第7話 高梨課長は猫が飼いたい(7)
あの保護猫譲渡会から早くも三カ月が過ぎた。
西川さんとともに何度か猫カフェに通い、「猫に慣れる修行」を続けていた課長だったが、つい先日の譲渡会でようやく猫ちゃんをお迎えすることが出来たらしい。
今日は明日の会議の資料をまとめるために早めに出勤したぼくは、自分のコンパートメントでスマホの画面を見てニヤニヤしている高梨課長を見つけた。
さすがに画面の様子までは確認出来なかったが、だいたい表示されている内容は見当がつく。愛猫の写真か動画、もしくは自宅に設置してあるペット見守りカメラの中継映像だろう。
「課長、おはようございます。猫ちゃんの様子はどうですか?」
「幸いすこぶる元気だよ」
「それは良かった。あの西川さんのおかげですね」
「ああ、君のおくさんの上司だけはあるな。猫を飼うことに関するアドバイスは的確だし、細かい気遣いの出来る人だよ」
そう言いながら手癖でサインペンのキャップをつけたり外したりしているあたり、照れくさいのだろうかと想像する。この上司殿がここまでもじもじしている場面を、少なくとも職場では見たことがない。
「なるほど、まんざらでもないと。……これは脈ありかもしれないな」
ぼくとしては小声で呟いたつもりだったが、急に課長の顔に朱が差す。
「コホン。上司のプライベートに立ち入るものではないよ。……ほらほら、君。うちのサンディちゃんだ。どうだ、かわいいだろう?」
――あからさまにごまかしたな? この人。そもそも自分のプライベートに立ち入るなといいながら、プライベートそのものの猫動画を見せてくるのは問題ないのだろうか。
内心でそうぼやいているぼくにもおかまいなしに、スマホの画面を指さして見せる。
高性能なカメラ内蔵が売りの、細長い大画面スマホだ。スマホとしてはかなり高額な部類の、いわゆるハイエンド機である。今となっては珍しい国産メーカーで、かく言うぼくも同じ機種を愛用している。
――そういえばこの人、つい先日までガラケーを使っていなかったっけ? これも猫写真や猫動画を撮るための投資というやつだろうか。猫は日本経済を回しているな。
スマホ画面には身体の小ささに比して少々太りすぎに見えるぶち猫が、ぶさいくな顔で鳴いている姿が映っている。いまどき、AIが補正してくれるから多少撮るのが下手くそであってもそれなりの写真ができあがるはずなのだが。
補正しきれない手ぶれと強すぎるライティング、加えて被写体が急に動いたらしく顔以外の身体がぶれにぶれている。
それでも、なんとなく「ブサかわいい」感じに撮れている……のだそうだ。本人の主張するところによれば。
「いや、それ昨日のLIMEでも散々見ましたから……」
「だって、うちの子の可愛いが過ぎるのがいけないんだ」
そう言ってすねて見せるうちの課長は、可愛いが過ぎるな。我が子を見守る親のような気分にさせられてしまう。
「だからといって、部下にLIME送りすぎなんですよ。まあ、うちの微力さんも可愛いんですけどね」
そう言って、ぼくはおかえしとばかりにやる気のない顔で猫じゃらしに猫パンチをくれている微力さんの写真を送る。
――ふふふ、ぼくだって
ぼくはお返しとばかりにスマホを開くと、微力さんのあられもない大股びらきであくびをしている姿や、密林通販の段ボールを占拠してドヤ顔をしている姿などの悩殺写真を選択。LIMEでまとめて送りつける。
ぼくの思惑通り課長は数分間悶えていたが、今度はぼくのスマホがブルッと震えてメッセージの着信を告げる。
通知表示をタップして早速メッセージを開くと、さらなる愛くるしい子猫の写真や動画の動画がぼくを襲う。
――課長め、まだこんな隠し球を抱えていやがったとは……写真だけでも破壊力抜群なのに、通信量も気にせず動画まで。やるな!
ぼくは悶絶しながらも、顔のニヤニヤが抑えられない。いやぁ、猫の動画って延々と見ていられるよね。
そういえばぼくは西川さんとその後どうなっているのかもう少し聞きたかったような気がするな。なんかもうどうでもよくなってきたけれど。
「あのー、先輩? 高梨課長まで何をやってるんですか。始業五分前なんですけど」
後ろから急に話しかけられたぼくは、思わず椅子から立ち上がるとわざとらしい笑みを浮かべて見せる。
めきめきと実力をつけている期待の新入社員、水野さんが呆れた顔でとなりの椅子に腰掛ける。身長高めのぼくと肩をならべるくらい背が高く、その割に身体のパーツがいちいちほっそりとしているからモデルめいた体型をしている。
顔の整った人特有の迫力もあるから、ぼくはどうもこの子が苦手だ。
――ただでさえ威厳がないのに、これ以上醜態をさらしては先輩としての沽券に関わる!
「いやあ、ほら職場の円滑なコミュニケーションのために、さ。ほら社員の福利厚生のために『猫社員』がいる会社もあるじゃない?」
「そういう時、ぴったりの言葉がありますね。『よそはよそ、うちはうち』ってね」
「ぐぬぬ……」
ぼくは降参とばかりに手を上げる。
「いや、すまない水野君。元はといえば私の方から声をかけたんだ。彼は被害者だよ」
そう擁護してくれた高梨課長にぼくは心の中で手を合わせる。
「お詫びといっては何なのだが、うちの子の写真でも見ないか?」
そう笑顔で話しかけた高梨課長は、いつの間にか水野さんの背後に回り込んでいた。戸惑っている水野さんの左肩を後ろからがっしりと掴むと、右からスマホの画面を突き出す。
――前言撤回。この人怖い物なしだな。
以前の真面目一徹の課長もやっかいだったが、猫馬鹿の課長も相当やっかいであることに気づいた時はもう遅かった。
「ちょっと高梨課長、何なんですか。今日はこのあと会議の準備が……」
水野さんは少し怯えた顔でぼくに視線で助けを求めてくる。
ぼくはすまなさそうに両手を合わせて見送るほかなかった。
水野さんの口が「このうらぎりもの!」と動いた気がしたが、ぼくは見なかったことにした。
なお余談ではあるが、水野さんはしっかり高梨課長の薫陶を受けて無事自宅にお猫様をお迎えしたそうである。
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