8-16 北条時家
斯波家長の軍勢はさすがに見事と言う他なかった。
家長の郎党も、外様の武士達から選び出されたであろう者達も、しっかりとまとまっていて、動き始めても隙が無い。
そして家長自身が率いている二千騎は、以前に時家が関東で戦った時よりもさらに鋭さを増している。
兵や馬の質がそこまで上がっている、と言うのでは無かった。質自体は恐らく以前の時点でほぼ極まった所まで達している。
率いる家長の鋭さが増したのが、そのまま軍勢にも表れているのだ。
まともな軍勢を相手にしたまともな戦であれば、相当な強さを発揮するだろう。陸奥守や南部師行が率いる同等の数の軍と戦ったとしても、簡単に勝負が付くとは思えない。
これが自分よりも十も若い、陸奥守と比べてもさらに若年の大将だと言うのだから、末恐ろしい軍才である。
だが、これから自分達が戦おうとしているのは、まともな軍勢でも無ければまともな戦でも無かった。
家長の軍勢が三つに分かれ、各方向から時行の軍勢にぶつかって行く。三つに分かれた軍勢はさらに数段に分かれて、それぞれ攻撃を繰り返し仕掛けている。
敵は一見押されて崩れて行っているように見えるが、実際にはただ表面の形が変わっているだけで、何も崩れていないのと同じだった。
粘土をこねているような物だった。しかしその粘土が自分で元の形に戻ろうとし、戦う意志を持っているのだから厄介なのである。
家長の攻撃は次第に激しさを増して行く。だが、攻め込み過ぎると逆に包み込まれるだろう。
家長はぎりぎりの所を見極めるつもりの様だった。騎馬隊を三つに分け、包み込まれ掛けた味方を援護して退かせている。そして退いた所にまた新たな軍勢が突っ込んでいる。
今の所、その動きに破綻は無い。しかし騎馬隊はいつまでも駆け続けられる物ではない。いずれは、馬が潰れるのだ。
そして激しく動き、攻め立てている分、騎馬隊以外の兵達もこちらの側の方が消耗は激しいだろう。
対照的に、時行の軍勢には、激しさなどは全く無い。どこまでも鈍い動きで、しかしそれが自然な習性のように崩れた所が元に戻って行く。果たして、いつまで押し続ける事が出来るのか。
家長がどれだけ攻め立てても、敵にはまるで変化が見られない。逆に少しずつこちらは消耗して行っている。
先頭で突っ込み、しかし退き損ねたわずかな兵達が囲まれ、押し潰されているのが見えた。三つに分かれた騎馬隊の内、家長が直接指揮を執っていない二つは、やはりやや動きは劣る。そのせいで、援護が間に合わない局面が出て来ている。
それでも、時家は手勢を動かさず丘の上でじっと耐えていた。五百の兵で出来る事は限られている。動かし方を一歩間違えれば、容易く殲滅される程度の数だ。
一見意味が無いように見える攻撃を繰り返す中で、それでも家長は確かに何かを見ている。そしてそれは、時家が見ている物と同じ物のはずだった。
せめて今、自分の麾下が五百でなく五千であれば。いや、三千、二千であっても、出来る事はずっと増える。
その考えを、頭に浮かべようとする事にも耐えた。
自分は寡兵で戦うしかない宿命をずっと負っている。かつては巧みな指揮を身に付ける事だけでその不利を覆そうとした。
奥州軍と共に戦うようになってからは、信頼出来る仲間達と戦う事でもその不利を補う事を覚えた。
今は、斯波家長を信じるしかない。斯波家長も、こちらを信じているだろう。それは、何故かあのわずかなやり取りだけで分かった。
陽の傾きを見れば、戦いはいつのまにか二刻を越えていた。敵も味方も、少しずつ立っている兵の数が減っているのは同じだ。ただ、家長の軍勢は徐々に動きの悪さが出始めていた。
時行の軍勢は、やはり全く動きに変化は見られない。兵達も、一太刀二太刀浴びようと、矢が何本か当たろうと、その程度ではまるで意に介さないように、血を失い切るまで動いている。
