9-2 建速勇人(2)

 三人のやり取りが耳に入ったのか、小夜は小さく声を上げながら眼を開けた。


「あ、勇人に楓。ごめん、寝ちゃってたんだね」


「いや、疲れてる所起こしてごめん」


「何かあったの?二人そろって」


「楓が、君に報告する事があるらしいよ。僕は、おまけかな」


「私の方がおまけでもいいぐらいなんだけどね」


 そう言いながら楓は影太郎と鷹丸が調べて来た畿内の足利方の武士の陣容について報告し始めた。

 それには、それぞれの武士が実際にはどの程度、後醍醐帝と五辻宮の影響力を受けているのかの推測も交えられている。

 真の敵はその武士達と、後醍醐帝、五辻宮の二人だ。だが、実際には足利のほとんど全軍を相手にしなくてはいけないだろう。

 そしてこの先に待ち受ける足利の軍勢の総数は、想像もつかない程に膨れ上がっている。


「五辻宮の位置は?」


「本人が吉野と京を堂々と行き来してるみたいだよ。自分は本当は京周辺でも好きなように動ける、ってこちらに見せ付ける様にして」


「光厳院の身柄もその気になればいつでも確保できる。そう教えてるのかな」


「多分。実際、五辻宮が京で光厳院を捕えて戦場にまで引きずり出すのはそう難しくないって影太郎殿も見てるよ」


「討つのは?」


「今の状況ではほとんど無理だ、ってさ。動いているようで、本人は実際には重要な仕事は何もせずに部下に指示を出すだけに留めてる。姿を見せているのは安全が確保出来ているからで、暗殺するなら何か向こうに乱れが出ないと無理だって」


「やっぱり誘われてるのかな、これ」


 小夜がちらと視線を天井に向けた。

 後醍醐帝と五辻宮を止めるために奥州軍が極めて不利な孤立した状況で戦わざるを得なくなっている。それは勇人にも分かった。

 何かしら五辻宮が自ら動かなくてはならない状況を奥州軍が戦う事で作り出す必要があるのだ。


「その辺りは影太郎殿にも何とも。少なくとも後醍醐帝は今でも小夜が自分の理想の側に流れるんじゃないかと期待してる所はあるとおもう。ただ」


「ただ?」


「五辻宮の目的はどこかで帝の理想を達成する事よりも小夜を殺す事の方になっている気は、影太郎殿も私もしてる」


 そう言われると小夜はわずかに眼を閉じた。


「新田義興の軍勢は盛光さん率いる足利勢とぶつかって一度打ち破られた後、鎌倉を目指して再集結中。そして関東の残る足利勢は武蔵に集結した後、上杉憲顕を中心にこちらを追撃の構え、か」


 眼を開け、地図上で目線を向ける先を畿内から関東へと変え小夜は呟いた。


「不死身なんじゃないか、あの上杉憲顕って男。まだ懲りてないのか」


 鎌倉東の小坪で突然転進して奥州軍にぶつかって来た上杉憲顕との戦を思い出しながら勇人も地図に目をやった。

 相変わらず戦のやり方には特に脅威は感じられず、師行を中心にした騎馬の攻撃で容易く算を乱し、転回して来た奥州軍本隊とぶつかるとあっけなく敗走して行ったが、それでも首は取れなかった。


「家長君が半数の兵力で北条の軍勢と戦う事になったのは、多分上杉憲顕が勝手に奥州軍に向かって来たからだよ。それが無ければ、時家さんが死ぬ事も無かったかもしれない」


 楓が彼女にしては珍しく本気で憎らしげな様子を声に滲み出させていた。


「まあ、今は放っておこうと思う。盛光さんは味方と思っていいだろうけど、それでもあの人だけじゃ関東周辺の足利勢が追撃してくるのを抑えるのは難しいだろうし。斯波家長、家長君が稼いでくれた時間を無駄にする訳には行かないから」


「彼が生きていてくれれば」


 口に出すまい。そう思っていたが、それでも口に出してしまっていた。

 斯波家長が生きていれば、奥州軍の後方には何の憂いも無かったはずだ。いや、正面にいる足利軍との戦いも、ある程度は避けられたかもしれない。

 そして奥州と関東を中心にした斯波家長の勢力から支援を受けて小夜が畿内を制し、そのまま二人でこの国全体を収める、と言う展望も決して夢物語では無かっただろう。

 斯波家長を説得して密約が結べた時、勇人はこれで小夜が死ぬ歴史が変えられる、と思った。初めて、自分の手で歴史を変えたと言う感触があったような気がした。

 今はその感触は、幻のように消えてしまっている。

 勇人の呟きを聞いて、小夜は少しだけ頷くようにし、それから柔らかな笑みを作った。


「戦ではいつも望んでいた通りの最上の結果が得られる訳じゃないよ。策を打ってその半分も結果が出れば満足すべきだと思う」


「戦に関しては本当に透徹してるな、君は」


「新田勢と北条勢を振り切り、奥州軍本隊に大きな犠牲を出さずに鎌倉を突破できた。今はそれを次に活かす事を考えるべきだよ。それに」


 小夜が次の言葉を発しようとした所で、戸が開き、行朝がやって来た。


「おや、勇人と楓もここにいたのか」


「行朝か。頼んでいた事、どうであった」


「やはり陸奥守様の言われた通りでした。鎌倉には相当の兵糧が蓄えられたままになっております。目立たぬようにあちこちに分けられており、足利方の武士達の中にも全容に気付いておった者は少ないようですが」


「斯波家長からの手向けであろう。この短い間に良く味方の目すら欺いて用意してくれた」


 そう言ってから小夜は勇人の方を見た。


「斯波家長が我らに託した物はまだ多く残っている。ここで生きている我らが止まる訳には行かぬよ」


 小夜の言葉に、勇人は小さく頷いた。

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