8-14 斯波家長(6)
翌朝、稲村ケ崎を越えた所の、原野と丘陵の入り混じった地形で北条時行の二万と向き合う形になった。
北条勢はほとんど陣形も何も無く、一塊になっている。軍勢の数の割には、上がっている旗の数は多くは無い。持っている武器も質が良い物ではなく、馬もさほどいないのは見て取れる。
目に見える物だけを見れば、ただの雑多な集まりだった。しかし、軍全体が異常な気配を発しているのは、こうして向かい合ってみればやはりはっきりと分かる。
その異常な気配が戦になった時どう働くのかは、まだ何も予想は出来なかった。つまり、ぶつからない限り何が出てくるか分からない相手と向き合っている。
陸奥守や南部師行と相対している時も、そうではあった。しかし、あの時に感じていたような高揚は、今は無い。
あるのは、不気味さだけだ。
「行け」
その不気味さの正体を確かめてやる。そう思い、采配を振るった。それを合図にして、前衛の佐竹義春と相馬胤時の軍勢がぶつかっていく。
佐竹と相馬の生き残った武士達とは、それなり以上の信頼関係を築け始めている、と家長は思っていた。彼らを率いた戦は負け続けだったが、負け戦を共に戦う事で繋げる絆もある。
佐竹義春と相馬胤時の軍勢は果敢に北条勢に攻めかかった。敵はゆっくりとした動きで、しかし正面から押し返して来る。
いきなり、激戦になっている。正面からの押し合いでは犠牲が大き過ぎると見たのか、二人は連携しながら敵を引き込み、受け流し、その隙を突くと言う戦い方にすぐ切り替えた。敵は正面から単純に押す動きしか出来ないのか、それで前衛は容易く崩れ、そこに佐竹と相馬の軍勢が深く食い込んで行く。脆い。いや、脆すぎる。
咄嗟に止まるように両軍に命じると同時に、後続の軍勢を動かした。義春と胤時も何かを感じたのか、攻撃を止めて退こうとしている。
敵の付き破られた部分が素早く元に戻り、相馬勢と佐竹勢を取り囲もうとしている。退路を断たれそうになった義春と胤時はそれでも慌てず、敵の中で一つにまとまると一度守りを固めた。
そこで外側から後続の軍勢がぶつかる。家長も自身の騎馬隊二千を軽く動かし、ぶつかってみた。やはり容易く、破る事が出来る。しかし破った部分が、またすぐに戻って行こうとする。
誘いの罠、と言う感じではなかった。ただ自然に崩れ、自然に戻って行こうとする。
踏み込み過ぎないようにしながら、相馬と佐竹の軍勢を救出し、そのまま押し合う体制を作った。正面からの押し合いでは、やはり互角。いや、こちらが少し押されていた。
押し合いを続けさせながら斯波家長は騎馬隊で敵の側面を何度か叩いてみた。どこも容易く崩せる。崩せるだけだ。
そして兵一人一人は、気を吐くでもなく、ただこちらに静かな殺意を向けて襲ってくる。
その殺意は、時に家長一人に向いているような気すらした。
「なるほど。こう言う軍勢か」
騎馬隊を敵から離れさせ、徒を指揮する盛光と合流してから再び戦場全体を見やり、馬上で思わずうなり声を上げた。
家長が今まで見て来た軍勢は、どんな軍勢でも弱い所と強い所の差があった。
例えば南部師行の軍勢であれば、旗本の五百騎が極端に強い。その極端に強い部分が他の兵士達を引っ張って行くから、全軍が精強に動ける。
目の前の北条勢には、強弱と言う物が感じられなかった。軍勢のどこを突いても同じように崩れ、同じように立ち直る。他者に引っ張られるのではなく兵一人一人が自分の意思だけで動いている。誰が倒れても別の誰かが代わりになる。
つまり、どれだけ崩しても、本当には崩せない。確実に兵の息の根を止める以外に、止める方法が無い。
指揮をしている者はいるのかもしれないが、恐ろしく単純な指揮だ。誰が指揮を執っても同じで、指揮官を討ち取っても誰かが代わりになれる。
「これが、北条時行が関東で怨念をもって育てて来た軍勢か」
北条時行本人を討ち取ればそれで止まるのかも知れなかった。だが今の所敵の本陣らしき物はどこにも見えない。
