第2話 闇夜の待ち伏せ




 夜は暗黒。

 夜は怖い。


 燈明皿の荏胡麻えごま油が、ぷんと強く匂い立ちます。

 太く、細く、ときに消え入りそうに揺らぐ灯りは、部屋の隅を鈍く照らすだけ。

 のちに中世と呼ばれるようになる時代の闇はとろりと濃く、邸内にも庭にも恐ろしい魔物を棲ませているようで、じっとりと心身にまつわりつくのでございます。


 

      🌑



 あの方が討たれそうになったのは、そんな新月の宵のことでございました。

 4歳になる菜々を寝かせつけていると、異様な音が聞こえてまいりました。


 短く鋭い罵声。

 走り去る足音。

 低い呻き声……。


 はっとして、菜々を抱いて縁先に飛び出し、庭の暗闇に目を凝らしました。

 同時に、廻廊つづきにある母屋からも、人影がまろぶように出て来ました。

 5歳になる節子さまを抱かれた、もうひとりの妻・千都さまでございます。

 うちぎの裾を脚に絡ませながら、千都さまは慌てて駆け寄って来られました。

 無理もありません、妻としては先輩の千都さまはわたくしより3つ下の24歳、少女のようにあどけない面立ち、やさしいお心根の方でいらっしゃいましたから。


 

      🌑


 

 間もなく騒ぎは収まり、荒い息を吐きながら、あの方がもどって来られました。

「何も心配することはないぞ。さあ、身体が冷えきる前に、しとねに入るがよい」

 なれど、法衣ほうえの袖はちぎれかけ、広い額からは、ぬらぬらしたものが……。

 それに、あの方の右手が握った太刀が鮮血に染まっているではありませんか。

 

 怪我の手当てが済んでから、あの方がぽつぽつ話されたところによりますと――


 その宵、幼馴染みのお屋敷で馳走にあずかったあの方は、愉快な時間を過ごしたあと、下男に付き添われ、馬の背に揺られて、上機嫌で帰宅の途に就かれました。


 馬の前に数人の賊が飛び出て来たのは、わが家の門の外、深い竹藪のあたりで、闇から躍り出た賊どもは、いきなり無言で斬りかかって来たそうにございます。


 少年のころから仏門に入られていたあの方が、いつどこで巧みな武術を学ばれたのか不思議でございますが、そこはやはり武家のご出自でございましょう、気合いで賊どもに立ち向かい、もぎ取った太刀で夢中で斬り返されたそうにございます。


「なあに、これしき、大したことはない。むやみに騒ぎ立てるでないぞ」あの方はあくまで強気に仰せになりましたが、千都さまとわたくしはオロオロするばかり。

 

 そこへ下男がやって来て、わなわな膝を震わせ「賊が倒れている」と申します。

 すぐ確かめに行かれたあの方は、先刻よりさらに険しい形相でもどって来ると、喉の奥から絞り出すような声で「あれは兄上を襲った弟の手の者ではなかろうか。だが、もし、そうでないとすれば……のう、どう思う? 綾乃」と問われました。


 ふいに核心を突かれましても、千都さまの前でお答えのしようがございません。

 その件につきましては、おいおい語らせていただくことにいたしまして、まずは複雑な事情が絡み合ったご兄弟のお話から、かいつまんでご説明いたしましょう。


 あの方の弟・通友さまは、父上・通広さまと継母との間のお子でございました。

 当時はまだ長男相続の慣習が出来上がっておりませんでしたので、「御家人」と呼ばれていた武家では、どの家でも土地の相続を巡る諍いが絶えませんでした。


 早くに出家されていたあの方が、なに故に世俗の争いに巻き込まれねばならなかったのか、その理由を探るにはあの方のご先祖さまからお話せねばなりません。

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