第64話 山賊の老母の懇願を断乎拒否





 痛恨の一件があってしばらくしたあと、相変わらず雪の山中を遊行しつつ念仏札配布の研鑽を積まれている一遍上人さまを、ひとりの老婆が訪ねてまいりました。


 ふたりの尼をさらったうえ他阿弥陀仏さまに致命傷を負わせた山賊の棟梁の母親と名乗ったその老婆は「自分の夢のなかにおいて御僧の杖で身体を突かれた息子が中風に罹ってしまったので、どうかお情けを賜りますように」と泣いて申します。


 ――われ、知らぬことなり。いろうに及ばず。


 怒りも露わに即座に拒否なさった一遍上人さまは、厚かましくも重ねて懇願する老婆を「さらば。ゆきてみるべし」と突っぱねられ、一顧だにされませんでした。


 3人の愛弟子を奪われたのですから当然とはいえ、その烈しい拒絶に武士の時代の面影を見つけたわたくしは、知らず知らず敬遠の気持ちに駆られておりました。


 わたくしの畏怖を敏感に察せられたがゆえか、あるいはまた、後日、武蔵国石浜に着いたとき、一度に5人もの病人を発生させてしまい、そのうち、九州から同行していた最古の時衆の顧阿弥陀仏さまが往生されたことにいたく落胆されたのか、孤独な一遍上人さまは、追ってつぎのようなさびしい歌をお詠みになりました。

 

 ――のこりゐて むかしをいまとかたるべき こころのはてを しる人ぞなき

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