8-18 斯波家長(9)

 時行の軍勢としばらくぶつかり合った後、家長の騎馬隊と時家の徒だけを前に出し、残りの二万の軍勢を二つに分けて後ろに下がらせた。

 敗走を偽装してはみたが、それでも多少戦場が見えている指揮官であればまずは罠を疑うだろう。

 時行の軍勢もそれを警戒したのか、丘の前で一度軍勢を止めた。

 時家の徒が前に出て、短弓で矢を射始める。同時に家長は騎馬隊を敵の矢が届かないぎりぎりの位置へと下げた。

 敵がそれに釣られるように、じりじりと追って来ている。やはり家長の首を取る絶好の機会に、敵は逸っているようだった。

 家長が前面に孤立して出て来た事で、今まで足利の軍勢と言う物を通して向けられていた殺意が、明確に家長一人に集中している、と言う感じだった。ただ、あからさまな罠の気配の前に、その動きには迷いもある。

 前進に従ってある程度敵の陣形が緩んだ、と思えた所で、突然時家の徒が二つに分かれた。

突然。いや、そう動く事は家長には予想が付いていた。

 二つに分かれた所に騎馬隊で駆け込む。徒に対する備えだった時行の軍の前衛に突っ込んだ。容易く崩れる。しかしやはりすぐに立ち直って行く。

 こちらも深くぶつからずにすぐに退いた。

 そんな風に、押して、退く、と言う事を騎馬隊と徒で繰り返す。

 合わせてわずか二千五百に満たない兵である。敵が全力でぶつかってくれば容易く押し潰され、飲み込まれる。しかしそうすれば罠に踏み込む事も、敵は分かっているのだ。

 後は家長自身の首を囮にして、どこまで敵を引き付けられるかだった。二千五百が相手であれば、罠に掛かり切る前に家長の首を取れる。敵にそう思い込ませる事が出来るかどうか。

 そしてそう思い込んだ敵を、実際に凌げるかどうか。

 とにかく、時家の徒は変幻に動いた。動きながら陣形を変え、時に二つ、三つ、五つと分かれる。敵に近付き、離れ、ぶつかり、さらに戦わず敵陣に入り込み、幻惑する事までする。あまりに目まぐるしく自在に動くので、徒でありながら時に家長の騎馬隊の方が追い付けない程だ。

 そして敵に包み込まれそうになれば、心憎いほど巧みに家長の騎馬隊を囮にし、援護させ、そこから脱する。逆に家長の騎馬隊が逃げ場を失いそうになれば、徒でありながら自分が囮になり、敵を遮る。

 この動きに今まで何度も煮え湯を呑まされた物だったが、味方となれば心強い事この上ない手腕である。

 北条時家とはここまでの武将だったのか、と改めて認識する思いだった。

 それほどの武士が、ただ北条の庶子に生まれた、と言うだけの理由で、わずか五百ほどの兵だけを率いる戦をしている。倒幕の戦の折り、実際に兵を率いて戦ったどの北条一族の武士よりも優れた戦の才を持つであろう武士が、だ。

 何か、今の北条時家を言い表すのにぴったりな言葉を自分は知っている気がした。しかし、それが何なのかはすぐには出てこない。


「似ています」


 白銀が呟いた。


「似ている?何にだ」


「楠木正成殿に。いえ、私は直接楠木正成殿が本気で戦をなさる様子を見た事は無いのですが、それでも音に聞こえた楠木の戦とは、こう言った物なのかと」


 白銀は途中から自分の言葉に首を捻るような様子だったが、家長はその言葉で得心が行った。


「そうか。確かにあれは、楠木正成だな」


 もし生まれではなく純粋に戦の才だけで鎌倉幕府の大将が決まっていれば、時家が大将に選ばれ、そして鎌倉幕府が滅びる事は無かっただろう。

 そして現実には大将になる事は決して出来ないまま、自分が率いる事が出来る限りの兵を率い、あらゆる手立てを尽くして、戦を戦っている。

 そう考えれば、時家は間違いなく北条一族の中の、もう一人の楠木正成だった。

 また時家の徒が敵に追われていた。追われているようで、引き付けている。

 時家の軍勢は前に向かって戦う姿勢を保ったまま、ほとんど速さを落とす事なく後退出来るようだった。時家を追う敵は、こちらに側面をさらけ出している、

 家長は迷わず騎馬隊をそこにぶつけた。それを補うために別の敵が出て来ているが、一瞬遅い。


「やはり迷いがあるな、敵には」


「迷い、ですか」


 今度は家長の呟きに白銀が相槌を打つ。


「軍勢その物は私の首を目指しているが、指揮を執る北条時行は時家殿が気になって仕方ないようだ。そこのわずかな意識のずれのような物を、時家殿は上手く突いている」


 自分の率いる軍勢が自分の思う通りに動かせない、と言う感覚を今、時行は初めて味わっているはずだ。時行自身が優れた将としての資質を有していればいるほど、その感覚は強くなる。

 頃合い、と見たのか、時家の徒が再び合流してきた。徒が騎馬隊の傘になるようになって、再び敵と正面から向き合う。

 家長と時家、どちらの首を狙うのか、ここまで攪乱された事によって曖昧になっていたその殺意のような物が、家長と時家が一つになった事で真っ直ぐな分かりやすい物になった。

