第35話 念仏房の悟り





 上人さまに打ち捨てられた3人は、悄然として伊予への帰路をたどりました。


 超二房は「ねえ、かかさま。ととさまはなぜひとりでお発ちになったのですか。わたくしたちが一緒でなくてもさびしゅうはないのでしょうか」いかにも不思議というように訊ねておりましたが、そこはやはり子どもでございます、早くも帰郷への期待、とりわけ節子さまとの再会に心を弾ませているようでございました。


 ぎこちないわたくしに声をかけてくださったのは念仏房さまでございます。

 わたくしから嫉妬の目で見られて、かなり閉口されていたはずですのに、そんなことなどいっさいなかったかのように、親しく話しかけてくださいます。


 でも、心根の狭いわたくしは、わだかまりを捨てることができません。

 素直にあやまる、我執を捨てて無になることがどうしてもできません。

 醜い心を知られたくなくて、さらにおのれの殻に閉じこもってしまう。

 それが「にわか出家」であるわたくしという尼の本性でございました。

 

 念仏房さまはそんなわたくしに、少しずつ身の上話をしてくださいました。


 飢えに怯えた幼時のこと、炊き女として河野家に雇われ、通広さまの想い女となり聖戒さまをお産みになったものの、通広さまの後妻に気が咎めたことなど……。

 でも、愚痴めいたことはいっさい口になさいません。

「こうして振り返ってみますと、あのこともこのことも、いずれも楽しい思い出でございます」むしろ懐かしそうに淡々と仰せになるのでございます。


「わたくしはいま、しみじみと思うのでございます。縁あってこの世に生を受けたわたくしが多くの方のお世話になっていろいろな経験を積み、さまざまな感懐を味わい、彩りに満ちた半生を送ることができて本当によかった、幸せであったとね」念仏房さまの語りには、聞く心を打たずにおかない情趣がこめられておりました。


「つい数日前まで、上人さまのお導きを受けたわたくしたちは、そんな半生に別れを告げ、俗世間とは隔絶した念仏行脚の旅を行っておりましたが、そして、いまは逆に、再び郷里への道をたどっているのでございますが、結局はどちらも同じことなのではないでしょうか」


 一歩一歩足を運びながら、念仏房さまは静かに語り継がれます。


「在家に生きるも出家に生きるも、人としてのすがたが異なるだけで、本当はまったく同じことなのだ。そんなふうに思えてならないのでございます……あら、わたくしったら、おかしなことを申し上げました。どうかお聞き流しくださいませ」

 

 ――この方はいつの間にここまで大きくなられたのだろう。

 

 細面の小づくりのお顔を、わたくしは驚きの目で見つめました。


 誇り高い河野家で、炊き女上がりの妾として虐げられて来た方が、いまは修行者のような悟りを口にされている。それもご自身の体験や苦悩のなかから自然に会得されたものであることが、圧倒的な説得力を持って迫って来るのでございます。


 自ら申し出て出家したのに、かつての夫への甘えを捨てきれなかった。

 そんな自分の愚かしさを、わたくしは痛いほどに思い知らされました。


 そして、あのとき出家を申し出た心の底には、宿縁の恋敵・千都さまを出し抜きたい、上人さまを独占したいという卑しい気持ちが、間違いなくひそんでいた……浅ましい事実を目の前に突きつけられ、いまさらながら暗澹といたしました。


 上人さまはそんなわたくしの本心を見抜いておられたのでございましょう。

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