マリンスノー

那須儒一

マリンスノー

「…ここは…どこ?」

 降り積もる雪の中にポツリと一人、女の子が立っていた。


 ボロボロの頭巾、すすけて、よれよれになったお洋服。

 あまりに着古されているのか、右肩のそでは破れている。


 女の子は訳もわからず、あたりをキョロキョロと見回す。

「ここは…天国?」


 女の子がそう思うのも無理はない。

 ここでは雪が降っているが、決して寒いわけでも、吹雪くわけでもなく、むしろ安らぎすら感じられる。


 ここは死後の世界。

 次の世界へ生まれ変わる為の準備をするところ。


 私は何故かその事を知っている。


 女の子は生前、貧しい雪国の貧しい村。

 貧しい家庭で産まれ育った。


 幼い頃から体が弱かった女の子は家の仕事を手伝うことが出来なかった。


 そのため、一家の穀潰ごくつぶしとして、家族から酷い扱いを受けていた。


 1日に口にできるのはカビの生えたパン1欠片と、雪を溶かした水のみだ。


 女の子は両親から疎まれ、ろくに食事すら与えてもらえず、年の離れたお兄ちゃんやお姉ちゃんからもののしられ、毎日を湿気しっけわらの上で過ごしていた。


 先ほど“酷い扱い”と言ったが、この国では、ごくごく普通のことであり、日々の生活もままならない中、働けない者を養う余裕は無いのだ。


 この国の王様ですら、召し使いと家族に食事を与えることで精一杯だった。


 どれだけ畑を耕しても、痩せた土地には何も実らず、降り積もる雪で作物は育たない。


 そんな生活に嫌気がさしたのか、女の子は、ある日、家から飛び出した。


 しかし、食べ物も家も無い女の子が、

 外の世界で生きていけるはずもなく、

 降り積もる雪に埋もれながら彼女は息を引き取った。


 気が付くと女の子は雪の上に立っていた。

 自分がどこにいるのかわからず、半ばパニックにおちいる。


 その時、女の子の目の前で不思議な出来事が起こった。


 空に浮かぶ雪雲ゆきぐもが割れ、光が射す。


 雲の割れ目から、白い光に包まれた女性が降りてきた。


 その姿を見て、女の子は私と同じ印象を抱く。

「あなたは…女神様めがみさま?」


 女神様は感情の読み取れない表情、機械的な声で女の子に尋ねた。

「あなたの名前は何ですか?」


 女の子は驚きながらもゆっくりと答えた。

「…マリン」


 どうやら女の子の名前はマリンと言うらしい。


 その返答に女神様はゆっくりと口を開いた。


「死ぬ前の名前を覚えているということは、まだ生前の未練が残っているのですね。それならば、あなたにチャンスを与えます」


「チャンス…ですか…」

 マリンと名乗った女の子は、おぼつかない口調で聞き返す。


「この世界には、あなたと同じように、生まれ変わる準備をしている者が大勢います。その者にたちは皆、“恵みのたま”というものを持っています」


「めぐみのたま?」

 私もマリンと同じで、女神様の言っている意味が分からず困惑していた。


「このたま恩恵おんけいで満たされています。まずは、あなたに1つ、たまを与えます。生前、食べる物に困っていた、あなたには食べ物が詰まったたまをあげましょう。この世界でなら、あなたはどんな食べ物も思い浮かべるだけで、そのたまから取り出せます」


 女神様が話終えると、緑色に輝くたまが女の子の首元に下がり、 ひもくくられた。


「わぁー、すごくキレイ!」

 マリンは、くすんでいた瞳に希望を取り戻すかのように目を輝かせ、そのたまを見つめていた。


 喜ぶマリンに女神様は話を続けた。

「そのたまは他の者から貰ってもいいし、奪ってもいい。あなたが満足するだけ集めたら、私を呼びなさい。たまに込められた恩恵おんけいは、生まれ変わった人生でも引き継がれます」


「“おんけい”ってなんですか?」

 難しい言葉ばかり並べる女神様にマリンは説明を求める。


「私からの“めぐみ”です。今、生まれ変われば、あなたは食べ物に困らない人生を送れます。ここにいる者は様々な種類のたまを持っています。あなたが生まれ変わった人生で幸せになれるように、好きなだけたまを探しなさい」


