8-20 北条時家(3)
一人が時行を抑えたまま、もう一人が斬りかかって来た。剣を抜く。横に薙ぐ。同時に突かれてもいた。痛みが走る。最初の一人の体が揺らいだ時、もう一人も剣を抜き、それを時行へと向けていた。
一度揺らぎながらも踏み止まった一人目を視界の端で無視するようにして、さらに踏み込み、二人目の首を狙って斬り付ける。二人目が首から血を流して倒れる。時行が悲鳴を上げた。同時に背中に焼けるような熱さが走る。
「あまり、北条を舐めるな」
やはり激しい感情は無い。自分は結局、北条一族と言う存在をどう見ていたのだ。自嘲的にそう考えながら、時家は振り向き、それでも人とは別の何かを断ち切る思いで、剣を振り下ろした。
時家の背中に斬り付けた男が、額を割られて倒れた。
「時家殿、血が」
「戦場での事です。狼狽えなさいますな」
そう答え、時行を抱きかかえた。
時行の眼が、人間のそれに戻っている。抱きかかえた時に間近でちらと目を合わせ、そう思った。
「聞け。この戦は北条の戦ではない。帝とその周囲の者達の薄汚い調略に利用されただけの戦だ。真に北条に忠誠を尽くしたい者は、私に従ってこの狂った軍勢から時行殿を救い出せ」
時行を守る兵達にそう呼び掛けた。その中の年かさの武士が一人前に進み出る。知っている顔な気がした。しかし、名は思い出せない。
「ずっと、これで正しいのかと思っておりました。我らは遺された主筋を破滅の道へと歩まさせているのではないかと。我らは、時家殿の指示に従います」
「助かる。では、行くぞ」
三十名ほどの兵を新たに加え、円陣を解くと、そのまま再び正面から敵へとぶつかった。
本陣を失った敵は完全に浮足立っていて、家長の軍勢が先行するように敵を勢い良く突破している。
「私は、間違っていたのですか。時家殿。どうすれば良かったのですか。そしてこれからどうすれば良いのですか」
時家の腕の中で時行が呟いた。
「好きなようにされれば良いのです。ただ、他の者に利用された戦だけはもうされぬ事です。そしてもう一度、自分の中の悲しみと正面から向き合われる事です」
この軍勢の中に時行がいる事に気が付いたのか、また新たな敵が正面を遮って来た。
時行を奪い返そうと躍起になっている者がいる。だがその背後を反転してきた家長の騎馬隊が突いた。
家長の騎馬隊が敵を蹴散らしながら、軍勢の中に潜んでいる五辻宮配下らしき者達をあぶり出し、狩り立てるようにして討っているのが見える。それで指揮する者がいなくなったのか、遮って来た敵は四散した。
それで時家は敵を突き抜ける事が出来た。家長の軍勢はまだ戦っているが、もうほとんど掃討戦に入っている。
時行がいなくなり、兵を組織だって動かすには五辻宮の配下達が表に出るしかなくなった。そのせいで見つけ出して討ち取る事も容易になったようだ。
北条勢はほとんどが統率を失ったまま、それでも怨念に突き動かされるようにして戦い、次々と倒されているが、中には我を取り戻したように戦いをやめ、逃げ始めている者もいる。
時行が死ぬ事無く戦場から離脱したせいで、夢から醒めた者もいるのだろう。
一度逃げだした者を追い討つ気は、家長には無いようだ。
「私が、あの悲惨な戦場を作り出してしまったのですね。あんな怨念だけで動く軍勢を作ってしまった」
その様子を見ながら、時行はぼろぼろと涙を流していた。
「その意味も、まずはじっくり考えて見られなさい。今はそれがしの配下を連れて行かれると良いでしょう」
「時家殿は?」
「それがしは、共には参る事は出来ません。次の戦場へ、行かねばならないので。そう言う約束を、仲間達としておりまして」
「酷い人だ、時家殿は。私の側にいてくれるかと思えば、急にいなくなり、また現れて好き放題な事を言ったかと思えば、結局いなくなるのですね」
「申し訳ありません」
「いえ。私は、もう大丈夫です。大切な事は、時家殿から教わりました。後は自分で、残った者達と共に考えます」
涙を拭い、時行は言った。やはり聡明な子どもだった。この短時間で、自分が置かれている状況を、正しく見つめ直したらしい。
そのまま時行は、わずかな数の自分の配下と時家の郎党達に守られて、戦場から離れて行った。
時家の元には、数人の配下だけが残る。
「ここでの役目は、これで果たし終えた。戻るぞ、陸奥守様の元へ」
「はい」
配下の一人が頷く。
そう言ったが、時家は馬を進めようとはせず、黙って家長の戦いぶりをそのまま眺めていた。配下達も、後は何も言わず時家の周りに控えたままだ。
視界は、だんだんと暗くなってきている。
こんな物だろう、と時家は思った。
北条一族の中で不遇を囲って捻くれ、北条に殉ずる事も、反旗を翻す事も出来ないままこの乱世に翻弄されて流されてきた人間が、それでも天下と北条のために、それなりに良くやった方ではないか。
陸奥守と言う良い主に巡り合った。南部師行や建速勇人、楠木正家に楓と言った、仲間とも友とも呼べる者達と出会えた。
南部師行を除けば、実際に共に同じ戦場にあって戦った事は少なかった。遂に、奥州軍の一員として大戦をする事は出来なかった。
それは心残りと言えば心残りである。だが、離れていても自分が陸奥守の理想のためにも出来る限りの戦いをしたのは、皆分かってくれるだろう。
後は自分の戦いは、皆がそれを生かして先に引き継いでくれるはずだ。
そして北条家の生き残りとしても、果たせるだけの務めを果たし、最後に北条家を受け継ぐ者の器量も見極められた。
あの夏の日の山中で師行や勇人や楓と出会わなければ、当の昔に詰まらない戦で死んでいてもおかしくはない命だった。それを考えれば、何も悔やむ事は無い。
馬が、時家の意思に関係無く進み始めていた。
鎌倉の方へと向かっている。もうほとんど目も見えなくなっていたが、そんな気がした。
子どもの頃、馬に乗るのが苦手だった。それを武士の子どもとして内心恥じてもいた。
父である泰家が、一度だけ自ら馬の乗り方を教えてくれた事があった。
それで大して上達した訳ではなかったが、恐れる事無く馬に自分の体を委ねろ、と言う父の教えは、ずっと心の中に残してきた。
馬に委ねてみるか。時家はふとそう思った。
このまま馬に委ねていれば、ひょっとしたらそれで鎌倉の仲間の元まで連れて行ってくれるのかも知れない。
馬に合わせて体が揺られ、それがまるで宙に浮いているような感覚だった。
一度真っ暗になった視界が、急に白くなった。
そしてそれきり、何も見えなくなった。
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