8-15 斯波家長(7)
「盛光、すぐに手勢を連れて義春と胤時の元に向かえ。二人の軍勢と共に北の新田義興を止めよ。最低でも、奥州軍が鎌倉を抜けるまでの間だ」
「しかしそれでは」
「軍勢の半数をここから割く事になる。その意味は分かっている。しかし、今はこれしかあるまい。陸奥守との約定を果たすために、我らはどうあっても北条時行と新田義興の双方をここで止めねばならぬ」
上杉憲顕がぶつかったせいで、奥州軍本隊の進軍はその分遅れているだろう。
「それでは、せめてそれがしはここに」
「上杉憲顕が何を考えていたかは分からぬが、今の形としては我らが陸奥守を裏切った事になる。陸奥守との間でこれ以上の不測の事態を避けるために、事情を知るお主には私とは別に動いていて欲しい」
家長がそう言うと盛光はしばし俯いた。
「必ず、新田義興の軍勢を打ち破って見せます」
それだけ言葉を残し、盛光は軍勢を引き連れて離れていく。
盛光の軍勢が佐竹相馬の軍勢と合流し、そしてさほどの間もなく北へと離脱して行った。
佐竹義春にも相馬胤時にも、陸奥守との密約の事は明かしていない。それでも、自分の命令だと言う事で大きな異論を挟む事無く従ってくれたのだろう。
陸奥守と戦う間、自分があれだけ欲していた関東の武士達との信頼関係は、ここに来てようやく目に見える形で表れ始めていた。
ひょっとしたら自分は陸奥守との密約の事を、伊賀盛光だけでなく、もっと多くの武士にも伝えるべきだったのかもしれない。
そしてどうせ軍勢を任せざるを得ないなら、上杉憲顕も抑え付けようとするのではなく、もっと腹を割って良く話し合うべきだったのか。
束の間、そう思った。
「何を考えられていますか?」
白銀が訪ねて来た。
「今更考えても詮の無い事だ。それより、早くここから離れるのだな。この先は私の麾下を出し惜しみしている余裕すら無くなる」
数の優位は失われていた。あの異様な軍勢に対して家長が考え付いた手段は当然もう使えず、それに代わるような策は今の所何も無かった。
「だから私はここにいるのですよ、家長様」
白銀が笑みを浮かべて言った。
「おい」
「状況がかなり良くないのは分かります。それでも、ここで退く事が出来ない事も。家長様が死力を尽くして戦われると言うのであれば、せめて私には家長様を守るために戦場にいる事をお許し下さい」
止める言葉を吐こうとし、しかし何も出て来なかった。笑みを浮かべたままの、しかし今にも泣き出しそうに見える白銀の眼から家長は少し目を逸らした。
「戦場にいるのはいい。しかし勝手に命を捨てる事は許さないぞ、白銀」
「はい」
白銀は頷き、そのまま家長の隣に馬を並べた。周囲の兵達は、何も言わない。呆れているのかも知れなかったし、受け入れているのかも知れなかった。
敵はじりじりと前進して来ていた。こちらは丘の上にいる。逆落としで簡単に崩す事は出来るだろう。しかし崩した所でそれからどうするのか。
戦は敵の強い部分を、あるいは弱い部分を見極める事から始まる。それから敵のどこをいつ突くかを状況に応じて決めるのだ。
軍勢の全ての部分が平坦で強弱に差が無いと言うのは、つまりどこを攻めればいいのか分からない、と言う事でもあった。
ならば攻めるとすれば。
家長がそこまで考えた時、不意に五百ほどの徒が丘の影から湧き出してきた。
それは文字通り湧き出してきた、と言うのがぴったりで、相当に上手く潜みながら進んで来たのだろう。
旗は上がっていなかったが、その現れ方だけでどの軍勢なのかは家長には察しが付いた。
「奥州軍の北条時家、故あって斯波家長殿にお味方致します」
軍勢から一騎が馬を寄せて来てそう名乗った。若い武士だ。若いと言っても家長よりは年上だろうが、涼しげな顔が強く印象に残る。
「北条時家殿か。戦場では幾度も戦ったが、こうして顔を合わせるのは初めてだな。その内に出て来るであろうとは思っていた」
