8-21 斯波家長(10)
戦の帰趨を見守るように戦場に留まっていた時家が、落馬するのが見えた。
時行の本陣でどんなやり取りがあったのかは分からなかった。ただ、時家は奥州軍の一員として為すべき事を為し、そして死んだのだろう。
自分は、足利の一員として、あるいはこの国に立つ一人の武士として、為すべき事を為せたのか。家長はそう思った。
時行を失った北条の軍勢の大半は打ち果たしていた。
途中で逃げ出した者は逃げるに任せたが、もうあの異常な軍勢として立ち直る事は無いだろう。軍勢の中に紛れ込んでいた五辻宮配下も、相当数打てたはずだ。
「残った兵にはまず全員に休息を取らせる。その後、まだ戦える者は飯島に向かった伊賀盛光へ合流せよ。あちらも、もう終わっているかもしれぬが。戦えぬ者は鎌倉にいる義詮殿と頼兼の軍勢と共に武蔵へと向かう。その後は、盛光の言葉を良く聞くよう頼兼に伝えよ」
残っている兵は二万に足りない程だった。大きな犠牲は出たが、それでも討ち果たした兵の数を見れば、大勝ではある。
ただ、こちらの兵も疲労が激しい。今は気持ちの高揚で動いてはいるが、あまりこれ以上の無理をさせればそのまま死ぬ兵も出るだろう。
「家長様、近くに寺がございます。そちらで、白銀殿と共にお休み下さいませ」
家長の傷の手当てをしていた家臣がそう言って来た。
「白銀は、助かりそうか」
「それは」
家長の質問に、返答に窮したようにその家臣は俯いた。
「いや、いい。詮無き事を聞いた」
「申し訳ありません。我ら家臣団が、家長様と白銀殿はお守りすべきでした」
「白銀の事は、戦場に出るのを許した私の責任であろう。私の事も、あまり気に病むな。あれが、必要な戦い方だったのだ」
自分の体の事は、敢えて訊ねなくても分かっていた。
血を流し過ぎている。傷を負った位置も、悪い。
そのまま家臣達に、近くの寺へと運ばれた。白銀はぐったりとしたまま寝かされ、家長は自分でその近くへと座り込んだ。
家臣達はそのまま二人だけを残して出て行くと、戸を閉める。
「まるでほとんど家長様の妻のような扱いを私にして下さいますね、家臣の皆様は」
白銀がぽつりと呟いた。
「あまり、喋るな」
「もう今更、ですよ」
そう喋りながら、白銀は口から血を吐き出した。
「何故あんな無茶をした、白銀」
「あそこを破るために何か後一押しが必要だと家長様が考えていらしたのが分かりましたから」
「お前は、私の考えを分かり過ぎだ。そのくせ、いつも最後は、私の意思を飛び越えた事をする」
「あれで敵が崩れた時は、上手く行った物だ、と思ったのですけどね。家長様まで深手を負われたのは、想定外でした。私一人が死ぬつもりでしたのに、ままなりませんね」
「こんな事になるのなら、変に意地を張らずにお前との間に子でも生しておくべきだったな。そうしておけば、戦場に出るのを何としてでも止めただろうに」
「それも、もう今更過ぎますよ。機会はいくらでもありましたのに。それに、そんな事を言うのなら私の方こそ家長様が戦に出られるのをお留めしたかったのです」
「そうだな。確かに全て今更だ」
白銀との平穏なで豊かな生活を望むのであれば、それを選ぶ機会は今までにいくらでもあった。
それでも自分は戦に生きる事を選び、白銀もそれを受け入れてくれた。
戦場では当然のように人は死ぬ。誰であろうと、平等に、予想だにしなかった形でそれは訪れる。
そんな死の中に、自分と白銀もこれから加わる。
陸奥守は、手を結んだばかりの自分がここで死ぬ事に衝撃を受けはするかもしれないが、それでも失望はしないだろう。戦場では、あらゆる事が起こり得る。それは、自分や陸奥守のような人間に取っては当然の認識のはずだ。
この先は大きな困難を陸奥守だけに背負わせる事になるが、それでも自分がここでした事は陸奥守の戦いに取って無駄にはならない。
結局、陸奥守と自分、どちらが天下の形を決めるのかは、戦や政で争う前に、陸奥守が勝った事になる。
それと引き換えのこの先の労苦だと思えば、悪くは無いだろう。家長は少し意地の悪い気分でそう思った。
