第18話 密会の罪業





 二度目の出来事は、わたくしが上人さまに嫁いでから起こりました。


 やはり蒸し暑い夏の夜、開け放った部屋で菜々を寝かしつけていたわたくしは、だれかに見られているような気がして目を上げると、垣根の向こうの月明りに、清々しい少年時代とはすっかり面変わりした実有が立っておりました。


 周囲の話では、ひんぱんな遊女屋通いを咎められ、頑固に反抗して詫びなかったため破門とされ、いやも応もなく故郷へもどされたということでございました。


 そんな暗いうわさを裏付けるかのように、それからもときどき庭の向こうに潜むようになった実有には、隠しようもない荒みが滲み出ているように思われました。


 そのことがわたくしを不安にさせましたが、ことがことだけに、夫に打ち明けるわけにまいりません。わが胸ひとつに収め、何事もないことを祈るばかりでした。

 

      *

 

 ところが、不安は的中してしまったのでございます。

 上人さまが親戚の家に出かけた夜、実有は再びわたくしに強い力を加えました。


 そのことを夫に内緒にしておいたのがいけなかったのでございましょう。

 むしろ開き直ったようにすがたを見せるようになった実有の所作はしだいに大胆になり、わたくしへの狂気じみた執心ぶりに空恐ろしいものを感じておりました。


 そんなときに、先述した歳末の夜の刃傷事件が起こったのでございます。


 お呼ばれからの帰途、いきなり斬り付けて来た賊の太刀を奪い取り、逆に、賊のひとりの命を奪った夫が肩をあえがせながら「あれは兄上を襲った弟の手の者ではなかろうか。だが、もし、そうでないとすれば……のう、どう思う? 綾乃」そう呻くようにつぶやいたとき、わたくしは、ぎょっとして立ち竦んでしまいました。

 

 ――夫はすべてを知っている。

 

 そう考えたのは、うしろめたいわたくしの思い過ごしだったのかもしれません。


 それから、上人さまはその件にはいっさい触れられず、土地の相続争いひとつを理由にして押し通されました。そして、すべての揉めごとを放り出すようにしてあっさり再出家されてしまうと、わたくしはかえって落ち着かなくなりました。


 すべてをご存知のうえで、なぜ、わたくしを問い詰めようとされなかったのか。

 わたくしを愛していらっしゃらなかったため? 単に面倒を避けたかったため? あるいは、まさかのことに夫自身が千都さまのほかに隠し女を持っていたとか?


 止め処なく疑問が湧いてまいりましたが、問い詰めたい相手は遠い旅の空。ときに罪科にさいなまれて思い詰め、ときに自暴自棄になり……振幅の大きい心を持て余しておりましたところへ、すっと入りこんで来たのが、またしても実有でした。


 いえ、それではあまりにも自分勝手な解釈でございます。

 正直に申しますと、わたくしはいつか実有を待つようになっておりました。

 まことに罪深いことに、わたくしは自分を抑えることができませんでした。


 そんなわたくしに付け入るように、実有は恋文をくれるようになりました。

 

 ――わぬしの眸はわが心を蕩けさせる。

   くちびるは、わが肌を吸い寄せる。

 

 そんな他愛のない内容でしたが、頼りとする夫に襤褸ぼろのように打ち捨てられた思いに打ちひしがれていたときでございましたので、そんなわたくしをこれほど大事にしてくれる人がいるということは、たまらなくうれしいことでございました。


 ――地獄へ落ちてもかまわない。


 いつしかわたくしは、そんな捨て鉢な気持ちになっておりました。

 

 そんなわたくしが最も恐れていたもの。

 それは少年の、純粋なまなざしでした。


 上人さまの言いつけを守り、日々、千都さまとわたくし、ふた組の母子の世話をしてくれる聖戒さまの真っ黒な眸の奥に、何やら複雑な翳を見つけたときの衝撃!


 わたくしは、わたくしという女の罪深さに、底知れぬ恐怖と不安を感じました。

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