第6話 Bitter(後)

「昨日のテスト、返すよー」

「えええーーー?」

 おまり通り一斉に、クラスのみんなが文句の声を返すのに一拍遅れてお前も声を合わせた。そういうときお前は、いつも幸せそうだったな。

 ところがテストの結果はひどかった。


「えええー、これぐらいは答えられなきゃ」

 隣りから勝手に覗いて葉子ちゃんが指すのは、鎌倉幕府の初代将軍の名を問う問題だ。解答欄は白紙だった。

「だって、一昨日先生言ったばっかじゃん」


 お前はまた頸を掻こうとして、手を止めた。

「あ……思いだした。弟をいじめた将軍」

 つい二日前、先生は頼朝と義経の関係を面白おかしく物語にして語ってくれていたんだよな。

 お前は一言一句たがえず覚えていた。思い出すまま、頼朝の手を逃れて奥州へ落ちていく段の語りをそっくり再現してみせた。葉子ちゃんの吃驚びっくりした顔。


「すっごい。悟くん、すっごいねー。まるで先生が喋ってるみたい」

 そして、屈託なく笑って訊いたんだ。

「そんだけ覚えてんのに、なんで頼朝が出てこないの?」


「一昨日話した将軍って訊いてくれたら解ったんだけど」

 実際、お前の記憶の仕方はちょっと変わっていた。記憶の抽斗ひきだししまうとき、見出しインデックスに日付や、その日の出来事を付けておく。そうじゃないとどこに蔵ったか、なかなか見つけられない。その代わり、蔵った場所を見つけさえすれば、細かいところまでぜんぶ思い出せる。


「ふぅん。すっごいねー」


 葉子ちゃんがにっこり笑うのが嬉しくって、そのあともいろんなことを話したな。この子と話す会話のすべてが大切で、だからお前はひとつひとつ丁寧に抽斗に蔵っていった。



  ***



 次の席替えで葉子ちゃんと離れてしまったときは悲しかったな。


「困ったことあったら言ってきてね」

 席は離れてもときどき葉子ちゃんが話しかけてくれた。

「いじめられたりしてない?」

 お前はぶんぶんと首を振った。男子が揶揄からかってくることはもうなかったし、女子の仲間外れにしたってそんな露骨じゃなくなった。この頃は幸せだったな。


「ふうん。よかったね。あ、なにかあったら裕介に頼るといいよ。あいつ、ああ見えて優しいところもあるからさ」

 裕介くんとは近所で幼馴染なんだと以前まえに聞いていた。

 昔からやんちゃで乱暴なところもあったけど、面倒見はよくって、近所の悪ガキどもにも慕われているんだって、ほかにもいろいろ教えてくれたな。


 その裕介くんは、荒っぽかったり素っ気なかったりもしたけれど、お前が困ってるときは助け舟を出してくれたりもした。ただやっぱり粗暴で、言うことには配慮なんてっともないんだよな。




 幸せな日々だった。お前はふたりが好きだった。

 ところが三学期に入って直ぐ、すべてがひっくり返った。きっかけは裕介くんがなんの気なしに放った言葉だった。

「早く来いよ、鈍くせえな。そんなだからいじめられんだよ」


 それだけなら、なんてことない。ところがたまたま近くにいた葉子ちゃんが反応したんだ。


「そんないじわる言うんだ。裕介のそーゆーとこ、私嫌いだな」

「へん、嫌いでけっこう。おれも葉子なんか嫌いだ、口うるさいし」

 即座に返ってきた憎まれ口に葉子ちゃんは顔をあかくして、唇を噛んだ。裕介くんはそっぽを向いた。お前はふたりの間でおろおろした。


 自分のせいでふたりが喧嘩しようとしているのを見て、どうにかしなきゃと思ったんだ。それから頭のなかの抽斗ひきだしを必死で探った。仲直りできる言葉がどこかにあったはずだって。



「お前は昔っから、おれのすること嫌ってたよな」

「そんなことないよ。あのね、だってこの前十二月の十三日に、葉子ちゃんが言ってたよ」

 そのときお前は目指す抽斗を探り当てたんだ。気づけばその抽斗を開いて、取り出した言葉はすらすらと口から流れ出た。


『昔っから裕介にはかまってしまうんだぁ。ついきついこと言っちゃう』


 葉子ちゃんの口真似で、あの子が喋った通りそのまま言った。

 呆気あっけにとられた裕介くんが口を開けっぱなしでお前を見ていた。それ以上に驚いた葉子ちゃんは、顔を真っ赤にしていた。


『わるい奴なんだけど、やさしいとこもあるんだよね。好きだなあ――』

 言いかけたところで、凄い剣幕で葉子ちゃんに口を塞がれたんだったな。


「嘘言わないでよ」

 葉子ちゃんの顔は凄く恐かった。


「え。でも、葉子ちゃん言ってたよね」

「言ってない」

「でも」

「黙ってよ!」

 きいんと高い声が教室に響いた。聞いたことない高い声だった。何人かが振り返った。黙ろうとして口を塞いだけれど、手の間から勝手に溢れ落ちる言葉を止められなかった。


『裕介が私を守ってくれたの。あのときは嬉しかったあ』

 頭のなかの記憶の抽斗が一斉に開いたみたいだった。そこらじゅう開いた抽斗から、どんどん葉子ちゃんの言葉が飛び出してきた。

『最近遠くに行ったみたいで、ちょっとさみしい』


 つながる、つながる。いつになく冴えてる。そうお前は思ったな。

 あれ、でもこれって。もしかして、葉子ちゃん。

 流石にお前も気づいてしまった。


「あっ。葉子ちゃん、裕介くんが好きなのかあ」

 深く考えずに口にした直後、顔をぱあんと叩かれた。

 なにが起こったのか分からず顔を戻したら、葉子ちゃんがまた腕を振り上げているのが見えたな。


 めちゃくちゃに叩かれながら、葉子ちゃんが顔を歪めて目に涙を泛べているから、彼女は悪くないんだとなんとなく思った。じゃあお前のなにが悪かったんだろうな。お前に分かるわけがなかった。分からないままただ、また失敗しちゃったんだとだけ悟った。

 その後葉子ちゃんがお前に話しかけることは二度となかった。やがてあの遊びはまた再開して、小学校を卒業する日までそれは続いたけれども、もう葉子ちゃんは守ってくれなかった。



 僕の話はここまでだ。

 私立の中学校へ進学した葉子ちゃんとは、卒業以来会っていない。お前はなんども彼女のことを思い出すけれども、あれから十年が経った今でもあのときどうすればよかったのか、答えが出せないでいる。




(Bitter:おわり)


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