第34話 同行等をはなちすてつ
そして、上人さまはここで決定的な指示を申し渡されました。
「ここから先はわしひとりで遊行する。わぬしらは3人で国もとへ帰るがよい」
おそらく、わたくしは蒼白になっていたはずでございます。
先述のとおり、思い当たる節が十分にございましたので。
ついにそのときが……恐ろしさに打ち震えました。
念仏房さまは黙って聞いておられました。
超二房は不思議そうに小首をかしげて父親を見上げました。
無心な眸を真正面から受けた上人さまのお顔にかすかな笑みが浮かびましたが、それ以上、何も仰せにならず、小さく念仏を称えられたのみでございました。
文永11年(1274)6月13日、上人さま36歳の初夏の出来事を、国もとの聖戒さまに書簡でお知らせになっていたことを、わたくしはあとで知りました。
――いまはおもふやうありて同行等をもはなちすてつ。
また念仏の形木(版木)くだしつかわす。
「わぬしらを救ってくれるのは、この南無阿弥陀仏の名号だけじゃ。大切にせよ」
懇ろに念仏称名をしながら3枚の念仏札を授けてくださったのは、念仏房さまやわたくしはさておき、年端もいかぬ超二房の無事を祈ってのことでございました。
これより少し前、上人さまが山道で出会ったひとりの僧にいつもどおり念仏札を授けようとされたとき「いま一念の信心おこり侍らず。うけば
驚いた上人さまが「仏を信ずる心、おわしまさずや」と問うと、その僧は「経教を疑わずといえども、信心の起こらざることは力及ばざることなり」(疑っているわけではないが、信じているわけでもない)と答えたのでございます。
その夜、山伏に身をやつした熊野権現さまが上人さまの夢枕に立たれました。
――融通念仏すすむる
いっとき気を失った上人さまが目を開けてみると、歳のころ12~13歳ほどの童子が100人ばかりいて、上人さまの手から念仏札を次々に受け取ると、
――なむあーみだーぶつ
なむあーみだーぶつ
なむあーみだーぶつ……
うれしそうに称えながら、みんなで何処へともなく立ち去って行きました。
念仏札を強要した行為の是非を自問されていた上人さまは、この夢告により、そのようなことを思い惑うこと自体が不遜であることに気づかれたのでございます。
この出来事が直接の発端になり、わたくしたち3人を帰郷させる決意をなされたのでございますが、それとは別に、わたくしは我執ばかりにとらわれていたおのれの浅ましさを恥じずにいられませんでした。
思い返せば、遊行に出る前、上人さまはこう仰せになられたのでございます。
「よいか、これからは妻でなければ夫でもない。女でも男でもなくひとりとひとりの修行僧になるのじゃ。それができるか? できねば連れてまいるわけにゆかぬ」
なのに、凡愚の最たるわたくしときたら……。
*
この年の10月20日、筑前国博多湾に蒙古の大軍が襲来し、迎え撃った九州の御家人に多数の戦死者を出しました。のちに言う「文永の役」でございます。
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