第16話 四日目 夜



 20時を過ぎ、私たち3人は自然と広間に集まっていた。井上も柾も気丈なタイプの人間かと思うが、流石に疲労の色が拭えない。


「役者は揃った。これから犯人を指摘する」


 私が推理を披露し始めても、2人とも緊張した面持ちのままだ。名探偵の推理パートとなれば柾の大好物だろうが、この状況で喜ぶも何もないのだろう。柾はきゅっと、口を真一文字に結んでいる。


 私は一呼吸置いた。



「井上素数。お前が連続殺人の犯人だ」



 井上が目を見開く。


「何を言うんです。俺じゃない」


「反論は私の推理を聞いてからにしろ」


 手元のセブンスターを手に取り、ライターで火をつける。


「まず…今回の連続殺人、この別荘――もう面倒だから、ジャック・ナイフ館と呼ぼう――の構造をある程度把握していない事には始まらない。竹之内の殺害然り…地下室の件も然り。破魔以外の竜大メンバーは初めてこの別荘に来たと言う話だったが、井上は予め破魔から別荘の構造について詳しく聞いていて、もしかしたら下見に一度ぐらいはここに来たかもしれないな。つまり、この別荘に来る前から殺人計画を練り上げていた事になる」


 井上は物言いたげな表情だが、黙っていた。その横で柾が心配そうに私と井上の顔を交互に覗き見ている。


「だからこそ、破魔を最初のターゲットに選んだんだ。ジャック・ナイフ館の事を事前に嗅ぎ回っていた事が知れたら、真っ先に疑われるだろうからな。その他にも何か動機があったと思われるのは明らかだが、この際捨て置く。君らの過去の事情など私にとっては詮無き事だ」


 煙を静かに吐いた。頭は妙に冴えている。


「最初の破魔が殺された事件は、犯人を特定出来得る要素が全くなかった。警察が介入して本格的な調査が行えれば、また別かもしれないが。しかし、凶器の鋭く磨かれたジャック・ナイフは、第2・第3の殺人に使用された凶器と共通している。

起きた事件の犯人がバラバラな『便乗殺人』である可能性は0ではないが、この状況において別々の犯人が全く同じ凶器を用意できた偶然や、凶器の譲渡があったとは思えない。よって、破魔を殺した犯人も、竹之内を殺した犯人も、エミリーを殺した犯人も、すべて同一人物であるという前提をもとに推理を進める。つまり、第二第三の殺人の犯人を特定する事が、第一の殺人の犯人を特定する事と同義であると定義づける」


 この前提には井上と柾にも異論はない様であった。


「第二の殺人…竹之内が殺された事件は、『開かれた密室』が一番の謎だった。部屋の扉は施錠されていた上にバリケードが施され出入り不可能、窓は全開だったが外は人の往来の痕跡が全くなく、犯人が外をズボズボ歩いた後に真っ平にするなど非合理的過ぎて考えられない。しかし現実に、この不可解な密室が出来上がっている」


「可能かどうかよりも、この謎を合理的に解決できる理由が見当たらないのが、一番の問題ですよね…」


 柾が顎に手を添えながら難しそうな顔をしている。


「そうだ。私たちの推理を攪乱させる以外の目的があったということだ。私はそれは、現場に近づかないことで自分が犯人だと特定される要素を極力少なくしたかった…というのが一番の目的だと考えている」


 柾はふんふんと頷いている。対照的に井上は不服顔だ。


「その事が、俺が犯人である事とどう繋がってくるんです」


「今回の犯行の手口は、さっき地下室で見つけた『ボウガン』が鍵となっている」


 ボウガン、という単語に柾がはっとした表情になった。


「そういえば、今回の犯行は何か飛び道具を使ったんじゃないかって話題になってましたから、私もその可能性は考えましたねぇ」


「別荘の窓から身を乗り出して、ボウガンで竹之内の首を狙い撃ったっていうんですか?」


 井上が怪訝な顔で私の次の発言を窺う。


「そうだ。ボウガンで狙撃を行える場所は、竹之内の部屋の窓と同じ壁面の窓に限られる。態々わざわざ吹雪で視界の悪い外から狙って当てられるとは思えない」


「でも、図面を見てください。俺の部屋の窓は西側で、竹之内の部屋の窓は北側です。これでどうやって竹之内を狙ったって言うんです」


「誰がお前の部屋から竹之内を狙撃したと言った?んだ。竹之内の部屋の捜査中にも話題になったが、破魔の部屋は施錠されておらず誰でも出入りが可能だった。狙撃ポイントはあそこしかない。

