初恋の約束
トト
初恋の約束
『三十歳になったら結婚してもいいぜ』
中学時代付き合っていた彼が、別れ際に言い放った無茶苦茶な約束。
そんな約束信じていない。
信じてないけど……。
朱美は高志と別れた渋谷のモヤイ像の前で立ち止まった。
卒業してから一度も会ってもいないし連絡もしていない。
何の保障もない一方的な約束。
それでもそれを言われた時、うれしかったのを覚えている。
時計を見る。
約束の時間を一分すぎていた。
(来るわけないか、ってか覚えてないか……)
ちょっと残念なような、それでいて安心したような気分になる。
「ちょうど近くを通る用事があったから、寄ってみただけだし」
ここに来るまで何度も心のなかで呟いていた言葉が、自然に口から漏れた。
「でも、むかつくな、自分から約束しといて忘れるなんて。まあ私も信じてなかった
し、本当用事がなければ来ることもなかったから、いいけどさ」
誰に聞かせるでもなくそう呟いて、モヤイ像見上げた。
まるでモヤイ像の返事を待つように、朱美はしばらくそのままの姿勢でいた。
正直彼が約束を覚えていて来ていたら、という淡い期待はあった。
ここ一週間『俺だけど、約束覚えてる』と、照れたように電話をかけてくる夢をみたりもした。
そんなに気になるなら自分から連絡をすればいいと思うだろうが、プライドがじゃまをしてそれもできなかった。いや本当は、約束なんて覚えてないといわれるのが怖かったのかもしれない。
結局朱美の期待するような連絡は来ることはなく、かわりにかかってきたのは、女友達からの買い物の誘い。
しかしその買い物の場所が彼との約束の場所の近くだと知り、結局偶然立ち寄ったという設定を自分の中に作りこの場まで来たのだ。
再び時間を確認する。
五分過ぎていた。
普段なら遅刻とも感じない時間だったが、その時の朱美にとってはすごく長い時間待った気がした。
(後十分待って現れなかったら、行こう)
友達との待ち合わせ時間にはあと一時間ここで待っても余裕があるのだが、そんなに待つことはとても耐えられそうになかった。
十分を一時間にしたところで来る保障はないのだ、それならばどこかで踏ん切りをつけなければ。
「どうせ来るわけないんだから」
呟きながら、朱美は一分一秒と進んでいく時計と睨めっこしながらその時を待った。
「あの」
突然背後から声をかけられた。
(えっ!)
足の先から頭のてっぺんまで電流が駆け巡ったかのように、ビクリと体が跳ねあがる。
(まさか!)
一瞬で朱美の時間は中学時代に戻る。
破裂寸前の心臓を抑えながら、後ろを振り返る。
頭の中ではすでに若かりし姿で見詰め合う二人の姿が思い描かれていた。
「――――!」
一瞬全ての音という音、色という色が消え失せた。
頭の中が真っ白になる。
そこにはリュックを背負いチェックのシャツをジーンズの中にきっちりと収めた「アキバ系の男ってどんな人だと思う?」という質問をする人物がいたら、ズバリ彼ですと指差せるほどの人物が立っていた。
(思い出が! 夢が!)
何かが崩壊していく音を聞いた気がした。
朱美はハッと我にかえるやいなや、自分の鞄の中に手を突っ込み何かを探し当てると言い放った。
「私! 結婚したの」
「ハチ公にはどういけばいいのですか?」
朱美と男の言葉が重なった。
『…………』
見ろといわんばかりに男の前に突きつけた左手を、そのままゆっくり右に向ける。
男は少し怪訝そうに朱美を見詰めながら、それでも軽く会釈するとその方向に歩いていった。
一気に脱力した。
「まぎらわしいんだよ! 大体あんなオタク系が私の初恋の高志くんなわけないじゃない!」
男の姿が見えなくなると、朱美は思わず指差した方角に向かって叫んでいた。
それから一瞬でも勘違いした自分に腹がたって、わけもわからずモヤイ像の周りを歩きまわる。
「あぁ、もう」
いったい何周まわっただろう、ふと自分の指に光る指輪を見て立ちどまる。
「別に隠すつもりだったわけじゃないんだけど……」
なんとなくはずしてしまった結婚指輪。
「罰があたったのかな」
自嘲するように小さく笑う。それから旦那の代わりに指輪に向かって謝罪した。
「これで過去の思い出とはさよならだ」
気合を入れるようにそういうと、顔を上げ胸を張りしっかりした足取りで友達との待ち合わせ場所に向かって一歩を踏み出した、その時だった。
「朱美ちゃん」
聞き覚えのある声が耳に飛び込んだ。
「高志、くん……」
目の前には間違いようもない、中学時代の面影そのままに素敵な男性に成長した彼が立っていた。
「遅れてごめん。覚えていてくれたんだ」
照れくさそうにはにかむ彼を見た瞬間、朱美はとっさに後ろに隠した手から結婚指輪をはずしていた。
初恋の約束 トト @toto_kitakaze
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