8-12 楓(2)
「そこまで分かるか。君には」
「軍略とかに関しては、とても陸奥守様や時家様に何か言える人間じゃありませんけどね。人の心の中を覗くのは、結構得意なんですよ。嫌われるので、普段はあまり表に出しませんけど」
「助けたいかどうかで言われると、心の中にその思いがあるのは確かだ。時行殿は運命に翻弄されて捻じ曲がり、謀略の駒となっている童に過ぎぬ。そして俺が早々に投げ出した北条家と言う存在を、ほとんどたった一人で背負い続けている。放ってはおけぬ、と言う思いは強くある。ただ、断じてそのために関東に残ろうとしている訳ではない。ここに来て奥州軍を裏切ろうとしている、と思われても仕方がないが」
「誰も、時家様が裏切ろうとしているなんて思いませんよ。そして時家様が関東に残ろうとしている理由が本当は何であろうとも、時家様が全てを考えた上でそうすべしと思われたのなら、陸奥守様はそれを認められると思います」
「俺は」
「それだけの信頼を、すでに時家様は得ておられます。ですから、時行殿を助けたいと思っておられるのなら、それを隠す事はありませんよ。斯波家長を援護するために、そして時行殿を救うために関東に残る。それで、いいじゃありませんか」
「陸奥守様に、それを伝えてくれるか?楓」
「はい」
ほんの十歳ほどの子どもが謀略に巻き込まれ、怨念を抱え込んだまま戦場で死ぬ。口には出さなくても、避けられる事ならそれは避けたい、と小夜も考えるだろう。
今小夜にはそこまで配慮する余裕は無いが、もし時家にそれを任せられるのなら、内心で相当気は楽になるはずだ。
「ただ、時家様。私なんかがこんな事を言うのはおこがましい気もしますが、よろしいですか?」
「今更だ、それも。何でも言うがいい」
時家が笑って答えた。笑顔になると、顔の作りの良さが、さらに際立つ。
「私には戦の事は良く分かりませんが、それでも陸奥守様、師行様、そして時家様の三人が揃っていれば、どんな戦でも負ける事は無いのではないか、と思えて来ています。ですからどうか、関東での事が済んだら、奥州軍の本隊に合流して来てください。例えどれほど遅れても、陸奥守様の戦に時家様が必要です」
何か時家の様子に不吉な物を感じ、楓はそう言っていた。
もちろん、今更時家が裏切るとは思っていない。しかしここに来て時家は、自分が北条の一族である、と言う事にどこかでまた拘り始めていないか。
その拘りは、何か呪縛のようなものであるように楓には思えた。
楓の言葉に、時家は意表を衝かれたような顔をし、それから真顔を作る。
「以前、陸奥守様に言われた事がある。俺はすでに揺ぎ無き郎党で、どこでどんな務めを果たしていようともそれは変わらぬ、いずれ戻ってまいれ、と。それに対して俺は次の征西の時は必ず奥州軍の一員として戦う、として答えた」
「はい」
「その誓いを破る気は無い。それも陸奥守様に伝えてくれ」
時家は真っ直ぐな眼でこちらを見つめて言って来た。楓は、黙って頷く。
自分に出来るのは、この程度が限界だろう。不吉な予感は消えてはいないが、時家の判断は正しい、と言う気もする。
時家が相貌を崩し、また笑顔を作った。
「自分でもそれなり以上の戦上手であると言う自負はあるが、何故か昔から一番大きい戦にはどこかで乗り遅れる定めでな。今度こそは京を舞台に一花咲かせたいとは思っているよ」
「定めと言うよりはそう言う性分なのかな、と思ってしまいます」
時家は今度は床几から立ち上がる事無く時行の軍勢の方へと眼をやった。
「ここ数か月、俺の軍を尋ねてくる時行殿と何度も話し合った。時行殿が話すのはほとんどが北条一族の恨み言ばかりで、俺はただひたすらそれに飲み込まれないようにするのに必死になり、とても生きた人間と話しているとは思えなかった。だがそれでも時々、俺の側から言葉を掛ける事も続けて来た」
「時家様は、どんな事を?」
「さあ。取り留めの無い話ばかりだよ。時行殿が一番興味を持ったのは戦の話だったな。何度か、俺の指揮を見せる機会もあったし」
「それでも時行殿は、時家殿の話に興味を持たれたのですね」
「俺のような姑息な戦のやり方を、北条の嫡流が真似をしてはいけない、とも言ったのだがな。どうやら時行殿には俺がとんでもない戦上手に見えたようだ」
苦笑交じりに、時家が言った。
「そして今はどこかで、時行殿は俺の話を聞く時だけ少しずつ人間に戻っているのではないか。そんな気がしてきている」
「救えそうですか?」
「分からないな。俺の存在が却ってあの若君をさらに歪めてしまうかもしれない。だが、ここで俺が見捨ててしまったら、もう他の誰も時行殿を救おうとはしないだろう」
時行の元に時家を付けたのは、小夜の判断である。あの時点では、小夜自身もそれが何を意味するのかはっきり分かっていた訳ではなかっただろう。
今も小夜のその選択が正しかったのかどうかは、楓には分からない。ただその選択が、これから起こる何かを、大きく変える事になるだろう、と言う事ははっきり分かった。
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