第26話 聖戒の生母・ぬえのこと




 先述のとおり、ぬえさまは上人さまの父上・通広さまの想い女でございました。

 もとは河野家の小作人の娘で、かしとしてくりやで働いているところを見染められたとか。


 秘事はやがて後妻(上人さまの継母)の知るところとなりました。

 闇夜に受けた傷もあって病気がちな長男・通朝さまや、遠く九州に仏道の修行に赴いている次男・智真さまを差し置き、わが子・通友にこそ河野家を相続させたいと目論んでいた継母の方は、夫・通広さまの末子となる聖戒(宝珠丸)さまを産んだぬえさまに辛く当たり、周囲にも同調するよう強要していたそうにございます。

 

 なれど、ぬえさまはもともと聡明にして忍耐強い女性でしたので、ただただ幼い息子を守りたい一心で、どんな理不尽にも堪えておいででした。家内の修羅を見て見ぬふりをしている通広さまには、ずいぶんと落胆されたようではございますが。


 そんな状況でございましたから、通広さま亡きあとに還俗されたわが上人さまに母子一緒に引き取られることになったぬえさまの感激は、拝察して余りあります。


 万事において控え目な方でいらっしゃいましたので、上人さまの再三の勧めにも「いえ、滅相もございません、わたくしども親子にお部屋など、もったいのうて。人には分というものがございますゆえ」と固辞なさり、そればかりか、「いままでどおり厨で働かせてくださいませ。それがわたくしの生き甲斐でございますゆえ」と申し出て、若い炊き女たちに率先して働いておいででした。


 申し遅れましたが、ぬえさまはわたくしの姑の立場にある方ではございますが、年齢においては大差がございません。『一編聖絵』には老尼として地味に描かれておりますが、身内を目立たせたくない聖戒さまのお心配りでございましょう。


 実際のぬえさまは、わたくしにとりまして姉のような存在でございました。そのぬえさまも、実は深刻な悩みを抱えていらしたことをのちに知ることになります。

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