そして怨念によって動いている軍勢であれば、あるいは討ち取れば却ってその怨念が手の付けられない物になる可能性があった。人が死んでも残るからこそ、怨念なのだ。
もしこの軍勢が五万、十万と膨れ上がってもそのままの性質を保つのであれば、それは想像を絶する軍勢になるだろう。
「動きで崩せそうではありますが、しかしこれは」
盛光も異常な物を感じたのか、戸惑った顔をしている。
「動きで戦うのは却って危険だな。戦場で駆け回り、引き回す事は出来る。しかし引き回し続けた挙句、先に力尽きているのはこちらだ、と言う事になりかねぬ」
「では、どう戦いますか?」
「数ではこちらが勝っている。そして敵は単調な攻め方しかして来ぬ。敵の攻撃に対してこちらは兵を入れ替えて応じ、まず先に敵の力が尽きるのを待つ」
「力尽きるでしょうか、この軍勢が」
「まともに戦えば、気力だけでも数日は休む事無く戦い続ける軍勢かも知れぬな。だが、まずは体を疲れ果てさせる所から始めねばどうにもならぬ。そこからどうにか敵の気勢を削ぐ事を考えよう」
数の有利を生かした戦い方しかまずは思い付かなかった。今まで家長が見たどの軍勢とも違う相手だ。
再び騎馬隊を突っ込ませて敵の側面を攪乱した。しつこくぶつかっては敵を崩し、離れる事を繰り替えす。しばらくの間それを続け、ぶつかっていた主力が離脱する隙を作れた。
主力が一度下がり、丘に依る。
さすがに丘に依ったこちらに正面から攻め寄せてくるような真似は、相手もしなかった。
いつのまにか、陽は真上まで登っている。
「主力を二つに分ける。片方が敵にぶつかり、もう片方は丘を確保する。それを入れ替える事を繰り返して、敵の消耗を待つ」
盛光相手にそう言い、義春と胤時にも伝令を出そうとした時、本陣に馬を駆って白銀が飛び込んで来た。
まさに血相を変えた、と言う表情をしている。
「どうした、白銀」
「上杉憲顕様が、突然東に転進され、奥州軍本隊へとぶつかられました。しかし呆気なく大敗され、軍勢はそのまま東へと逃げ散ったようです。数刻前の事です」
「何だと」
最初に頭に浮かんだのは、これで陸奥守との密約が反故になるのではないか、と言う事だった。
自分が陸奥守を裏切り、上杉憲顕を差し向けて来た、と陸奥守が考えてもおかしくはない。
「それで、奥州軍本隊の動きと損害は?」
「私が見た限りでは大した損害は無く。そのまま何事も無かったように西進して鎌倉を目指されています」
そう聞いて家長は一度息を吐いた。陸奥守は恐らく自分を信じ続けている。
いきなり側面を衝くような動きをされては、陸奥守としても全力で打ち払うより他は無かったのだろう。
しかし何故上杉憲顕が自分の命令に逆らって奥州軍本隊に向かったのか。
あれほどに煮え湯を呑まされた奥州軍が鎌倉へと向かうのを見逃す事を耐えがたく感じたのか。側面を突く形になれば勝てると思ったのか。例え自分の命令に逆らってでも陸奥守を倒す事さえ出来れば、ここから自分より優位な立場に立てると考えたのか。
そんな風な事を考えたのは一瞬だった。
それ以上は理由を考える事も、自分はどうすればそれを防げたのか、と言う事を考えることもしなかった。ここは戦場である。想定外の事はいくらでも起こる。それに対してどう応じるのか考えるのが自分のすべき事だ。
上杉憲顕の軍勢が逃げ散ったと言う事は、北から来る新田義興の軍勢に当たる者がいなくなっている。
鎌倉の近くに残している義詮と頼兼の二万は、戦えるような軍勢では無かった。兵の数も、武将の質も、実戦を考えて振り分けてはいない。
悩む時間は無かった。新田義興の軍勢が奥州軍本隊と合流し、切り離せなくなってしまう事だけは何としても避けなくてはいけない。そのための、陸奥守との盟約なのだ。
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