第65話 超二房の初恋





 雪に埋もれた北の国から秋津洲あきつしまを少しずつ南下してまいりますと、ひと足ごとに春に近づいて行くことが実感されました。


 白梅紅梅の香が鼻先をかすめ、桜の蕾がほころび、桃や杏が紅色の花を咲かせ、そこに辛夷こぶし木瓜ぼけ木蓮もくれんも彩りを添えます。すみれ、たんぽぽ、蓮華草が咲き初めた黒い大地には蟻が這い、みみずがくねり、もぐらが顔を覗かせます。


 遊行とともに、季節はどんどん進みます。

 郭公の声を楽しみながらの山道、喉を潤す鹿と並んで手拭いを浸す真夏の谷川、狸の尾が見え隠れする紅葉の峠、そして、再び犬どちが駆けまわる山里の冬……。


 春夏秋冬、どの季節においても、わたくしたちの遊行はまったく変わりません。

 歩き、念仏賦算を積み、歩き、夜は自然の一部と化しつつある身体を横たえる。

 

 ――人間という厄介な存在は、地上に生える1本の草とどう異なるのか。

 

 そんなことを自問自答させられる長い歳月は、自ずから俗世間に住む人たちとは異なった人間性を培い、いつしか時衆ならではの文化風土が生まれておりました。


 幼いころからその環境で成長し、いつの間にか思春期を迎え、間もなく15歳になろうとする超二房の将来が、当時のわたくしの最大の悩みになっておりました。


 もうひとりの親である一遍上人さまにご相談したくても、これまで同様、大きな才槌頭を振り立て、ひたすら前のめりになって先を急がれるばかりでございます。


 わたくしが申すのもなんでございますが、遊行の荒旅にあっても、わが娘の肌はあくまで白く、肌理きめこまかく、上品でやさしげな顔立ち、ほっそりした姿かたち、申し分のない器量よしに育ってくれておりますので、愛しゅうて愛しゅうて……。


      *

 

 わたくしたち時衆一行が、ある山里を通りかかったときのことでございます。

 ふと気づくと、超二房のすがたが見当たりません。慌てて振り返ってみますと、村の腕白坊主どもに石で追われ、青くなって逃げて来るところでございました。


 土地の豪族の娘の刺繍入りの豪奢な着物に見とれているところを見咎められ、「汚らしい乞食尼めが生意気な!」と追い立てられたのだそうにございます。

 泣きじゃくる娘が哀れで、わたくしは怒りと悲しみでいっぱいになりました。


 ――伊予におれば、美しい着物や帯に不自由させなかったものを……。


 素知らぬ顔をなさっている上人さまを深くお恨みせずにいられませんでした。


      *

 

 そんな超二房が、いつしか心を寄せ始めた若者がいることに気づきました。

 山道でくちなわに竦んでいるところを助けてくれた市阿弥陀仏さま、娘より7歳年長の時衆で、佐久伴野荘から弟子入りした、寡黙で生真面目な青年僧でございます。


 そのうちに、超二房はわたくしや念仏房さまと離れがちになり、市阿弥陀仏さまと肩を並べて歩きたがるようになりました。弾んだ足どりで歩きながら、頭ひとつ高い青年の顔を見上げては頬を輝かせている超二房はあきらかに恋をしています。


 うっかりわたくしが近寄りますと、さも煩わしそうな素振りまでするようになりましたが、母親とはおかしなものでございますねえ、そのことが無性にうれしくてならないのでございます。ふたりの仲がいっそう発展するよう願っておりました。

 

 でも、父親の気持ちは母親とは正反対であるらしく、一遍上人さまはまことに苦々しげな表情を背け、まともにふたりを見ようともなさいません。あれほどきびしい修行を積まれた上人さまも一介の父親であったかと微笑ましく思われました。


 そんなとき、助け舟を出してくださるのは、やはり念仏坊さまでございました。


「ほほほほ、いじらしいではございませぬか。時衆とて恋がご法度という決まりはございませんでしょう。第一、ここだけの話、お上人さまにしてから……。まあ、それはともかく、さあさあ、あちらへ行って市阿弥陀仏さまとお話をなさいませ」


 既成事実にしようというご配慮からか、敢えて朗らかに超二房の背を押してくださり、一方、上人さまにもさりげないお心配りをしてくださるのでございました。

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