「無念はありますか?家長様」
「どうだろうな。あると思えばいくらでも浮かんでは来る。それこそ、数えきれない程に。ここで生き延びれば、どんな天下を作れて、それを白銀と共に見られたのだろうな、と。だがそんな思いは、戦で死んだ者は皆が抱く無念だろう」
「家長様は、最後の最後までそうですね。澄ました顔で、悟ったような事ばかり言われて」
「何」
「他に誰もいないのですし、今ぐらいはみっともなく幼子のように私相手に泣きわめいて下さっても良いんですよ」
「嫌だ。白銀の前では最後まで格好を付けさせてくれ」
家長がそう言うと、白銀は微笑み、それから体を起こした。
「おい。無茶を」
「家長様に意地があるように私にも意地がありますから」
そう言って、白銀は体を引きずるようにして動き、家長の体を背後から抱くようにして寄りかかって来た。
「私は悔しいですよ、家長様。本当なら家長様は天下に号令を掛けてもおかしくはない程の方なのに、こんな所で終わってしまわれるのは。私の命だけで代われるのなら、いくらでも代わりたいほどに」
そう言いながら、白銀は家長の背に自分の顔を当ててくる。
最後に自分に泣き顔を見せたくないのだろう、と家長は思った。
「そんな事は言うな、白銀。私はお前を犠牲にして生き延びたいなどとは微塵も思ってはいない」
「ですが」
「確かに私は、ただ陸奥守を相手に負けを重ね、関東で呆気なく敗死した大将として歴史に名を残すのかも知れぬ。いや、あるいは歴史に名を残す事すら出来ぬのかも知れぬ。それは確かに無念だ。それは怖い。だが、大丈夫でもある」
「何故ですか」
「少なくとも陸奥守や南部師行や建速勇人は、そして北条時家は知っていてくれる。何よりお前が知っていてくれるだろう。私がどれほど立派な武士で、立派な男だったか。それで十分だよ、私は。自分が認めた男に自分が認められ、そして自分が愛した女に自分が認められたと分かっているのなら」
十七である。それでも、もっと長く生きたかった、と言う思いは不思議な程無かった。
「最後まで、恥ずかしい事を恥ずかしげもなく」
白銀は涙を拭うように自分の頭を家長の背にこすり付けてきた。
鼓動が一つ打つ毎に、互いの体から何かが抜け落ちて行っているような感覚が確かにあった。それは、恐らく本当はどうにもならない不快な死の感覚なのだろう。
それでも白銀が側にいるせいか、どこか満たされた気分だった。
「お前は自分の人生を、ほとんど全て私にくれたような物だったなあ、白銀。いつか返さねばならない。ずっとそう思っていたが、結局こうなってしまった」
心残りがあるとすれば、それだけだった。
「それは、もう十分返して頂きましたよ、家長様。私は家長様にお仕えさせて頂いた十年の間、それだけでずっと幸せでしたから」
「本当に、私などには過ぎた女だった」
どちらから、と言う訳でもなく、自然と揺れるように家長と白銀は体を横にした。そのまま半ば絡み合うように、床へと倒れ込む。
「白銀は、戦は嫌いだったな」
今度は向き合う事になった白銀の顔を見て、家長は言った。血で汚れてはいるが、もう涙を流してはいない。
「ええ」
「私は、本当の所、戦は好きだった。だがもう十分だ。もし次また白銀と共に生まれる事が出来るのなら、戦の無い世に生まれたいな」
「次は、家長様の人生を私に下さいね。後悔はさせませんから」
そろそろ喋るのが辛くなってきたのか、白銀の言葉は途切れ途切れになり始めていた。
もう喋るな、と言い、家長が白銀を抱き締めるとそのまま目を閉じた。これ以上の言葉は、自分と白銀の間には不要である。
次第に、白銀の息も鼓動も弱弱しくなっていく。白銀が感じている家長も、同じような物だろう。
そう言えば、建速勇人ともう一度会う、と言う約束を果たす事が出来なかった。
結局あの男は何者だったのか、と言うのも心残りの一つだったな、と家長は静かに考えた。
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