第15話 40年ぶりの大飢饉




 幸いにもと申しますか、当分のあいだ、ふた組の母子がつましく食べていかれるだけのものは確保されておりましたので、辛うじて飢えることもなく、細々とした暮らしを営んでいくことができましたことはありがたいことでございました。

 

 実際、このころ、世間には飢餓に苦しむ人びとがあふれておりました。

 わたくしどものかしの生家では、一家をあげて他国へ逃散ちょうさんしてしまいましたし、小作人の家でも年貢が納められず夜逃げする例が跡を絶ちませんでした。


 食糧が尽きた春先から急に死者が増え、7月に入ると死人を抱いて往来を行き交う光景が珍しくなくなり、野外に放置された遺骸の腐臭が巷に満ちて、天下の人種の三分の一を失す……と言われた「寛喜かんぎの大飢饉」(寛喜2~3年=1231~2)から40年を経たいま、再び悲惨な状況が繰り返されておりました。


 

 さような塀の外の状況を思えば、不平や愚痴を申し立てるべきでないことはよく承知しておりましたので、夫のいない胸のなかの飢餓感は千都さまとふたりだけの秘密になり、秘密の共有は、ふたりの妻をいっそう近づけることになりました。


 千都さまは、あの舌足らずな甘やかな声で「綾乃さま」と慕ってくださり、わたくしはわたくしで、悲嘆を同じくするわが妹よと労わるようになっておりました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る