 生前、あれだけ可哀想な思いをしたので、マリンには幸せになってほしい。

 どうして、私がマリンの生前について知っているのかわからないけど…。


 マリンはねながら、欲しい物を挙げていく。

「キレイなお洋服、大きな家、優しい家族、お金…欲しい物が多過ぎて困っちゃう。全部集めれたら、今度こそ幸せな人生を送りたい」


「最後に注意事項があります。もしも、たまを失くしたり、奪われたりして、全てのたまが無くなれば、あなたはこの世界の一部となります」

 女神様は最後に、そう忠告すると雪に紛れ姿が見えなくなっていった。


 正直、このまま生まれ変わっても食べ物には困らない。

 それだけで幸せな人も世界には大勢いるだろう。


 しかし、マリンはつらく、苦しかった生前の分のまで幸せになりたい。その一心でたまを探しに、一面の銀世界をひたすら歩いた。


 どれくらい歩いただろうか…。マリンの進む先に赤い光が見える。


 その光に導かれるように歩くマリン。


 目の前まで近づくと、白一色のこの世界から切り離されたように、赤くゆらめく炎の前に、1人の男の子が暖を取っていた。


 男の子は頭から足下に掛けて、焦茶こげちゃのマントのようなものを羽織っている。


 マリンに気付くと、警戒する素振りもなく手を振り、声を掛けてきた。

「やあ!こんにちは。せっかくだから一緒に暖まろうよ」



 マリンは、この寂しい世界で誰かに会えたのが嬉しかったのか、お礼を言いながら男の子の隣に座った。


「ありがとう。暖まるって言っても、この世界は全然寒くないよ」


 マリンの言葉に気を悪くする素振りもなく、男の子は笑顔を保ったままだ。


「そうだけど、雪って見てるだけで寒くなるじゃん」


「そう言われれば、そうかもしれないけど…。そんなことより、この炎はどうやってだしたの?」


 マリンの質問に、男の子はポケットから赤色に輝くたまを取り出し、見せてくれた。


「わぁー!キレイね」


「俺はさあ、死ぬ前に雪山で遭難したんだよ。寒さに震えてたせいか、炎がいくらでも出せるたまを貰った」


 マリンも男の子に対抗して、自身の緑のたまを見せる。

「私のたまは食べ物をだせるんだよ!」


 マリンは頭の中でパンとカボチャのスープを思い浮かべる。


 すると不思議なことに、2人分のパンと、器に入ったカボチャのスープが現れた。


 マリンは笑顔で男の子にパンとカボチャのスープを勧める。

「いいのか?ありがとう」


 男の子は凄い勢いでパンに食らい付き、アツアツのスープを気にすることもなく一気に飲み干した。


「もっと、ゆっくり食べればいいのに」

 マリンはそんな男の子が可笑しくて、笑いながらパンを頬張った。


「こんなに笑ったの、初めて…。誰かとご飯を食べるのってこんなに楽しいんだね」


「そうか?うちは家族が多くて、家の中が狭っ苦しかったからなぁ。それより、お前の食べ物が出せるたまいいよな。俺だったらそれさえあれば、すぐにでも女神様を呼んで生まれ変わるのに」


 マリンは、その言葉を聞いて、少し考え込む素振りをみせる。

「ねぇねぇ、それなら私のたまと交換しようよ」


 男の子は驚いて、マリンを見やる。

「ホントか?それなら喜んでこのたまやるよ!」


 男の子は早くと言わんばかりに、ポケットに詰め込んでいた、赤いたまをマリンに差し出す。


 マリンも緑のたまを差し出し、お互いに交換する。


 男の子はお礼を言うと、女神様を呼び空へと吸い込まれていった。


 マリンは炎が出せる赤いたまなんか貰ってどうするのかしら?

