第13話 善導上人の「二河白道図」




 春から秋まで信濃善光寺に逗留されたあの方……いえ、これからは「上人しょうにんさま」と呼ばせていただくことにいたしましょう、その上人さまが一心不乱に取り組まれたのは「二河白道図にがびゃくどうず」の書写でございました。さようでございます、唐の浄土教の祖・善導上人さまが『観経疏かんぎょうしょ』に描かれた教えを比喩的に描いたという……。

 

      *

 

 ひとりの旅人がいましも浄土への道を進んでいます。

 旅人の行く手には、ふたつの大きな河がございます。


 南方には火焔の河。

 北方には波浪の河。


 現世から彼岸に渡る方途は、その二河の間を縫う、細いひと筋の白い道のみ。

 そのうえ、旅人の背後からは、群賊や悪獣のすがたに化した誘惑や欲望、怒り、恨みなどさまざまな煩悩が、おぞましい雄叫びをあげて追いすがってまいります。

 わずか4、5寸の幅しかない道を無事に歩き通すことはできそうもありません。

 

 我今廻われいまかえるもまた死せん、とどまるも亦死せん、去るも死せん。

 一種として死を免れずば、我むしろ此の道を尋ねて前に向って去らん。

 

 勇気をふるい起こし一歩を踏み出そうとする旅人の耳に「そうだ、それでよい。早く渡って来るのじゃ」という声と「やめよ。その道を進めば危険だ」という声が代わる代わる聞こえてまいります。さようでございます、おのれの内部の声……。

 

      *

 

 妻土衆の塔頭で規律正しい暮らしを営みながら、そんな空恐ろしい絵図を懸命に書写された上人さまは、そのとき、どのようなお心持ちであられたでしょうか。

 

 中路の白道は南無阿弥陀仏なり

 水火の二河は我等が心なり

 二河におかされぬは名号なり

 

 のち「捨てひじり」と呼ばれるようになった上人さまが、人間にとって最も厄介な心まで捨て去ろうと決意されたのは、まさにこのときであったのでございましょう。

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