第66話 一遍上人、世直しの大望





 文永11年(1274)、佐渡島へ流されていた日蓮聖人さまが法難の罪を減じられ、甲斐身延に草庵を結ばれたという話が風のうわさに聞こえてまいりました。


 試行錯誤されて独自の修行を積まれた一遍上人さまは、浄土宗の法然上人さまや親鸞聖人さまよりも、日蓮聖人さまに深く傾倒されるようになっておられました。

 

 ――法華と名号は一体なり。法華は色法、名号は心法なり。色心不二なれば、法華すなわち名号なり。故に観経には「もし念仏せむ者は、これ人中の分陀利華ぶんだりけ」ととく。分陀利華とは蓮華なり。さて法華をば薩達達摩分陀利華経さつだるまぶんだりけきょうといへり。

 

 かつて、その日蓮聖人さまが鎌倉幕府に提訴状を突きつけて信心を迫られたように、一遍上人さまもまた、鎌倉に入って執権と渡り合い、法力をもってまつりごとを動かそうという大望を、いつしか抱かれるようになっていたのでございます。


 当時の武家社会には、のちに言うところの「弘安の役」による死傷者があふれ、そのうえ、打ちつづく旱魃かんばつや飢饉のために世相は混沌としておりましたので、仏のお導きによる世直しを図ろうとなさったのでございましょう。


 けれども、そのお考えには、すべてを捨て去ることを究極の目的とする遊行僧の発願としては致命的な矛盾を含んでおり、一歩間違えれば天下乗っ取りの野望とも見紛われる危険性をはらんでいたことは、だれの目にも明らかでございました。

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