第28話 聖戒との桜井の別れ





 よくしたもので、わたくしたちは日一日と遊行に馴染んでまいりました。

 当初は薄気味わるく思われた空き寺の荒れた堂宇や縁の下での野宿にも少しずつ慣れ、そのうちにれ菰を探して一夜の寝床を作る工夫も自然に覚えました。


 意外にも、一番の働き手は超二房でございました。

 子どもはどんなことも遊びにしてしまう天才でございます。

 やむなく山中の岩穴に泊まったり、崖下のわずかな窪みに身を横たえねばならぬときも、ままごと遊びのように楽しむ術を知っております。

 おかげで大人の惨めな思いも薄らぐのでございました。


 

 出立から6日目、与州今治の桜井という地籍に着いたとき、上人さまは聖戒さまにとつぜんの別れを申し渡されました。荒れ寺の堂宇に呼ばれた聖戒さまがひとりで出て来られたとき、目に涙を浮かべておいでのようでした。


「聖戒とはここで別れじゃ。河野郷にもどってもらわねばならぬ」


 上人さまから告げられたとき、わたくしは念仏房さまと顔を見合わせました。

 あるいは念仏房さまは予感されていたのでしょうか、ものかげで懸命に聖戒さまを慰めておいででした。そんな母子を横目に、わたくしの心は揺れておりました。

 

 ――もしや上人さまは……。

 

 この先、ますます年頃になる聖戒さまとわたくしの間に何事か起こりそうな予感を持たれたのでは? 思い上がり半分に、本気でそう恐れていたのでございます。


 事実、遊行に出てからも、聖戒さまはときどき昏い目をわたくしに向けて来られましたし、わたくしもまたそんな聖戒さまを憎からず思っていたのでございます。


 そのときのわたくしは、上人さまから聖戒さまへの謎めいた言葉、

 

 ――わしが臨終のときは、再び相まみえるであろう。

 

 そのことをまだ知らされておりませんでした。

 

 哀れを留めたのは超二房でございました。

 菜々は歳の近い叔父・聖戒さまを実の兄のように敬慕しておりましたので、別れを納得させるのに苦労いたしました。

「いやでございます。わたくしは聖戒兄さまと、ずっと一緒に旅をしたいのです」

 しきりに泣きじゃくるのを宥めながら、父親でありながら娘に慰めの言葉ひとつかけようとしない上人さまのお気持ちが、つれなく思われてなりませんでした。


 思えば、この子も哀れな身の上でございます。

 物心ついたと思う間もなく父親に出家され、さらにはいま、同じ道をたどろうとする母親に伴われて、何処へとも宛てのない流浪の旅に出ているのでございます。


 生地の河野郷にあっては、同じ年ごろの子どもたちが人形遊びやままごとに興じ、美しい着物を着せてもらって蝶よ花よと育てられているのに、不憫にも黒髪を落としたこの子は、あまりにも地味な墨染めの衣ひとつに身を託し、土ぼこりに塗れて、ただひたすら歩きつづけねばならないのでございます。子どもは生まれて来る家を選べぬと申しますが、世間一般と異なる両親のおかげで、この子は……。

 

 聖戒さまはあとを振り返り振り返りしながら、西方へもどって行かれました。

 このときのことは『一編聖絵』につぎのように記されております。

 

 ――聖戒、5、6ヶ日をくりたてまつりしに、同国、桜井といふ所より、同生を花開の暁に期し、再会を終焉の夕にかぎりたてまつりていとまを申侍りき。むかし陳雷ちんらい膠漆こうしつのちぎりをむすびし、最後たがふことなかりき。いま師弟の現当の約をなす、本懐あにむなしからむや。「臨終の時はかならずめぐりあふべし」とて名号をかきてたまひ、十念さづけなどし給ふ。後会こうかいを西土の月に期すといへども、離憂を南浮の雲にしのびがたければ、悲涙ををさへて東西にわかれ侍りぬ。

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