「しばし戦いの行方を見守るつもりでしたが、そちらで何やら不測の事が起こったようでしたので」
北条時家の五百は家長の騎馬隊のすぐ横に付いた。
「この状況での力添えは正直な所ありがたい。だが」
たった五百の兵でも、戦が上手いのは知り過ぎる程に知っていた。しかしこの土壇場でこの男を信用出来るのか、と思った。
北条から奥州軍に付き、それから北条に戻り、今また足利に与しようとしている。それだけ見れば、信義も何も無い変節ぶりだ。
「それがしは奥州軍の北条時家です」
家長の迷いを見て取ったように、時家はそう言い切った。言葉にも表情にも、一点の曇りもない。
それで家長の覚悟も決まった。むしろ、この男を一瞬でも疑った事を恥じた。
「分かった。共に戦おう。正直あの軍勢をどうするかと半ば途方に暮れていた所だ」
「半ば、と言う事はもう半分の所で何か策はあるので?」
「策と呼べるほどの物ではないが。あの軍勢を止める方法は私には二つしか見えない。一つは単純に敵の兵を軍勢と呼べなくなる数まで討ち果たす事だ」
「もう一つは?」
「敢えて私に語らせずとも、お主にも分かっているのではないか、時家殿。いや、お主の立場であれば私よりも見えているはずだ」
「これは、失礼いたしました」
「北条時行の心を変える。それであの軍勢を止まるのか?いや、そもそも時行の心を変える事は可能なのか?時家殿」
「それは、やってみなければ分かりません。しかしそれがしは時行殿の心を救うためにもここにいる、と思っています」
北条時行のために戦う。時家は後ろめたさの気配など全く見せずにそう言った。
この男はこの戦場でさらに北条一族としても戦う気なのか。だとしても、一度味方として受け入れてしまえば、後は家長は不思議とそれをおかしな事だとも感じなかった。
「元々、戦の結果生まれた怪物なのです、あれは。だとしたらそれを人に戻せるのは、最後はやはり戦場ででしかない。わずかな間とは言え時行殿と共に過ごし、そう悟りました」
怪物、と言う時家が使った言葉が妙にしっくりと来た。
目の前のあれは、軍勢であって軍勢ではない。だから北条時行も敵将であって敵将ではない。倒幕の戦の中で生まれ、その後の後醍醐帝の謀略の中で育った怪物なのだ。
今から始める事も、ひょっとしたら戦であって戦では無い怪物退治なのかも知れない。
それをやるのが、足利の中枢にいる自分と、北条一族の中の異端の武士と言うのが、何とも奇妙な巡り合わせだった。
「しかし、時行の位置は分かるのか?」
「恐らく五辻宮配下達が巧妙に軍内に隠しているでしょう。指揮している者も適当な身分の武士で、本陣と呼べるような物は見せ掛けです」
「とはいえ元が北条の郎党であるならば」
「ええ。全軍が怨念に呑まれているとは言え、時行殿の身が危険に晒されればそれに応じて動こうとする者が出るはずです」
「まずこちらの全力で時行の位置をあぶり出す。その後、時行の事は時家殿に任せよう。私の方はそこからはとにかくあの軍勢を減らす事にする。それで良いな?」
「ありがとうございます」
時家はそう言って一礼し、それから薄く笑った。
「どうした?」
「いえ。我ながらおかしな立ち位置でおかしな戦をする事になる、と思っておりました。それをつい今まで敵であった家長殿に理解してもらえるのか、とも。しかし始まってみればさほど言葉も要さず戦のやり方が決まりましたので、何やらおもしろく」
「敵であったからこそであろう、それは。互いに、相手がどう言った人間で何を考えているのかは、すでに戦を通して知り過ぎる程に知っている」
そう答えながら家長も奇妙な快感を覚えていた。こんな風に戦について語る中で、土に水が染み入る様に互いの考えが相手に伝わって行った事が、今まであっただろうか。
時家はもう一度頭を下げると、自分の軍勢へと戻って行く。
それを見て家長は、自分の軍勢を動かし始めた。
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