第29話 四天王寺で念仏札配布賦算の願い




 何事もなかったように旅はつづきました。


 3人が3人とも、去って行った聖戒さまを偲びながら、その名を口にしません。

 ただひとり、超二房のみが「かかさま。聖戒兄さまはいまごろどのあたりを歩んでいなさるじゃろう。怪我をされたりお腹が痛んだりされてはおらぬか、わたくしは心配でなりませぬ」と申して、ため息をついたり塞ぎこんだりしておりました。


 このころ、あちこちの山道には山賊や追剥ぎが出没しておりましたので、超二房の心配もまんざら的外れではなかったのでございます。


 聖戒さまと別れたわたくしたちが、最初にたどったのは海路でございました。


 聖徳太子さまご創建と伝えられる四天王寺は、阿弥陀信仰の中心的な古刹でございました。西門の果てに沈む夕日を極楽浄土の光と見なす信徒が声高らかに念仏を称えながら入水往生する「日想観にっそうかんの行」の霊地として知られるこの寺で、上人さまが女犯戒にょぼんかいの誓いを立てられたことを、わたくしはずいぶんあとになって知らされることになります。


 同時に上人さまは、衆生救済の道として念仏札配布賦算の願もかけられました。

 おそらく信濃・善光寺の妻戸衆のお札配りが念頭にあったのでございましょう。


 縦2寸、幅7寸ほどの紙片に「南無阿弥陀仏」と刻印した札を頭陀袋に入れて、遊行の途次に行き交う僧尼はもとより、折烏帽子の武士や被衣かずきすがたの姫、菅笠の民百姓など、ひっきりなしに参詣する老若男女に配って歩くのでございます。

 さようでございます、時も人も選ばず……。


 ただ、のちに時衆独特の普及活動とみなされる物乞いなど最下賤の者への賦算は当初は行われておりませんでした。このころの上人さまはまだ、異形の者たちへのお情けはあれど、賎民を不浄と見なす心を捨てきれなかったのでございましょう。


 なれど、同時に、

 

 ――もし我仏と成らんに、国中の人天にんてん形色ぎょうしょくおなじからずして、好醜こうしゅあらば、正覚しょうがくはとらじ。(『無量寿経』48願中の第4願)

 

 人と天に美醜の別があり差別しゃべつが残るならば正覚(悟り)はとらないという熱い思いが、上人さまの胸を過ぎったこともまた、まぎれもない事実でございました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る