第56話 超一房、踊念仏を開始





 ふと気づくと、わたくしは立ちあがっておりました。

 そして、法衣の裾を蹴り上げ、ひょいひょいと躍り出していたのでございます。


 ひとたび踊り始めると、わたくしの手足は勝手に動き出しました。

 時衆の念仏称名に乗り、身体が軽々と飛び跳ねるのでございます。


 念仏房さまも鉦鼓を打ち鳴らして踊り始めました。

 いつの間にか超二房も楽しそうに踊っております。

 他阿弥陀仏さまを初めとする僧たちまで、無骨な手足を振りまわし始めました。


 そして、ついに一遍上人さまご自身が立ちあがられたかと思うと、裸足でお屋敷の縁先に駆け上り、鉢を叩きながら音頭を取り始められました。強く烈しく、弱く囁くように、ふたたび強く、弱く……音頭は美しい歌舞音曲に変じておりました。


 息を弾ませ、手足や首を打ち振って踊るわたくしの内部を、言い知れぬ喜悦が、稲妻のように駆け抜けてまいりました。やがて訪れた絶頂感とさわやかな解放感。おびただしい汗とともに、ことごとくの苦悩が流れ出て行くのでございます。


 醜いものが浄化される、この快感……。

 満たされたわたくしの脳裡を、遠い昔の懐かしい情景が過ぎってまいりました。


 少女のころ、初夏の時節ごとに故郷の村で舞った早乙女の田楽舞い。赤い腰巻で謡い舞う乙女たちを思い描きながら、わたくしは再び足を踏み鳴らし始めました。


 自然発生的に起こったとつぜんの出来事を、呆然と見守られる伴野さまの前で、一遍上人さまは初めての「踊り念仏」のもようをつぎのような歌に詠まれました。


 

 はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの

            のりのみちをば しる人ぞしる


 ともはねよ かくてもをどれ こころごま

            みだの みのりと きくぞうれしき


 

 それから数日、時衆は同じ小田切の里のお武家さまのお屋敷で、また伴野さまのご一族に当たる大井太郎朝光さまのお屋敷で「踊り念仏」のご供養を行いました。


 ことに大井さまのお屋敷には近隣の人びとが数百人も押し寄せて来て、わたくしたちと一緒に三日三晩踊りつづけたので、ついに縁側の板が抜けてしまいました。


 ですが、ご一家うち揃って一遍上人さまに帰依なさっていた大井さまはいっさいお咎めになりませんでした。分けても熱心な太郎さまの姉上さまは、わたくしたちが佐久を出立したあと、抜けた縁を記念にと大事に保存されたそうでございます。

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