そしてここで、シャー芯のトラップが活きてくる。シャー芯が折れて部屋から出入りした痕跡があったのは、井上、お前と、死んだエミリーだけだった。まぁ、行方不明の新堂を勘定に入れてもいいがな。しかし私と柾は犯行があった晩、部屋から出なかった事が証明されている。

これがお前を犯人だと告発する大きな証拠の一つだ」


「……酷い推理ですね。一見筋が通っている様に見えますけど、思い出してくださいよ。そもそもボウガンは矢を射出しゃしゅつする構造になっているから、ジャック・ナイフを射出する事は出来ない筈です。それに、竹之内の部屋にはおびただしい量の血痕が、床や窓枠に飛んでましたよね。ボウガンで狙撃して首に刺さっただけじゃ、あんな量の血が飛び散るとは思えません」


「成程、最もな反論だな。しかしそれは、既に解を導き出している。


 柾は、おお、と少し納得しかけた表情だが、井上の表情は更に渋くなった。


「銛状にっていうと…『→』みたいな、先端にが付いて、刺さった後に簡単に抜けなくなるような構造だったって事ですか?」


「その通りだ、柾。井上はその銛状の矢の末端に紐を結び付けて、破魔の部屋から竹之内の首を狙撃したんだ。こうする事で、矢が命中した後簡単に抜けなくなる。。遠隔殺人を推理する上での最大の障害は、現場に大量の血痕が残されていた事だった。それを可能にするのが、紐付きの矢という凶器だったんだ。

そして紐を強く引っ張り続ければ、やがて肉がえぐれ血が噴き出し、矢が抜け、凶器の回収も出来るという寸法だ」


「…その理屈は分かりました。しかし、俺たちが竹之内の部屋に踏み込んだ時、実際に刺さっていたのはあのジャック・ナイフでした」


「私も、お前があんな大胆な手口に出るとは想定していなかったよ。とはな」


「何を言うんですか!」


 井上の顔が急速に沸騰する。今の言葉が一番カッとなったようだ。


「元々、あわよくばという期待のもとにナイフを懐に忍ばせていたんだろう?探偵である私と2人で部屋に踏み込み、お前が真っ先に死体を確認しに行ったのなら、私が探偵である以上、部屋に犯人が潜んでいるなどの危険がないか確認するのが自然な行動だ。それを逆手に取られたんだ。

万が一私が一緒に死体を確認しに行ったとしても、その時はナイフを刺さなければいい。ナイフも何も刺さっていない死体の状態で発見されれば、ナイフではない別の凶器で殺されたという推理をされる恐れがあるが、それだけで自分が犯人だと特定される訳ではない。

私が死体を確認する前に、竹之内の部屋の中をざっと見て回るという行動に出たからこそ、咄嗟にナイフを竹之内の首に刺したんだ。だが逆に、その行動が仇となったな。んだ」


「違う、違う!俺はそんな事はしていない!」


「そして使用したボウガンは、また別の犯行で使う事も考えていた。使用後の矢は外にでも処分したんだろうが、ボウガンは後で回収するため、例の地下室に他の武器と一緒に放り込んでおく。屋内で最も安全にボウガンを隠せる場所は、あそこぐらいしかなかっただろうからな」


「俺はボウガンなんて触った事もない!世良、この女の推理を真に受けるな!何一つ証拠がないじゃないか!」


 柾の方を見る。困惑と恐怖が入り混じったような表情だった。


「うん……推理としては筋道が立っていると思うけれど、決定的な証拠がないよね。それに、新堂くんだって、多少無理をすれば犯行は可能だったと思う。普通に外を行き来して、竹之内くんを刺殺する事も出来た。足跡を真っ平になるよう消したって線は考えづらいって話になったけど、可能性は0じゃないよね」


