション不良の状況を、計画的な桐崎が想定していなかったとは思えない。

また、この別荘を往来するために、車の轍だとかの痕跡が残らない移動手段が必要だった事は明白だ。

つまり、スノーモービルの様な物をどこかに隠しているんだろう」


「流石御霊探偵、全てお見通しだ。白樺林の奥に、スノーモービルを隠してあるよ。それを使って必要な物だとかを事前に運んでいたんだ」


「それなら、すぐに案内――――」



 私がそう言ったのと、桐崎が動いたのが同時だった。


 彼女は手錠の鎖を引き千切り、一番近くにいた柾の背後に一瞬で詰め寄り、服の中から取り出したジャック・ナイフを柾の首にあてがった。


「動くな!!!」


 桐崎が叫んだのと、今度は井上が駆けだしたのが同時だった。


 井上は躊躇なく桐崎の持つジャック・ナイフに向かって飛びついた。


 が、桐崎はそれを超人技とも思える身のこなしで躱し、代わりに井上の腹に鋭い蹴りをお見舞いし、彼は壁の方に吹っ飛んだ。


「動くなと言ったのが聞こえなかったのか?この女が死んでもいいのか。

言っておくが、次動いたら本当に殺すぞ」


 桐崎のナイフを持つ手に力が入る。柾の首筋から血が滴り落ちた。柾自身は、青ざめた表情のまま動けないでいる。


 吹っ飛ばされた井上は、腹を抑えながら起き上がったが、そのまま立ち上がれずに桐崎をこれ以上ない憎悪の目で睨んでいた。


「手錠に細工をしていたのか?お前自身が用意した手錠を、そのままお前に掛けたのは失敗だったな」


 私も桐崎の動向に注意を払いながら、刺激し過ぎないように言葉を選ぶ。


「この手錠は片腕を半分捻ってから勢いよく引っ張ると、千切れる構造なんだ。万が一私がこの手錠で拘束された時の為にな。

さぁ、こっちは人質を取った。このままこの女と一緒に逃亡させて貰う。

顔も名前も割れてる以上、どこまで逃げ切れるかも怪しいけどね。こっちもただで捕まってあげる程親切じゃない。この女は利用できるだけ利用して、殺して捨ててやる。

それがせめてもの私の抵抗だ」


 桐崎はそう言って、ナイフを目にも止まらぬ速さで振るった。


「きゃっ!!」 


 床に小さな肉片が落ちる。彼女の耳の一部…耳朶みみたぶだ。


「痕跡が残るから、流血はこっちとしても避けたいんだが、ある程度は弱らせておかないと思わぬ抵抗を食らうからね。少し痛い思いをするのは我慢してもらうよ」


 こいつは本気だ。絶望的な状況だ。動きたくても動けない。このまま柾が、桐崎に連れていかれるのを指をくわえて見ているしかないのか。

かと言って、ありきたりな説得に耳を貸す相手じゃない。


「柾を離せ。代わりに俺を人質にしろ」


 井上が臆せず交渉する。彼の口の端からは、血が流れていた。先程の衝撃で、唇を切ったのだろう。


「誰がそんな申し出に応じるか。人質なら女の方が都合がいいに決まってるだろう。最後まで無能だったお前らしく、そこでじっとしてろ」


「駄目だ…柾じゃなくて、俺を人質にしてくれ。お前だった、切り刻み甲斐がある人質の方がいいだろ」


「聞こえなかったのか?すっこんでろと言ったんだ」


素数もとかず、やめろ。下手に刺激するな。ここで逃げられても、きっと警察がなんとかしてくれる」


 新堂が井上を諫める。新堂の顔も、極度の緊張で汗塗れだ。


「そんな保証がどこにあるんだよ……相手は『ジャック・ナイフ』だぞ」


 井上の顔に、ありありと絶望の表情が浮かんだ。


 その時柾から、信じられない言葉が発せられた。



「…………殺して」


「………………なに?」


 桐崎が聞き返す。私含め、全員が耳を疑った。


「殺して、いいよ。私、あなたみたいな最低の殺人鬼の役に立ってから死ぬぐらいなら、今ここで死にたい」


 桐崎の表情が引きつった。その言葉は私も、井上も、新堂も、限りなく絶望するような言葉だった。


「何言ってるんだ、柾……。なんでお前が死ぬ必要があるんだ。お前は何も悪くない。ただ巻き込まれただけだ。そんな事言うなよ」


「そうだ、その男の言う通りだ。自分の命を大切にしろ。私の気が変わって、お前を生かす事になるかもしれないだろ。妙な考えを起こすな」


 奇妙な事に、殺人鬼と井上の2人が、人質を説得するという状況になった。


「私の名前ね……世良、って、世界を良くするって意味から、名付けたんだって。

私、その為に生まれてきたの。だから最期まで、みんなの役に立って死ねれば、それでいい。大丈夫だよ」


 彼女はそう言って、優しく微笑んだ。


 心底驚いた。


 柾が心根の強い女性だという事は新堂から聞いていたが。この歳で死ぬ覚悟がある女性なんて………聞いた事がない。


「駄目だ!!」


 井上が吠えた。その大声に桐崎も反応し、身構える。


「死ぬなんて、そんな事考えるなよ柾。全員助かって、ここから帰るんだ。それだけを考えろ。死ぬ必要なんてない!」


「ありがと…素数もとかずくん。そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいよ。どうして、こんな私なんかの為に」


