8-13 斯波家長(5)
無理に鎌倉を守る事はせず、主力を新田義興と北条時行に向ける、と言う方針は、軍議の場でさほどの問題も無く通せた。
天下で力を持っているのは武士であるのに、陸奥守がこうまで戦えているのは、陸奥守が新田義貞を始めとする武士達と協調する事によって、武士達を蔑ろにしない姿勢を見せているからである。
だからまず強力な奥州軍の本隊とぶつかるよりも先に武士の新田義興と北条時行を叩き、陸奥守と武士達を分断する。
例えその間に奥州軍に鎌倉を奪われても、陸奥守は長く鎌倉に留まる事はしないのだから、奥州軍が西に去った後で再び鎌倉を奪い返し、それから背後を追えばいい。鎌倉を取られる事自体が大きな意味を持たないのは、過去の例からでも明らかだ。
陸奥守が武士である新田義興と北条時行を見捨てて単独で上洛してきた、となれば新田義貞を始めとする各地の武士達との連携に齟齬が出るし、奥州軍の武士の中にも、陸奥守、ひいては後醍醐帝に不信感を持つ者が出てくる。
そこを衝く事によって、直接戦う事無く奥州軍を弱体化させられる。
そんな理屈を、家長は兵法なども交えながらそれらしく軍議で語った。
無論本音ではない。だが、まるっきり空虚な策を語った訳では無かった。家長自身が陸奥守とどう戦うか考え抜いていた中で、検討した策の一つである。
他の土地の武士達はまだしも、奥州の武士達の陸奥守との信頼はその程度は崩せる物とは思えず、陸奥守の主力を放置すると言う危険を冒すに見合うほどの効果は無い、と判断して家長の中では早々に捨てた策だったが、それでもそれなりの説得力は出せた様だった。
何人かの武士達が鎌倉を捨てる事や奥州軍本隊との決戦を避ける姿勢に異論を唱えてきたが、家長はそれらの武士達を丁寧に論破して行った。
こう言った場面で今まで何かと家長に対抗心を見せて反駁して来た上杉憲顕が利根川での敗戦を受けて大人しくしている事もあり、家長の策に反対する声は大きな物にはならなかった。
新田義興は鎌倉を北の飯島から、北条時行は西の稲村ケ崎を通って鎌倉に迫りつつある。奥州軍は武蔵の国府を出て、東の小坪に進軍して来ていた。
陸奥守が新田、北条の両軍との合流を自然に遅らせるように巧みに進路を選んでいるのが家長には見て取れた。しかしそれも限界はあるだろう。
三方向から囲まれる構えであるが、奥州軍を無視し、鎌倉も守らないと決めれば対処するのは容易かった。
関東一帯から集まった軍勢は合計で十四万である。
その内五万を家長自身が率いて北条時行の二万に当たり、七万の軍勢を上杉憲顕に任せて新田義興の三万に当たらせた。残りの二万は名目上の総大将である義詮の本陣を守るために鎌倉の近くに配置する。
上杉憲顕には利根川で共に戦った
そして家長の軍勢には、古くからの重臣の他に、伊賀盛光、佐竹
全軍に、奥州軍本隊との戦いや、鎌倉を守るための戦いでは戦功を認めない事を通達した。北条、新田の両軍を破った後は、奥州軍本隊との戦いを一旦避け、武蔵に再集結するようにも命じてある。
密約通り奥州軍が鎌倉を通過するだけで済むのなら、実質十二万対五万の戦いである。
兵力では圧倒的に優勢だった。新田義興に当たる上杉憲顕が負ける事はまず無いだろう。
問題は自分が時行の二万に勝てるかどうかの方だ、と家長は思っていた。
時行が箱根に軍勢を集め始めた時から感じていた得も言われぬ重圧のような物は、ますます強くなっている。
十二月の二十三日になって敵が一斉に進み始めたのに合わせて、家長も軍を進めた。上杉憲顕の軍勢の方は、どう進軍するかは任せている。
「おかしな戦に、なった物です」
先頭を進む家長に、盛光が馬を寄せて声を掛けて来た。
元々、軍の中心になるような力を持つ武士では無かった。奥州軍からの寝返り組みであると言う負い目のせいか、軍議の場でもいつも控えめであり、自分から意見を発する事は少ない。
