8-19 北条時家(2)

 どこまでも平坦な、ただ習性のように足利に与する武士達に殺意を向けてくる、生ける屍と言う言葉を思い出す兵士達で作られた軍勢達。

 その軍勢達の中に浮かび上がっている異質な一点に向けて、時家はひた駆けていた。

 家長の騎馬隊が敵の一番強固な部分を打ち砕いた。それで敵は大きく崩れている。

 それでも騎馬と徒を合わせて二千五百を切った兵で、残る敵の抵抗を打ち砕くのは相当に骨だった。崩れている敵でも、こちらが少しでもてこずればそこを中心にして兵が集まり、立ち直ってしまうのだ。

 家長の騎馬隊は凄まじい戦いぶりで先に進んでいるが、それでもしばし敵の抵抗に前進が止められる。

 時家は徒の半数を使ってそれを援護しながら、自分は少しでも前に進み続ける事を目指した。

 遮って来る敵を正面から突き破ろうとはせず、受け流し、間を縫うように、泳ぐようにして進んで行く。それでも、こちらの兵は少しずつ倒れていく。

 家長の騎馬隊と共にほぼ中央まで達する。そこでまた敵の新たな塊にぶつかった。こちらが本陣を目指している事に気付き、時行を守るために動いて来た兵達がいる。


「車」


 時家は短く叫んだ。

 兵達が円陣を組み、その場で回るようにして位置を入れ替えながら敵にぶつかる。家長の騎馬隊もそれに倣い、騎馬と徒で一つの車輪になった。

 徒がわずかでも敵を押し、そうして出来た間隙で騎馬が駆ける。円の動きなので、わずかな距離でも騎馬が勢いを付けて敵にぶつかる事が出来るのだ。

 騎馬隊がぶつかった所でさらに繋げた盾を持った徒が進み、輪を広げる。

緻密な連携が必要な動きだが、それは滞り無く上手く行った。共に戦うのは初めてのはずなのに、まるで師行の騎馬隊と共に動いているようである。

 時家はそれを不思議とも思わなかった。家長は師行の騎馬隊と戦い、それを目標にして自分の騎馬隊を今まで鍛えて来たのだ。

 そうやって敵を押しのけた先に、輿どころか馬にも乗らず、兵達と同じように自ら太刀を抜き放った時行と、それを守る一団がいた。

 時家は円陣をわずかに開き、その一団を徒の中に飲み込む。家長は騎馬隊をそのまま動かし、周囲の迫ってくる敵をどうにか凌いでいた。

 激しい戦場で、その円陣の中だけ動きの止まった場所になった。

時行を守る兵は三十名ほど。その兵士はこの異様な軍勢の中にあって、しっかり瞳にそれとは別の色を残しているのが見て取れる。

 そして時行の側には、二名の僧形の者がいた。

 時行自身の眼には、いつも通りの凄まじい怨念と、それに合わせて激しい怒りと戸惑いが宿っており、それらがないまぜになって時家に向けられている。


「何故です」


 何を言うべきか。時家がそれを考えるよりも前に、時行が激しい口調で叫んだ。僧形の男が何かをささやき、時行を抑え付けようとしているが、それを振り払って前に出てくる。


「何故ここに来て私を裏切ったのです。何故北条を裏切ったのです。今度こそは、信じていたのに」


「ようやく、自分自身の感情を表に出されましたな、時行殿」


「私は何故私を裏切ったのか聞いているのです時家殿」


 太刀を振りかざし、こちらに斬りかからんばかりの剣幕で時行は叫んだ。

 その顔は、自分が信じていた大人に裏切られ、しかしそれでも相手を嫌い切る事が出来ずに癇癪を起こしている、ただの子どもの顔だった。


「時行殿が、間違った戦をしておられるからです」


 時家は、時行がそんな感情をむき出しにしている事に、むしろほっとしながら答えた。

 戦を通して向き合う事によって、時行の感情を引き出すと言う荒療治は、間違ってはいなかったらしい。


「私の何が間違っていると言うのです。私は生き残った北条一族の務めとして仇を討つために、逆賊足利を」


「その足利への憎しみは、本当に時行殿自身の物ですか」


「北条一族は足利によって滅ぼされたのです。何を今さら」


「鎌倉を落とし北条一族を直接滅ぼしたのは足利ではなく新田であるのに?足利と新田に北条討伐の勅命を下したのは帝であるのに?」


「それは、足利は北条に謀叛した上で今また朝廷にも」


「本当に殺したいほどに憎んでいるのですか、足利尊氏や直義を。それほどに憎んでいるのであれば、何故同じ仇であるはずの新田や帝はそんな程度の理屈で憎む事無くいられるのですか」


 時行は返答に窮したように俯いた。周りの兵士達も戸惑った様子で、時家と時行のやり取りを聞いている。


「今私に抱いているような本当の怒りを、生の人間に向けた、殺してやりたいと言う憎しみを、あなたは足利尊氏に抱いた事は無いでしょう」


「違う、私は」


「あなたは一族郎党ことごとくと生まれ故郷を失った悲しみと寂しさを、足利への怨念に置き換えてしまっているだけです。いえ、その者達によって置き換えられてしまっているだけです」


 時家はそう言って僧形の男達を睨んだ。


「このような裏切り者の申す事に耳を貸されますな、時行様」


 わずかに狼狽えたような様子を見せた後、僧形の男の一人が叫んだ。もう片方は時行の肩を掴み、剣を抜いている。


「黙れ。子どもの悲しみを自分達の謀略に利用しようとする卑劣漢共」


 激しい怒りは無かった。それよりも、こんな者達にこれまで時行を、そして北条得宗家の最後の生き残りを好きにさせていた事に対する自責の念が襲って来る。

 自分には、この国のあるべき正しい形の事などは分からない。今更そんな事を考える資格も、無いだろう。

 ただ、こんな者達にこの国の未来を委ねるは出来ない、と言う事だけははっきり分かる。

 時行の周りの兵士は約三十人。しかしどう動くべきか判断が付かないのか、戸惑っている。

 そして時行自身は激高しているようで、時家の言葉に耳を傾け、自分の頭で考える事をやめてはいない。

 時家が自分の配下を動かせば、五辻宮配下の二人は時行を人質に取るかもしれない。この軍勢の性質を正しく理解しているのであれば、その場で時行を殺して北条に殉じさせようと考える事もあり得るだろう。

 迷っている暇は無かった。こうしている今も敵の強烈な圧力を、家長の騎馬隊は駆け続ける事によってどうにか凌いでいるのだ。

 時家は部下達に動かないよう手だけで合図を出し、自身は敢えて隙を晒したまま、前へと踏み出した。

 時家を斬れば、それでひとまずこの場は斬り抜けられるかもしれない。時家が前に出たのを見て、二人はそう考えた様だった。時家に対する殺気が漂い出して来ている。

 敵は二人。しかもかなり使える。ただ今は相手も動揺している。

 剣の柄に、手を掛けた。

 自分自身で剣を振るい、戦場で敵を斬った事はこれまでにほとんど無い。いつも指揮官が前に出るような激しい戦ではなく、相手の攻撃を受け流し、隙を突くような戦いを目指して来たのだ。

 それでも、剣の鍛錬を欠かした事は無い。この戦では、はっきりそれが生きていた。

 さらに一歩、踏み出す。

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