「どうしてって」


 井上が、顔を皺くちゃに歪ませた。


「好きだからに決まってるだろうが!好きだから死んでほしくないんだよ!!」


 その言葉を聞いた柾からは、涙が一筋零れ落ちた。


「ありがと……こんな私に、好きって言ってくれる人がいるんだね。これって、オッケーしなきゃいけない空気なのかな?」


 柾を拘束している桐崎の顔は困惑そのものだった。が、ナイフだけはしっかり首にあてがったまま離す気配がない。


「へへ…でも、ごめんね。私、今はまだ素数もとかずくんの事が、男の人として好きなのかどうかは、分からないんだ。私の為に本気で身を挺してくれてるのに、ごめんね。

でも…ありがとう。嬉しかったよ」


「……はは、フラれちまった、のかな。ははは………」


 柾の返答を聞いて、井上が力なく笑う。


「柾。俺も、友達としてだけれど、お前に死んでほしくないよ。柾みたいな芯の通った強い女の人を、俺は見たことがないし、最高の女友達だと思ってる。

頼む、死なないでくれ。友達を失いたくないんだ、柾」


 新堂が、言葉を選ぶようにして柾に語り掛ける。柾は泣いたまま笑っていた。


「ありがと……私も、新堂くんのこと、好きだよ。友達としてだけれど…ね。えへへ………」


「もうやめろ」


 桐崎が冷たく言い放った。


「茶番をどうもありがとう。だが柾、人質として死なれたら私も困るんだ。殺してもらえるよう抵抗するつもりなら、相応の拘束をする。舌を噛み切るつもりなら、口の中にハンカチを突っ込む。

あくまで主導権はこっちにあるって事を忘れるな」


 …………?


 その一言で、私の中に閃くものがあった。


「桐崎孔雀」


「なんだい?御霊探偵。いくらあなたの頼みでも、人質は解放しないよ。こうなったら、生き延びられるだけ生き延びてやるさ。それが最後の意地ってもんだ」


「人質を解放してくれないか」


「人の話は聞いて欲しいな…」


「条件がある」


「何?」


「人質を解放してくれたら、月1回は面会に行ってやる」


「なんだい、それは。確かに嬉しいけど、死刑の対価にはちょっと軽すぎると思うね」


「その代わり」


 無視して続ける。


「お前がこのまま柾を連れて逃亡するようなら、


「…………は?」


 呆気にとられる桐崎。


「面白いトリックだったが、今回の事件も所詮私が今まで解決してきた数多くの事件の一つに過ぎん。

私の脳の容量も無限じゃないんでな。今回の事はさっさと水に流して、次の事件を追いかける事にするよ」


 出来るだけ、桐崎の琴線に触れるような言葉を選ぶ。隣にいる新堂はハラハラした目で私を見つめている。


「ちょっと待ってちょっと待って…今回の事件の事を忘れる?水に流す?

冗談じゃない…私が何のためにここまでやったと思ってるんだ?

全てあなたの為なんですよ?その為に何カ月も準備して、何年も機を待って…私は何の為に、こんな事をしでかしたと?」


 思った通りだった。桐崎はあくまで、に、烏合の衆とならない為に今回の事件を起こした。

怨恨や金銭的な利益が目的ではないのだから、私の心に留まらず、更には完全に忘れ去られてしまったのでは、事件を起こした意味がなくなってしまう。


「知った事じゃない。事件を解決されたのに醜く抵抗した挙句、人質を痛めつけて逃げ出す様な卑怯者なんて全く興味がない。

お前だってよく知っている筈だ。私がそういう犯罪者を最も嫌悪している事を」


 桐崎の顔がみるみる青くなっていく。


「決断しろ。ここから逃げて私から忘れ去られ、どこかで野垂れ死ぬか。

もしくは投降して少しでも私の記憶の一部となろうと努力するか」


 この言葉で、桐崎は完全に戦意を失っていた。


「………本当に、私の事を覚えていてくれますか?」


「ああ」


「また、会いに来てくれますか?」


「ああ。約束は守る」


「………うぅ、うあああああああ………!!」


 桐崎がナイフを降ろし、地に落とした。それを確認し、隣の新堂がすぐに桐崎に駆け寄り、後ろ手に拘束した。


「……ありがとう、御霊…さん」


 極度の緊張状態から解放されたからか、柾はそのまま床に崩れ落ちた。すぐに介抱すると、眠っているだけで命に別状はなさそうだ。


 それを井上、新堂と確認したのち、新堂が口を開く。


「すみません御霊さん、拘束するためのロープやビニール紐があるかどうか、探してきてもらえますか」


 私が収納から持ってきたビニール紐で、桐崎の腕を固く拘束した。これでもう小細工は出来ない。

 窓に掛けられた時計を見ると、既に日付は次の日になっていた。


「桐崎さん」


 腹が座った表情の新堂が、桐崎に話し掛ける。桐崎もすぐに平静の状態に戻った様子だ。


「……なんだ?」


「破魔や竹之内が殺された後、彼らの冥福を祈っていたあの姿は、ただの演技だったんですか?」


 どうやら、桐崎は少なくとも、新堂の信頼を完璧に勝ち取っていたようだ。


「あれは演技じゃないよ。本心さ」


「なら、どうして」


「テレビのニュースと同じ事さ。赤の他人が死んだら冥福ぐらい祈るだろ?まして、彼らは私の計画の為に命を犠牲にしてくれたんだからね。

殺人犯だって、それぐらいの良識は―――」



 咄嗟に私が腕を伸ばして止めようとしたが、間に合わなかった。



 次の瞬間には、新堂は左手の拳を桐崎の顔面に叩きつけていたのだった。

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