 私は不思議に思い、その後もマリンの様子を見守った。


 マリンは望み通りのたまを探すため、再び雪の中を歩き出す。


 どれだけ進んだのだろうか、マリンが独り言を呟(つぶや)く。

「あぁー、お腹空いた。こんなことなら、もっと食べ物を出しとくんだった」


 それでもマリンはたまを探して、ひたすら歩く。


 どれくらい歩いただろうか…、マリンの視界に小さな村が見えてきた。

 石レンガ調の家が建ち並んでいる。



 マリンの足取りも自然と軽やかになり、村の正門へ駆け込む。


 さすがに疲れたのか、彼女はそのまま正門に座り込んだ。


 しばらく休んでいると、緑色のワンピースを着た、癖っ毛の少女がマリンに話し掛けてきた。


 マリンと同年代くらいだろうか。その口調は穏やかで、聞く者に安心感を与える。

「大丈夫ですか。ここまで、大変だったでしょう。私の家で良ければ、一緒にご飯でも食べませんか?」


 突然の提案だったが、マリンは喜んで、その子についていった。

「ありがとうございます。もうお腹ペコペコで…」


 マリンはワンピースの少女の家で食事をしながら、2人は楽しそうに会話を始めた。


「ここの町は、家を出せるたまを持った人が創ったのよ。凄いでしょ!」


「へぇー、そんなことができる人もいるんだぁ。ところで、あなたのたまは何の“めぐみ”なんですか?」

 マリンは不躾ぶしつけにワンピースの少女に尋ねる。


「私のたまは“優しさ”。その名前の通り、このたまを持つと優しくなれるの」


「なにそれ?おもしろいね」

 マリンは他愛たあいのない話をしながら、ワンピースの少女と一夜を過ごした。


 ワンピースの少女の話では、ここの村に住んでる人は生まれ変わる気が無いらしい。


 村を作り生活しているうちに、住み心地が良くなり、そのまま暮らしているのだとか。


 マリンはワンピースの少女にお礼を言い、村の見学に出掛けた。

 ワンピースの少女が村を案内すると言ったが、何故か適当に理由をつけて断った。


 外に出るとマリンはボソッと独り言をつぶやく。

「“優しさ”のたまってなによ。使えない」


 マリンはついつい本音を口にした。

 私はマリンの内面を知り少し不快になる。


 その優しさに、あなたは助けられたのよと言ってやりたかった。


 マリンが町に出ると、様々なたまを使って、町の営みが行われていることにビックリした。


 灯り、水路、パン屋さん、お花屋さん、何でも揃っている。


 私もその光景を見て興奮した。

 マリンも嬉しそうに周囲を見渡す。



 …その晩、マリンは驚きの行動に出たのだ。


 なんと、持っていた赤いたまで村に火をつけた。


 たちまち火の手は広がり村は燃えつきた。

 しかし、人に被害はでていないようだ。

 どうやらたまを使って他人を傷つけることはできないらしい。


 マリンがそれを知っていたかはわからないが…。


 マリンは、パニックになっている村人たちを呼びかけ、村の中心に集めた。

「ええっと…みなさん、聞いてください。村に火を付けたのは私です。また燃やされたくなければ、持ってるたまを差し出して下さい」


 その言葉を聞いて私は驚いた。少女は他人を脅すためにだけに赤いたまを手に入れたのだ…。


 一見、可愛らしい女の子だが、その内面は氷のように冷たく恐ろしい。


 マリンの生い立ちが、こんな風にしたのだろうか…。


 私は、そんなマリンを見て涙がこぼれ落ちる。


 しかし、事は思うようには運ばなかった。


 自分たちの家を燃やされ、怒り狂った村人たちはマリンを取り押さえて、赤いたまを奪ったのだ。


 そんな中でもワンピースの少女はだけは、それを止めようとしてくれていた。


 私は女神様の言葉を思い出す。

 たまを全て失ったら世界の一部になると…。


 そう考えた瞬間、マリンの体にヒビが入る。


 驚くことに、彼女の爪先つまさきから徐々に灰となり、散っていくではないか。


 マリンは泣きわめき助けをう。

「うわぁぁぁん。ゴメンなさい、もうしないから私のたまを返して!」


 その叫びも虚(むな)しく1人を除き、村人たちはマリンには見向きもせずに村の復興ふっこうを始める。


 唯一マリンを助けようとしていた、ワンピースの少女が彼女に駆け寄る。

 その目には涙が浮かんでいた。

「どうしてこんなことをしたの…?」


「…どうしても、幸せになりたかったの…」


「それなら、私たちと一緒に暮らせば良かったじゃない」


「ホントにゴメンなさい」


 ワンピースの少女が何を話してもマリンは謝るばかりだった。

 そんな時、ワンピースの少女が驚きの行動に出る。


 既にマリンの下半身は灰になり、上半身だけになっていた。


 そんなマリンを見て、ワンピースの少女は、自分が持っていた黄色に輝く“優しさ”のたまを握らせたのだ。


 ワンピースの少女の体は徐々に灰となり、マリンの体は元に戻っていく。


 マリンは泣きじゃくりながらワンピースの少女にたずねる。

「どうして…私を助けたの?」


「私ね、死ぬ前は1人ぼっちだったの…。親も姉妹もいなかった。それでもここの村で暮らせてホントに幸せだった。あなたと話した時に、妹がいたらこんな感じなのかなって思った。だから、あなたが消えるなんて耐えられない」