「それが、そうはならないんだ。新堂が犯人じゃない事は、これまでの犯行の中で証明されている。特に、第三の殺人でそれが決定的になった」


「どういう事、ですか?」


 柾が首を傾げた。


「それは、。破魔が殺された時のナイフの傾き具合から、犯人は右利きじゃないかと推察可能だったが、エミリーが殺された時のナイフは右手の形に血の痕跡がくっきり残っていた。手袋をしていただろうから指紋には期待できないが、あれは大きな収穫だったな」


 井上も柾も、キョトンとなった。


「えっと…新堂くんは右利きじゃないんですか?お箸を持つ手だって右だし、何か字を書いてる時も右でしたよ?」


「私よりも一緒にいた時間が長いというのに、観察力不足だぞ。


「どうして、そんな事が言えるんですか?」


「覚えていないのか?


 柾が目を見開く。


「そういえば、そうだったような……。でも、よく覚えていましたね。そんな事を」


「まぁ私の場合は、あいつと二人きりの時に突然投げた物を左手で受け止めるっていう所作も目撃していたから、より記憶に残りやすかっただけだがな」


 短くなったタバコの灰を携帯灰皿の中に落とながら、新堂にジップロックを投げてシャー芯を保存するよう言った時の事を思い出していた。


「…しかし、新が本当は両利きで、自分を犯人だと除外させる為にあえて右左を使い分けてた可能性はありませんか」


 井上の声が微かに震える。


「それにしちゃ、やり方が回りくどすぎだろ。普段から箸もペンも物を持つ動作も全部左にしていれば、誰だって新堂は犯人じゃないと思うだろうに。

そうだな、私の観察眼に期待して、あえてそういう行動をとったという線もあるかもしれない。だがアイツが左手で何かをしたのを見たのは、私が記憶する限りでも2回ぐらいしかない。流石にもうちょっと、自分本当は左利きですよアピールをするんじゃないか?」


 私の言葉に、井上は返す言葉もない様だった。


「さぁ、井上素数。反論はもうないのか?」


「ありますよ。まるっきり的外れの推理としか言いようがありません。消去法で俺が犯人じゃないかと言っているだけで、証拠がまるっきりないじゃないですか」


「これから本格的な調査が始まれば、嫌でも出てくるさ。ジャック・ナイフはまだ全部は処分してないんだろ?自分の衣服に隠しているんじゃないか?それとも、自分の部屋のどこかに隠しているんじゃないか?ボウガンの矢も、これから警察が来て大規模な捜索が開始されれば、きっと見つかるさ。竹之内の血液反応が出るのも間違いない事だ」


 私は勝ち誇った目で井上を見る。勝った。


「そんなの、どうぞ調べてください。そんな物が出てくる訳が無い。だって、そんな事を俺はしていないんだから」


「勿論、そうするさ。だが、これ以上お前に暴れられたら元も子もない。拘束はさせて貰うぞ」


 私が懐から手錠を取り出すと、井上は血相を変えて喚きだした。


「馬鹿な!俺は何もしてないのに、なんで手錠をされなきゃならないんだ!」


「私はお前が犯人だと指摘した。お前は自分が犯人でない事を証明出来ていない。なら、こっちの身の安全を確保する為に必要な事だ。至極真っ当な論理だと思うんだがな」


「柾、やめさせてくれ。こんな事は絶対におかしい!何とか言ってくれ!」


 柾は今だ困惑の表情が拭えない。どちらの方を信じればいいのか分からないのだろう。


 私は井上の言葉を無視してにじり寄る。


「もう終わりだ。お前の殺人劇も、何もかも。井上素数、犯人はお前以外にいない!」









「………それはどうかな」




 その言葉は、私たち3人のうちの誰の声でもなかった。はっとして、声の聞こえた方を振り向く。玄関の方からだ。


 そこには2人の人影がいた。男が、誰かを肩で支えている。女だ。


 その女は、あぁ、私がよく知っている人物だ。薄い色素の長髪、あどけなさと大人の魅力が入り混じった顔立ち、華奢な体、そしてブラッディ・レッドの瞳…………



 御霊鏡子だ。

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