この軍勢が五万、十万と膨れ上がればそれはもう誰にも止められない。実際の戦いの様子を見ると、以前からあったその確信が最早畏怖や恐怖に近い物として強まって来る。
最早何度目か分からない攻撃を家長が仕掛けた。攻め込む位置を、攻撃の度に少しずつ変えて行っている。
どこを攻めても同じ結果だ。一見、そう見える。だが、攻撃に合わせてそれに応じる様に動く者達が軍勢の中にわずかにいるのを、時家は見て取っていた。
あるかなしかの動きである。攻撃を受けても動かない時もある。しかし確かにそこには、軍勢の中に隠れた何かを守る意思を持つ者達がいる。
何度も攻撃を繰り返し、時行の軍勢を深く押し込む事によってようやく見えて来た。
「あそこだ」
時家が思わず口に出して呟き、伝令を出そうとした時、斯波家長が騎馬隊を一つにまとめた。
当然のように斯波家長にも見えていたようだった。時家も迷う事無く丘の上から兵達を駆けさせ始める。
一塊になった騎馬隊が時行の軍勢に真っ直ぐぶつかった。今までにない圧力の掛け方。
敵はここまでの二刻の間、ずっと同じ形で攻められ、そこから立ち直る動きに気付かない内に馴れ始めている。
その馴れとは逆らうような動きに突然対応する事は、兵一人一人の士気や軍勢の精神的な一体感だけではどうにもならず、ひたすら厳しい調練を重ねて身に付けるしかない。
寄せ集めの武士を怨念だけで練り固めた軍勢の弱点を、正確に家長は突いていた。
家長の騎馬隊が崩した所に、時家も逆落としの勢いを付けた徒で続いた。
崩し、そのまま断ち割れる。そしてその異質な一点に辿り着ける。そう思った時、何か凄まじく堅い物にぶつかる感触があった。
押し返す敵の力が急に増した。敵の兵が今までにない異常な力を出し始めている。
何が起きたのかはすぐに分かった。こちらが目指していた先から時行が姿を晒し、大将として前に出て来たのだ。
時行が太刀を抜いて声を張り上げ、自ら兵達に迎撃を指示している。それが、ただそれだけの事が敵の兵達に抗しがたいほどの力を与えている。
咄嗟に時行自身に兵を指揮させる、と言う判断は軍勢を操っている者達にはとても出来ないだろうし、仮にそれが出来たとしても他の者達がさせている事ならこれほど迅速には動けないだろう。
時行が自分で戦況を把握し、前に出る事を決断した、と言う事か。
「やるではありませんか、若君」
兵を惹き付けて力を引き出すだけでなく、咄嗟に戦況を見極める資質も未熟ながら時行は持っている。
それが分かり、時家は思わず薄く笑いを浮かべていた。そんな場合ではない、と言うのは分かっているのだが、北条一族の若君が戦の才を有している事を、どこかで喜んでいる自分がいる。
押し切れない。そう判断したのか家長の騎馬隊が退き始める。時家もそれに合わせて兵を退いた。
突然時行を中心にまとまった軍勢は外に向けての動きは鈍く、ここで退く事は容易かった。ただ、すぐに敵は時行によって指揮される事に馴れ始めるだろう。そして時行もまた、兵を指揮する事に馴れ始める。
これで次の局面は、まともな戦らしい戦になる。そのまともな戦で戦い切れるだけの余力が、こちらに残されているのか。そしてまともな戦で押し切った所で、勝ち切れるのか。
もし時行がまともな戦とそうでない戦を使い分けるようになれば、それはもう誰にも勝てない相手になるかもしれない。
次は、どう戦う。心の中でそう呟いた。
自分に向けた物だったのか、家長に向けた物だったのか、あるいは時行に向けた物だったのかは分からなかった。
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