しかしそれでも、気付けば家長が最も本音に近い物を口に出す武士の一人になっていた。
本当は、上杉憲顕などではなくこの男を第一の武将として別動隊を任せたかった。しかし、武士の間に深く根付いた家柄に対する執着は、それを許さない。
「我らはまだましであろう。陸奥守の方は、もっと奇妙な戦をする事になる」
「確かに」
そう頷く盛光は、しかしどこか明るい表情だった。自分の下に付いてから始めてみるような表情である。
「何か浮かれているか?盛光」
「密かに高揚しております。家長様と陸奥守様が手を組まれた。これで、一体この先どれほどの事が成し遂げられるのかと思うと、胸が高まります」
「私と陸奥守を心の中で長らく秤に掛けて来たお前に取っては、今のこれが望みうる最良の形か」
「正直な所は」
盛光は、秤に掛けて来たと言う家長の言葉を否定しなかった。それだけ、盛光の方も家長に慮る事無く本音を出して来ている。
「あまり楽観はするな」
自分と陸奥守はまた袂を分かつかもしれない。陸奥守がこれからする戦いは奇妙なだけでなく恐らく困難極まる。それを助けるために自分達が今から為さねばならない事も決して容易い事では無い。
他にも様々な意味を込めてそう言った。どう受け取ったのか分からないが、盛光が表情を引き締めて頷く。
ひょっとしたら盛光よりも、家長自身を戒めるために口に出した言葉だったのかもしれない。
二十四日の夜になり、本営に赤が訪ねて来た。
「京の様子はどうか?」
「ついに陸奥守が動いた、と蜂の巣を突いたような騒ぎでございます。尊氏様が沈黙を保っておられる事が、混乱に拍車を掛けておりますな。直義様は表向きの事に奔走されております」
「裏側は?」
「後醍醐帝に心を寄せている、と思しき武士達が動いております。恐らくは光厳院らの身を狙っているのかと」
そう言って赤は影で後醍醐帝に通じているであろう武士達の名を上げていった。その中には家長の予想の範疇にあった名前もあれば、想定外の者もいた。
「尊氏殿と直義殿は、それらの者達をどうされるおつもりなのだ?」
「尊氏様のお心は分かりませぬ。その者達の存在に気付いておられるのかどうか、気付いておられた所で気にされているのかどうかも。直義様は五辻宮配下達の動きを、我らを始めとした忍び達に探らされてはおりますが、その事に付いて尊氏様と語られようとはされませぬ」
「直義殿は、何かお前達に語られる事はあるか?」
「は。時折ですが、自分にはもう兄の事が分からぬ、と」
その赤の答えに、家長はしばし眼を伏せた。
後醍醐帝の陰謀に関し、直義が尊氏を相手にして何も語っていない。その理由が家長には分かる気がした。
尊氏は後醍醐帝の企みに乗せられ、あっさりと光厳院を擁立して朝廷を二つに割った。その事で直義が受けた衝撃と不信感は、身近で接していた分、家長が受けた物よりもずっと大きかったのだろう。
尊氏の中の常人には理解出来ない部分が後醍醐帝の理想と共鳴すれば、その時尊氏は武士の棟梁としての務めをすら投げ出しかねない。直義はそう危惧している。いや、すでにそうなっている、と考えているのか。
家長はそこまででひとまずその思考を打ち切った。遠く離れた鎌倉で尊氏と直義の胸中を慮っても意味は無い。陸奥守が上洛すれば状況は確実に変わる。そしてそこに自分が続く事で、全ては変わるのかもしれないのだ。
「陸奥守の上洛の目的は後醍醐帝を止める事だ。そして私はそれに与する事にした。それだけ直義殿に伝えてくれ」
そう伝えた所で尊氏や直義がどんな決断を下すのかは分からない。自分はもう足利とは別の道を歩み始めている、と言う意識もあった。だが、伝えておく事には意味はあるだろう。
赤は小さく頷き、姿を消した。
白銀は、今はまだ姿を見せていない。戦場で何か自分に伝えるべき事があれば、その時に現れるだろう、と家長は思っていた。
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