第3話

 見ると、まるで闇の中から浮かび上がるように、まばゆい金髪を持つ男が立っている。


 一瞬、彫刻かと思ったほどだ。白い月明かりに照らし出されたその姿は、神話の中の雄々しい男神を思わせた。




「なんだお前は!」




 私を羽交い絞めにしていた男が唸る。


 一方で、私の目の前にいた男は一種にして顔色を変えた。




「バカ! いくぞ」




「はぁ? なんで……」




「相手をよく見ろ! リンディスファーン公だ!」




 すると、背後の男は小さな悲鳴を漏らして私から手を離した。


 そのまま転がるようにして、二人は逃げていく。


 私は唖然としてしまった。


 自分の身の上に起きたことが、とても現実とは思えなかったのだ。 


 茫然とリンディスファーン公と呼ばれた人物を凝視していると、相手は私から目をそらし自らの上着を脱いで差し出してきた。




「その……服が乱れている。これで隠すといい」




 私ははっとした。


 そうだ、いくら明かりに乏しいとはいえ、今の私はおっぱい丸出しなのだった。




「あ、ありがとうございます……」




 私はありがたく上着を受け取り、それで隠すようにしてドレスを引き上げた。


 そうしているうちに冷静になってきて、今話している相手が誰なのかということにも頭が回るようになる。


 この国に、リンディスファーン公と呼ばれる人間は一人しかいない。


 先ほどホールで令嬢たちが騒いでいた、若きリンディスファーン公爵その人だ。


 王家に連なる血筋と広大な領地を持ち、ついでに顔まで美しいという神が特別手をかけて作り出したような人物だ。


 平時であれば、平民身分の私が喋れるような相手では当然ない。


 それがまさか、見知らぬ女のために労を惜しまず自ら助けに来てくれるとは。


 感心しながら胸元をどうにか整え、借りていた上着を返す。上着は驚くほど滑らかな手触りで、縫い付けられている宝石がきらりと光った。


 ありがたいが、持っていることすら恐ろしい品だ。




「助かりました。なんとお礼を言っていいか……」




 男は上着を受け取ると、ようやくこちらを見た。


 ドレスを直す間ずっと目をそらしてくれていたのだ。随分紳士なのだなと、なぜか少しおかしかった。




「いいや。それよりもう帰った方がいい。疲れただろう」




 確かに、私はひどく疲れ切っていた。


 あんなことが起こらなかったとしても、慣れないパーティーに辟易していたのだ。




「ええ、ブリスモン伯にご挨拶したらすぐにお暇しようと思います。お心遣い感謝いたします」




「ブリスモン伯には俺から伝えておこう。君、名前は?」




 まさか名前を聞かれるとは思わず、私は面食らった。


 公爵自ら言付けを頼まれてくれるなど、一体どれだけ善良なのか。


 私は一瞬迷ったものの、固辞するのもおかしいかと思い名を名乗る。




「はい。商人を営んでおりますバーデンの娘。アリシア・バーデンでございます」




 すると、名乗った途端にリンディスファーン公の目の色が変わった。




「バーデンだって? それは……奴隷商のバーデン商会のことか?」




 まさか、公爵にまで我が家の名前が知られているとは思わなかった。


 しかもその声の調子からして、明らかに悪印象を抱いている様子だ。




「まさかご存じとは……」




「あまり褒められた仕事ではないな」




 侮蔑には慣れているとはいえ、恩人にこうも態度を変えられるとさすがに悲しくなってくる。




「人の命を売り買いするなど、許されるはずがない。君の父祖はそんなに金が欲しいのか?」




 皮肉を言われて、悲しみを通り越して怒りがわいてきた。


 そもそも人の命を売り買いすると決めたのは私の家族ではなく王家や貴族だし、そこに名を連ねている彼にはそんなこと言われたくない。


 しかも彼は、私が誇りに思っている家族をけなした。


 それは自分が貶されることよりも、何倍も耐え難いことだった。




「助けてくださったことには感謝いたします。ですが! そのような素晴らしい上着を纏っている方に何が分かるのでしょう? 宝石一粒を掘り出すためにどれほどの奴隷が酷使されているかご存じですか? あなたの屋敷に、奴隷が一人もいないとでも!? 確かに当家は奴隷を売り買いしておりますが、少なくとも商品である奴隷を蔑んだり酷使したりは致しませんっ。当家は、金儲けのために奴隷商をしているわけではありませんから!」




 口からあふれてきた言葉を全て吐き出し終えると、私は脱兎のごとくその場から逃げ出した。


 頭が真っ白になって、何も考えることができなかった。


 あろうことか公爵に失礼な口をきいてしまったと後悔するのは、帰りの馬車の中でようやく一人きりになってからだった。


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