第38話 帰郷し還俗した尼たち





 河野郷へもどった3人を、聖戒さまが手厚く迎えてくださいました。


 足を洗う湯桶を運ばせたり、粥を用意させたり甲斐甲斐しくお世話くださる聖戒さまは、すっかり一人前の男になっておられました。さびしげな陰翳を刻んだ横顔が上人さまに似ていらっしゃるようで、わたくしは人知れず胸を疼かせました。


 旅からもどってみますと、故郷はしみじみとありがたいところでございました。

 心置きなく身を任せられる場所があるということがどんなに幸せなことか、わたくしたちは身をもって味わいながら、思う様のびのびと手足をくつろがせました。


 寝所を探さずともよい。

 夜盗に怯えずともよい。


 それがどれほどありがたいことか、そして、女の身でありながら出家したことがどれだけの暴挙であったか、われながら呆れ果てる思いでございました。



 帰郷してほどなく千都さまが節子さまを連れてやって来られました。在家のまま尼になった千都さまは、病気のお父上の看病のため実家へもどっておられました。


「当分のあいだお目にかかることはできないと思っていた綾乃さまとこんなに早く再会できるとは。菜々さま、また節子と遊んでやってくださいませね。これからはずっとこちらに?」そう言いながら千都さまはわたくしの目を覗きこまれました。


 面映ゆいことには、当分のおいとまを告げてからまだ半年ですから、怪訝に思われても当然でございますが、千都さまと寵愛の順位を競い、勝ち誇った気持ちで上人さまに随行したわたくしでございます、いまさら打ち捨てられたとは申せません。


「尼の身をお気遣いくださる上人さまの仰せに従ったまでにございます」

 昂然と言い放つわたくしに、念仏坊さまはそっと目を伏せられました。


      *

 

 髪を伸ばし、彩りの華やかなうちぎを装い、ふつうの女にもどってみますと、出家の期間はうつつではなく、幻か異界であったかのように感じられてまいりました。


 念仏坊さまは以前のように厨に入られ、屋敷にもどった千都さまとわたくしたち二組の親子はそれぞれの居室を行き来し、姉妹のように睦まじく暮らしました。


      *

 

 それから4回目の春を迎えるころ、異変が起こりました。

 仏道修行に京へ上っていた実有さまの帰郷でございます。


 上人さまの出家を承知の実有さまは当然の如くわたくしを訪ねてまいりました。

 当初こそ堅く拒んでいたわたくしですが、枝折戸しおりど越しの懇望がたび重なりますと、つい情にほだされ、過去のあやまちを悔いる気持ちも薄らいでまいりました。


 そんな自分への言い訳のように、旅先の上人さまの冷たさが思い起こされ、あの方はもうわたくしのことなど眼中にないのだ、ならば、いっそ……と、不埒な思いに駆られるのでございます。


 そして、あわやというとき、念仏坊さまがわたくしを訪ねて来られました。

「綾乃さま。わたくしはやはり、もう一度、遊行に出たいと思っております」


 即座にわたくしは答えました。

「わたくしもそのように念じておりました。ご一緒に上人さまのもとにまいりましょう。そして、今度こそ浄土への道を歩き通しましょう」


 念仏房さまことぬえさまの手を握りしめました。鳶色の眸にちらちらする悲しみの翳が、再出家の理由を詳らかにされない苦悩の深さを如実に語っておりました。

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