 ワンピースの少女は最後にそう言うと、満足そうな笑みを浮かべ、降りゆく雪に溶け込むように、消えて無くなった。


 ワンピースの少女が消えた後もマリンは謝り続けていた。


 村人もそれ以上はマリンに危害は加えなかった。


 マリンはひとしきり泣き終えると、決心したように女神様を呼んだ。


「今度は私が優しくしなきゃ。あなたから受けた恩を無駄にしないように生きていくから」


 マリンはその言葉を最後に空へと吸い込まれていった。


 その直後、私の視界が暗転する。


 目の前の黒い鏡のような物に、涙でぐしゃぐしゃになった女性の顔が写し出されていた。


 なに…これ…。


 そこで私はようやく思いたした。


 私もマリンと同じように、死んでここに来たのだと。


 私はマリンを近くから眺めていると思っていたのだけど、実際は手に持っている、黒い《たま》に写しだされた過去の映像を見ているに過ぎなかった。


 私は黒いたまを受け取った時の女神様との会話を思い出す。


「あなたの名前は何ですか?」


「スノー」

 私はかすれるような声で答える。


 雪国に産まれたからスノー。ありきたり過ぎて何の意味も持たない名前。


 自身の名前を反芻はんすうしていると、お構い無しに女神様は話しを続ける。


「後悔に満ちあふれている、あなたにはこの“過去に戻れる”黒いたまさずけます」


 その後も女神様の説明が続いたが、既に生きる事を諦めていた私の耳には届かなかった。



 女神様が去り、何となく黒いたまを見ていると、吸い込まれるようにマリンの映像が視えてきたのだ。


 今まで、自分の娘ということすら忘れていた。


 生前の私の後悔はマリンを海で拾ったことだ。


 マリンは海辺に捨てられていたから、その名前がつけられた。

 私と同じで、何の意味も持たない名前。


 その時は、少しでも働き手が欲しくて拾ったが、大きくなってもまったく使い物にならず、生活がいっそう苦しくなった。


 赤子だったマリンは、雪の中に長い間、放置されていたせいか、その時の後遺症で動くこともままならない。


 何とか成長したが、マリンは居場所のない生活に耐えられず家を飛び出した。


 数日後、マリンが雪に埋もれて亡くなったていた事がわかった。


 それから数年の月日が流れ、村で伝染病が蔓延まんえんして、

 私以外の家族は皆、病気で死んだ。


 何とか生きながらえた私も、孤独に耐えながら、衰弱して死んでいった。


 貧しく苦しい生活の中、マリンを捨てようとしたこともあった。


 しかし、マリンを育ててきた愛着と、捨てることへの罪悪感から、そこまでは踏み切れなかった。


 そのやり場の無い怒りをマリンにぶつけていたのかもしれない。


 死ぬ直前の私には、マリンを拾ってきたことへの後悔しか残っていなかった。



 しかし、今はどうだろう。


 マリンは自分だけが幸せになるために村を燃やした。


 そして、ワンピースの少女の優しさに触れ、心を入れ替え、次の人生へと旅立った。


 本来なら、その優しさも、私が母親として教えなければならなかったものだ。


 ホントに変わらなければいけなかったのは、私だったのかもしれない。


 私は“ある事”を決心して、生まれ変わる為に女神様を呼んだ。


 その瞬間、私の体は軽くなり、空へと吸い込まれる。


 黒いたまの“過去へと戻る”力で、マリンが出て行った、あの日の夜へと時間を戻す。


 時間が巻き戻った直後に、疲労と空腹が襲ってくる。


 それでも、急いでマリンを押し込めている納屋に行き、藁の上で震えている娘を抱きしめた。


「マリン、マリン、マリン…」

 私は娘の名前を何度も何度も呼び泣き続ける。


 最初は何事かと驚いていたマリンも次第に、

「おかあさん!」

 と大声で泣きだす。


 それからはマリンや、その他の子どもたちに精一杯の愛情を注ぎ続けた。


 貧しくて、苦しい日もあったが、私が明るく振る舞うことで、次第に家族に笑顔が増えてきた。


 私たちは、数年後に村で蔓延まんえんする伝染病で亡くなるだろう。


 それでも私は、笑うことのない寂くて長い人生を生きるよりは、短くても、笑顔が溢れる人生の方が何倍も幸せだと思う。


 私はマリンを抱きしめた夜以来、過去に戻る力は使っていない。


 娘と笑顔のまま、この人生に幕を閉じた。


 …それからどれくらいの月日が流れただろうか。


 どこからか機械的な女性の声が聴こえてきた。

「あなたの名前は何ですか?」

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マリンスノー 那須儒一 @jyunasu

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