 時家がそれを敢えて狙っている、と言うのは最初から分かっていた。家長もそれを狙っていたのだ。

 今まではぐらかされていた殺意が、一直線の形になってぶつかってくる。

 凄まじい圧力だった。しかし時家は退こうとはせず、まずそれを正面から受け止めた。


「退くな、押すぞ」


 家長も声を張り上げ、騎馬隊を縦列で前に進ませた。その騎馬隊が二つに分かれ、時家の徒を押し包もうとしていた敵を逆に包み返すように鶴翼で押す。

 そのまま押し合った。しかし一万八千と二千五百のぶつかり合いである。押し潰されそうになる。さらに敵が別動隊を出して鶴翼の端を突き崩そうともして来る。

 それでも一気に下がる事無く、じりじりと後退する事で何とか耐えた。

 敵は今、嵩に掛かって家長と時家の首を取りに来ている。例えその先に罠があると分かっていても、こうなると下がるのは難しい。

 ましてや、本当に後わずかで家長と時家を討ち取れる所まで来ているのだ。

 敵が押す力がさらに強くなる。抗しきれない。

 そう思った時、目の前に不意に壁が出来た。

 壁。いや、盾。時家の兵達が盾を並べている。盾には左右に金属の鉤が付いており、それが繋げられて塀の様になっていた。それで時家はどうにか敵の攻撃を凌いでいた。一度敵を食い止めた後、その反動に押されるようにして一気に下がる。

 それで敵が押そうとする勢いは、さらに強く、しかしどこか浮ついた物になった。


「行け」


 左右に並ぶ丘の麓まで敵を引き込んだ所で、家長は叫んだ。太鼓が打たれる。左右の丘から、伏せていた兵達が逆落としを掛けた。

 一万ずつが二部隊。それが左右から挟み撃つように逆落としの勢いで敵に襲い掛かる。

 敵の軍勢には大きな衝撃が走っていた。今まで通り、その衝撃を受け流すかのように敵の陣形は崩れる。しかし崩れる先である反対側からも、逆落としを受けているのだ。

 敵の軍勢の中心で北条時行が叫んでいるのが見えた。そして乱れかけた敵が、そのまままっすぐ前に進んでくる。


「子どもが、いい判断をする物だ」


 ここで敵が退こうとすれば、前に進もうとする者と下がろうとする者が入り乱れ、一気に混乱しただろう。前に進み続けて押し切るしか、活路は無い。

 家長は騎馬隊をもう一度一塊にし、正面からそれにぶつかった。

 先程と同じように恐ろしく堅い抵抗にぶつかる。それでも、左右の攻撃から敵が受けている圧力は相当なはずだ。この抵抗が破れれば、それで敵の本陣にまで達せる。

 家長自身も太刀を抜き、自ら敵を斬り倒した。相変わらず敵は不気味な殺意だけを全身に漂わせていて、ほとんど怯む事もしない。

 ただ、こちらも生き残った兵達は、この死線の中で尋常でない気を放ち始めている。

 互角の押し合いになっていた。最早攪乱する時ではない、と判断したのか時家の徒も複雑な動きはせず正面から敵とぶつかっている。

 このまま膠着して敵が逆落としの衝撃から立ち直ってしまえば側面も互角の戦いになる。そうなってしまえばもう勝ち目は無かった。何としてでもここで押し切らなくてはいけない。

 返り血を浴びながら味方を叱咤し、敵を斬った。時家も自ら太刀を振るっているのが見える。しかし、破れない。後もう少しだと言うのは分かるのだが、破れない。

 もし今自分の配下に南部師行が、あるいはあの建速勇人ほどの圧倒的な強さの持ち主が一人いれば、それで破れる。そうはっきり分かる程のぎりぎりの膠着だった。

 後、一押し。どこか、一点が破れれば。

 家長がそう思った時、視界の端で何かが動いた。

 白銀。馬上で立ち上がっている。それからわずかにこちらに顔を向け、微笑んだ。

 止せ。家長がそう言おうとした時、白銀は馬の背を蹴り、ふわりと跳躍していた。人間の背丈の何倍もの高さ。

 まさに天を舞うかのような白銀の姿は、とても美しく見えた。

 そのまま敵兵の中に飛び込み、落下しながら二人の首を斬り、地面に降り立ってさらに別の敵兵に斬りかかる。

 その意表を衝いた攻撃に、敵の一角がほんのわずか乱れた。

 掛かれ。そう叫んで家長はその一角に自ら先頭に立って斬り込んだ。白銀が後ろから斬られ、倒れるのが見える。

 声にならない叫びを上げながら、遮二無二、敵を攻め立てた。

 堅い物を打ち砕いた。そんな感触があり、それから敵が今までにない様子で崩れ始める。


「押せ。押し続けろ。本陣まで、断ち割れ。時家殿の兵を、そこまで達しさせろ」


 崩れた所に、騎馬で一直線に駆け込む。左右からの攻撃も激しさを増している。

 太刀を振るう。血が飛び、火花が散った。混乱して統率を失った敵は、家長一人に攻撃を集中し始めている。

 望む所だった。自分に攻撃が集まれば、ますます敵の陣形は乱れていく。

 突然、脇腹に焼けるような痛みが走った。反射的に攻撃が来た方向に太刀を振り返す。

 いつのまにか、すぐ近くにまで潜んで来ていた僧形の男が、仕込み刀を握り締めたまま、首から血を吹き出して倒れた。

 時行の軍勢の中に潜んでいる五辻宮配下が、この乱戦の中で動いている。


「両翼の軍はこのまま敵を一人でも多く倒せ。特に敵の陣中に紛れ込んでいる武士で無い者は逃さずに斬れ。僧形や山伏姿の者だ」


 そんな伝令を飛ばした。

 自分の中で何かが切れていた。視界は赤黒い。他にも何度か傷を受けたが気にもしなかった。痛みも感じない。それでも、未だにどこかで冷静に戦場を見ている自分がいるのが、疎ましくもあった。

 倒れた白銀が、味方の兵によって抱き起されているのが見えた。

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