8-17 斯波家長(8)
家長は、まだ冷静に戦況を見て取っていた。
突然敵の動きが変わり、力を増したのは、北条時行が表に出て来たからだろう。
それは想定外の事ではあったが、敵が追い込まれたからそうして来たと言う事でもあった。
こちらの攻め方が間違っていた訳ではない。戦の局面が次に進んだと言うだけの事だ。
「しかし、これほどの相手とはな」
騎馬隊でほぼ断ち割り掛けたが、最後の所で跳ね返された。即座に退いたのはそのまま正面から攻め続けても無駄だと判断したからである。
こちらの消耗は激しかった。それに対して敵はさらに勢い付きつつある。ほとんど気持ちの高揚だけで保っている勢いなのは見て取れたが、それでも侮りがたい物はある。
攻勢を仕掛けて勝つ機会は、せいぜい後一度きりだろう。そこで決定的に敵を破ってこの勢いを砕かなければ、それで負ける。
北条時家の軍が、合流してきた。
ずっと兵を動かさず、最後に家長の騎馬隊に合わせて時行を目指してぶつかって来た。徒だけの五百でそこからさほどの犠牲も出さずに退いて来たようだ。
「何とも厄介な大将に育った物だな、北条時行は」
「ええ。並みの大将であれば、あそこから家長様の騎馬隊を跳ね返す事は出来なかったでしょう」
「共に行動している間に、お主が戦を教えて育てた訳ではなかろうな、時家殿」
「それが出来ていれば、それはそれで面白かったのでしょうが」
家長の冗談に、時家も冗談で応じた。
二万五千と二万で始まった戦は、双方かなりの犠牲を出して、二万二千と一万八千ほどになっていた。
「時行は、突然ここに来て裏切ったお主を憎んでいるだろうか?時家殿」
「同じ北条一族の最後の生き残りとしてそれなりの関係を築いていましたので、恨まれているやも知れません。むしろ恨んで下さっていた方が、とも思うのですが」
時家は謎のような言葉で返答したが、家長には何となく意味が分かる気がした。
敵はまた前進を始めている。家長は地形を確認した。丘陵と原野。後ろに下がれば、丘が二つ並んでいる地形があるが、かなり距離がある。
「私の騎馬隊二千とお主の徒五百だけで、しばらくの間敵を支え、引き付ける。出来るだろうか?」
「ほう」
口調は余裕があったが、時家の表情は厳しい物になった。家長の作戦を読んだようだ。
「残りの兵力を後方の丘に回し、引き付けてから逆落としを仕掛けさせますか。それも両側から」
「あの軍勢が粘り強いのは、ごく自然にこちらの攻撃を受け流すような崩れ方をするからだ。ならばそれが出来ないように多方向から同時に決定的な攻撃を加えれば、本当に崩せる」
「しかし、敵が掛かりますか?二万の軍勢を一度下げて丘に配置する事になります。罠としては露骨過ぎるのでは」
「だから私はここで命を捨てようと思う。命を捨てる気であの怨念と、そして北条時行と言う将と正面からぶつからなければ、この戦には勝てぬ」
「どういう意味ですか」
今までずっと沈黙を保っていた白銀が声を出した。戦に関しては口を出さない、と誓っていたようだったが、さすがに堪え切れなくなったらしい。
「あの軍勢は足利討つべし、と言う怨念で動いている。だから足利一門の御曹司の一人である家長殿の首にはどうしても引き寄せられる、と言う事だ。そしてそこに時行殿の心をかき乱すであろう裏切り者のそれがしも加わる」
家長の代わりのように時家が答えた。家長が返答に困ったのを察したのかもしれない。
「この先の戦は、指揮の巧緻や兵の強さだけでは勝てない。人として持つ物全てを使って、あの軍勢と戦わなくてはならぬ。そこには、私と言う人間の首の価値も含まれる」
時家の言葉を引き継ぐように家長は言った。
ここに来て時行が自ら兵を率い始めた事が、恐らく囮に対する敵の軍勢の反応に微妙な影響を及ぼす。そこに、家長と時家の二人が前に出る意味があった。
語らずとも、時家はそこまで分かっているようだった。
白銀の方がどこまで読んだのかは分からないが、それでも家長がやろうとしている事の意味は分かったようで、黙ってわずかに俯いた。
「君は、忍びか?」
「はい。白銀と申します。昔から家長様に仕えさせて頂いております」
時家がふと白銀に興味を持ったように訊ねて来た。戦場に女がいる事自体は、特に気にしてもいないようだ。
「あの、何か?」
「いや。どこか知り合いの娘に似ていてな。同じような苦労をしているのだろうと、ふと思った」
そう答えた時家の表情からは厳しさは消えていた。戦いの前に別の会話をする事で余裕を取り戻そうとしているのかも知れない。
「そうですか。その娘も忍びですか?」
「ああ。大切な男のために戦場で無茶をして死に掛けた。自分がその男のために何を出来るか、深く思い悩んでいたのだろうな。本当の無茶で、生き残ったのは運のような物だった」
「何故、今私にその話をされるのですか?」
「さあ。言わずにいれなくなっただけさ。男はいつでも最後は言葉などいらない、と思ってしまう。多分、女相手にはそれではいけないのだろうが、戦をしているとそれを忘れてしまう」
何か自分と白銀の間に足りていない物を、時家が時家なりの言葉で補ってくれている、と言う気が家長にはした。
戦だけでなく、他の事でも細かな気遣いが出来る男なのだろう。
だからこそ、北条時行に関しても、何か普通では気付かない事に気付いたのかもしれない。
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