第11話

「俺、こいつと焼き鳥屋行く約束してるんスよ。そういう訳なんで」

 俺、あらたすくは彼女を庇うように、寺村先輩の前に身体を滑り込ませた。


 といっても身長175センチの俺の身長タッパだと、2メーター以上ありそうな寺村先輩に対してはいささか迫力が足りない気がする。 


――やべぇ、足が震えそう。何でこんな事してんだ、俺。いつもは事なかれ主義が信条なのに。


 ちらりと一瞬周囲を見るが、屋上へと通じる階段にも給湯室の奥の方にも人影はない。


 この給湯室前はあまり人が出入りしない場所だから、よく我が社のお姉様方がうわさ話に花を咲かせていたりする穴場だ。

 そんな場所だからこそ、寺村先輩は声をかけてきたのだろう。


「は、何言ってんの? 陰キャのお前が我那覇ちゃんとデートの約束なんかしてる訳ないだろ」


 寺村先輩はいつも浮かべているチャラい表情を一変させ、俺のワイシャツの襟を掴みながら脅しをかける。うちの営業部でもそこそこの有名人で、顔は整っていて高身長と女にモテそうな外見が特徴だが、とにかく態度が軽薄な先輩だった。


 遅刻や無断欠勤の常習犯でクビにならないのが不思議だが、どういう訳か上司の覚えはめでたいらしい。


――これが「チャラムラ」と呼ばれている男の裏の顔ってやつか。


 そんな事を冷めた思考で思いながら、俺はスマホを片手でこっそり動画撮影モードに変更して胸ポケットに入れる。学生時代にいじめられた経験があるので、こういう時の対応は手慣れていたりする。


