第3話 海賊から身を起こした河野氏





 さて、ここからは便宜上、敬称は省かせていただきます。


 はるか昔、あの方のご先祖さまは、瀬戸内海を跋扈ばっこする海賊でございました。

 と申しますと物騒に聞こえますが、実際は海賊=海族、制海権を所有し、舟運の荷物や旅人から警固料を徴収する代わりに海路の安全を保障する、いわば海の豪族でもございました。


 伊予国・浮穴うけな山麓から瀬戸内海に進出し、風早かざばや・寺町・北条などの湊を支配したあと、風早郡かざばなごおり河野郷こうのごうに居を移した親経ちかつね河野かわの姓を名乗りましたのが、そもそもの氏の起こりでございました。


 河野親経には男子が生まれなかったので、安倍貞任あべのさだとう一族を討った功により伊予守に任じられていた源頼義の猶子ゆうし・親清を娘婿に迎えました。そのときから河野氏は源氏の家人かじん(家臣)となったのでございます。


 けれども、その親清にも男子が生まれませんでしたので、大三島の三島大明神へ参籠して祈願したところ、その甲斐あって、いわば三島大明神の申し子として誕生したと伝えられるのが、あの方の祖父・河野四郎通信の父・通清でございます。

 

 源平合戦で、祖父・通信は弟・通孝と共に源氏方について河野水軍の威力を発揮したので、壇ノ浦合戦で平氏が滅亡すると伊予国守護に任ぜられ、北条時政の娘・やつ(源頼朝夫人・政子の妹)をふたり目の妻に迎えることになりましたので、通信は頼朝と義兄弟の間柄になりました。


 祖父・通信には、すでに先の夫人とのあいだに長男・通俊がおりました。

 新しく谷との間に生まれたのが、次男・通政と3男・通久でございます。


 さらにのち、3人目の妻として迎えた菊(鎌倉幕府の長老・二階堂行光の娘)とのあいだに誕生したのが、4男・通末、5男・通広、6男・通宗でございました。

 

 壇ノ浦の合戦から3年後、源頼朝から実弟・義経追討の命を受けた通信は、奥州に出陣しましたが、瀬戸内で共に戦った友を討つことはついに出来ませんでした。


 やがて頼朝が没し、2代・頼家から3代・実朝へと代替わりいたしますと、頼朝未亡人・政子、それにその弟・北条義時がまつりごとの実権を握るようになりました。


 政子や義時の意を受けた通信の岳父・二階堂行光が、皇室から将軍を迎えるべくあれこれと奔走したときは、婿の通信も懸命に協力したやに聞き及んでおります。

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