9-1 建速勇人

 闇。

 光が無い。いや、音もまたない。

 東光寺。斯波家長と語った部屋。勇人はそこに一人で座っていた。

 鎌倉に入って二日目である。

 斯波家長が、そして北条時家が死んだ、と言う報告は、鎌倉が落ちたその日の内に入って来ていた。

 斯波家長に関しては味方の戦果として、であるが、時家の事は楓が伝えてきた。

 物事の表面だけを見れば、足利の関東における最有力の大将と、突然足利に寝返った北条の武士を討ち取った、と言う事である。

 しかし実際には、奥州軍のこの先の戦いにおいて欠かせない武将と同盟相手を失ったと言う痛手だった。

 全て戦場での事、だった。そして戦場では何が起こるかは分からない。

 二人の死によって奥州軍が受けた打撃は大きい。だがそれでも裏の事情を知る奥州軍の武将達の誰にその事を訊ねても、最後はそう答えるだろう。

 それでも、自分が関わった事があの二人を死にいざなったのでは無いか、と言う自分の心の声を、勇人は中々打ち消す事が出来なかった。

 時家も家長も、勇人が直接会って話した事が、奥州軍の味方となったきっかけの一つである。

 自分がこの時代に来ていなければ、あの二人は本当はそれぞれどんな生き方をするはずだったのか。

 ひょっとしたら今ここで死ぬ事は無く、北条勢の大将として、足利の関東方の大将として、それぞれどちらも歴史の中に長く足跡を残した人間だったのでは無かったのか。

 自分はこの時代の歴史の流れを変えるのでなく、本来の方向に修正してしまっているのではないか。

 ずっと、自分の心の中にあった疑問である。しかし当の昔に、その疑問には折り合いを付けたはずだった。

 鬼丸国綱の柄に手を掛けた。

 抜く。その意識すらなかったが、気が付けば勇人は太刀を抜き、片膝だけを突き、太刀を虚空に振り抜いていた。

 何かが目の前を通り過ぎ、それを斬った。自分の中の迷いか、恐怖か。

 ずっと曖昧なままで、ほんの一瞬だけ、形を取って見えた物だ。

 埒も無い、と勇人は思い、太刀を収めた。どれだけ腕を上げようとも、剣で斬れるのは、形がある物だけだ。

 師行がここにいれば、そんな事をしている暇があるなら鍛錬をしろ、と蹴飛ばされるだろう。

 東光寺から外に出ると、楓がいた。まるで勇人が出てくるのを待っていたかのように立っている。


「一瞬、外からでも分かるぐらいの凄い気を放ってたね。何か斬ってた?」


「いや。ただ憂さ晴らしのように、剣を抜いただけさ」


「時家さんの事も斯波家長君の事も、奥州軍で二人の死の意味が本当に分かる人間は、皆それぞれ自分の中で折り合いを付けようとしてる。あまり、自分だけが、って思わない方がいいよ。勇人さんの悩みは、勇人さんにしか分からない特別な物かもしれないけどね」


「君は見ていたのか?時家殿の最期を」


「近くにはいたけど、最後を見届けたのは部下だよ。出来れば、見届けたかった。ううん、助けたかったけど」


「どうして死んだんだろうな、あの人は。あの人の才覚なら、どんな戦場ででも自分と自分の部下達を生き延びさせる事ぐらい、簡単な事だったろうに」


「北条時行を正気に戻して救う。多分それをやるのに、あの人の命が必要だったんだとは思う。それ以上の事は、例えばどうしてそこまでして時家さんが北条時行を救おうとしたのかとかは、本当の所は私にも分からないよ」


 楓に分からないのであれば、恐らく他の誰にも分からないだろう。

 時家は戦場で死に魅入られたのか。束の間そうも思ったが、恐らく違うだろう。

 戦場で自分に酔い、奥州軍としての務めを投げ出すような事は決して最後まで選ばない人間だ。


「あの人は最後まで奥州軍の北条時家だったよ。それは、間違いないと思う」


勇人が考えた事が分かったのか、付け足すように楓が言った。


「それにしたって痛いけどな、あの人がいなくなったのは。文句の一つでも言って上げたいぐらいには」


「小夜も、多分そう思ってるよ」


 楓がどこか泣き顔のようにも見える曖昧な笑顔を作りながら言った。

 小夜の名前が出た事を合図にするように、そのまま二人で鎌倉の政所に向かった。

 楓には小夜に報告する事があるらしい。

 師行の旗本達は一度出陣すれば昼夜の別なく常時軍勢として動ける事を求められるが、鎌倉に留まっている間は、勇人は自由に動く事を師行から許されていた。

 小夜は政所で紙の束を前にしながらうたた寝をしていた。男装をした侍女の朱雀が側に控えているが、眠るままにしているようだ。

 眠っている小夜の顔は、とても穏やかで、幼く見える。

 何度見ても、どれだけの期間共にいても、勇人が見慣れる事は無い美しい顔立ちだった。


「これは、勇人様、楓様」


「小夜は、寝ていますか」


「はい。数刻執務をされていましたが、気が付いたら。お起こししましょうか?」


 戦のある時はもちろん、無い時も小夜は働き詰めだった。疲れ切っていて当然だし、心労もたまっているだろう。


「いや。どうしよう、かな」


 ちらと楓の方を見た。楓はにやにやと笑っている。


「何だよ、その顔は」


「ここは勇人さんと小夜の二人だけにして私達は引っ込む所かなと思って」


「おい」


「いえ、それは少し困ります」


 楓の冗談に対して朱雀は真顔で即答した。


「二人きりにしたって何も起きやしないと思うけどね。結局例の村にいた時も何も無かったんでしょ」


 何でそんな事が分かるんだ、とか、じゃあ君と師行殿の関係はどうなってるんだ、などと言い返したくなったが、どうせ楓と口で勝負しても勝てないので勇人は黙っている事にした。

 そして、何も無かったのは事実ではある。

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