 いや、本当なら慣れたくはなかったのだが。

 こういう時に大事なのは、とにかく証拠を押さえることだ。


「寺村さん。私、確かに新城君と焼き鳥屋へ行く約束してます。だから、その手を離してくださいね」


 穏やかな声ではあるが迫力のある声で彼女――我那覇香はそう言った。


「いや、だからさ、こんな陰キャ野郎と君なんて釣り合わないって」


 なおも言い募ろうとする寺村先輩は次の瞬間、驚いた表情で思わず俺の襟から手を離していた。

 目にも止まらぬ早さとはこういう事を言うのだろう。

 いつの間にか、彼女の正拳突きが寺村先輩の鼻先数ミリ手前で静止していた。


「ちょ、冗談だから。我那覇ちゃん、冷静になろうよ」


 冷や汗を流しながら、寺村先輩は目を泳がせている。

 正直、俺はいい気味だと思っていた。


 この寺村先輩には、正直いい噂を聞かない。

 営業成績は上位で上司の覚えもめでたいものの、誇大広告まがいの強引な営業手法で他の課からはかなり恨まれているという話も聞く。


 女好きとしても有名で、会社の女子のほとんどに声をかけたという話まで聞こえてくる。しかも、それで婚約者がいるというのだから呆れるほかない。


「はっきり言って寺村先輩、しつこいです。これ以上強引に誘うなら、セクハラとして法務部へ訴えますからね」


 我那覇はそう言って再び正拳突きのファイティング・ポーズを取ると、寺村先輩は見るからに怯えた顔で後ずさる。さっき強面で俺にすごんで見せたのとはまるで別人に見えた。


 典型的な強気にへつらい、弱者にたかるタイプなのだろう。


「や、やだなー。我那覇ちゃん、冗談だって。そ、それじゃ、俺は午後一で取引先に行くことになってるから」


 寺村先輩は滑稽なほどビビりながら、脱兎の勢いで自分の部署である営業課の方へ去って行く。


――小物感がすごいな。ある意味営業向きの性格ではある気もするけれど……


「ええと、新城君。助けてくれてありがとう」


「いや、あんまり助けになってないよ。正直、必要なかったよね」


「そんなことない。嬉しかったよ?」


 屈託無く笑う我那覇の顔を、俺はマトモに見られなかった。

 どうにも、後ろめたさが消えてくれなかったから。


           ◆


 小学生の俺は、ある意味無敵だった。

 当時の俺はそこそこ喧嘩も強かったから、近所の悪ガキどもを従えて天狗になっていた。


 生まれ育った石垣島は、俺にとっての天国だった。 遊ぶところには事欠かなかったし、仲間を従えての冒険ごっこに夢中になっていた。

 そんな中、近所に住んでいた我那覇香は俺にとっての天敵だった。


 子どもの頃は女の子の方が早熟で身体の成長が早いのか、あるいは彼女が琉球空手を習っていたからなのか。

 彼女の方が年下なのに、何度か喧嘩して泣かされたことがあったからだ。

 その度に「ゴリラ女」呼ばわりして、口げんかで泣かせた事もあった。


 腕力で勝てない相手だから、せめて口げんかでは勝ちたいという姑息な手段に訴えたのだ。子どものやる事とはいえ、今考えると女の子相手に酷いことをしたものだと思う。


 俺が小学校を卒業する頃、そんな日々は唐突に終わりを告げた。

 小学生の俺に理解出来るはずも無かったが、当時はアメリカの投資銀行が破綻したのをきっかけとした世界同時不況のまっただ中だった。


 その影響をもろに受けたのが、当時改装工事をしたばかりの親父の民宿だった。

観光客の激減によって経営状態は思わしくなくなり、資金繰りがうまく行かなくなっていた。そこでとどめとばかりに台風による家屋や設備の半壊。

 不運の連続が優しかったはずの父を変えてしまっていた。


「佑、泡盛を買ってこい」


 畳に大の字になりながら、赤ら顔でわめいている親父の顔は未だに脳裏に染みついている。


「あなた、いい加減にして。お酒だったら私に頼めばいいじゃない」

 不機嫌さを前面に出した顔で怒鳴りつける母の顔も、何かの漫画で見た般若の面を思わせる表情だ。彼女もよく笑うひとだったはずなのに、すさんだ生活が彼女から余裕を奪い去っている。


「俺は佑に頼んでるんだ。なあ、お前、いい子だから酒買ってこれるよな」


「お母さんを怒らないで! お酒、買ってくるから」


「うるせぇ、俺に意見するんじゃねぇ! お前は黙ってろ!」


 怒鳴り声とともに頬に親父の拳がめり込み、小学生だった俺は見事に吹っ飛ばされてしたたかにローテーブルに後頭部をぶつけた。

 痛みと親父に殴られたことによる精神的ショックで、俺はしばらく呆然としながら天井を見上げていたように思う。


「あなた、自分の息子に何してんのよ!」


――そういえば、こんなドラマを見たような気がするな。朝にやっている古くさいやつだっけ。


 自分が親父に殴られたことを、他人事のようにそう考えていたのだけを今は覚えている。親父に殴られたのはそれが最後ではなく、母が離婚を決意して東京の実家に戻るまで続いた。


          ◆


 それから十年以上の月日が流れて、俺はそんなことを忘れ去っていた。石垣島でガキ大将をやっていた頃の事など、夢のようにしか思えなくなっていた。


もう思い返したくもないが、中学校時代は理不尽ないじめにさらされた。下駄箱から靴が消えていたり、教科書に落書きをされるなんてのは日常茶飯事だった。


 それがトラウマになった高校時代はひたすら目立つことを避けて、なんとかやり過ごしていた記憶がある。

 その頃にハマったのがゲームで、不登校にこそならなかったものの出席日数はギリギリだった。


 その後は偏差値の低い大学をどうにかこうにか卒業し、何十社も落ちてようやく就職出来た。まさか入社した会社の「先輩」に、我那覇がいることにいるとは思わなかったが。


 名字が変わっていたから、向こうには気づかれなかったみたいだけれど。

 同じ会社の社員とは言え、なるべく顔を合わせたくないと思った。

 子供の頃の悪行に対する後ろめたさからかもしれないし、あの当時の調子に乗っていた悪ガキが陰キャに変貌しているのを見られたくなかったからかもしれない。


 幸い、彼女は隣の部署だから直接顔を合わせる機会も無かったが。

 そう、今日の昼休み、あの悪名高い寺村先輩が強引に彼女をデートに誘おうとするのを見るまでは。俺が寺村先輩と彼女の間に割って入ったのは、やはり過去の悪行の罪滅ぼしをしたかったからなのだろうか。


 自分の行動ながらわけがわからなくて、妙に苛立ちが残った。


           ◆


「で、どうするの?」


 今日はノー残業デーなので、予約していたゲームを受け取りに行くかと思って腰を上げた時、隣からそんな言葉が聞こえてきた。

 俺はぽかんと口を開けてしまった。


 見上げると、小首をかしげている我那覇の顔がある。

 改めてみると、我那覇はかなりの美人だなと俺は思った。

 子どもの頃いじめていたのも――後になって思えば、好意を抱いていたことの裏返しだったのかもしれないと思えた。


 小顔だし、顔のパーツは綺麗に整っているし、なにより表情が豊かだ(童顔だからなのか、スーツを着ていないと高校生くらいに見えるのだが)。

 

 この部署でも我那覇の隠れファンは数多い(といってもうちの会社は女子率が高いから、その半数は女性だったりする)。


「焼き鳥屋、行くんでしょ?」


「え、アレは口から寺村先輩の誘いを遮るための口実で……」


「行くんでしょ?」


 そう畳み掛けられて、俺は思わず天を仰いだ。


――どうしてこうなるんだ?

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宇宙一可愛いぼくのおくさんの話 高宮零司 @rei-taka

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