第22話 をこりやすきは輪廻の妄念





 けれども、実際は、上人さまは、もっとずっと高みに上っておられました。

 のちに弟子たちに残されたお言葉が、尊い事実を如実に物語っております。

 


 ――自力のとき、我執憍慢がしゅうきょうまんの心はおこるなり。

   その故は、わがごとく心得、わがごとく行じて生死を離るるべしと

   思ふゆへに、智恵もすすみ、行もすすめば、われ程の智者、

   われ程の行者はあるまじと思ふて、身をあげ、人をくだすなり。


   他力称名に帰しぬれば、憍慢なし、卑下なし。

   その故は、身心を放下して無我無人の法に帰しぬれば自他彼此の人我なし。

   田夫野人、尼入道、愚痴、無智までも平等に往生する法なれば、

   他力の行といふなり。



 自分こそは苦しい行を成し遂げたのだ。

 誇らしさに彩られた自信、すなわち驕慢をもすべて捨て去らねばならぬと……。


      * 


 話の都合上、時代が一気に飛ぶことをお許しくださいませ。


 わが上人さまのご往生から10年後の正安元年(1299)、聖戒さまのご発心による『一編聖絵いっぺんひじりえ』(全12巻 絵・法眼円伊ほうがんえんい のち国宝)が完成いたしました。


 その最後の詞書ことばがきに「往事をかへりみて忘却する事をえず。しかるあひだ、一人いちのひとのすすめによりて此の画図をうつし……」とありますように、生前のお上人さまに深く帰依されていた九条関白忠教さまの絶大なるご後援による一大事業でございましたが、その絵巻の随所に格調高い文言が散らし書きされております。

 


 ――春すぎて 秋来れども すすみ難きは出離の要通。

   花を をしみ 月をながめても をこりやすきは輪廻りんねの妄念なり。

   罪障の山にはいつとなく煩悩の雲あつくして 仏日のひかり眼にさへぎらず

   生死の海には 常時に無常の風激しくして 真如しんにょの月やどる事なし。

   生を受るにしたがひて 苦しみにくるしみをかさね 

   死に帰するにしたがひて くらきよりくらき道におもむく。

 


 生死の境を彷徨う苦行を積んでなお、我執や煩悩を捨て去ることができない凡愚であることよ……血を吐くようなお言葉は後世に渡る万人のものでございました。


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