7-12 建速勇人
時家の従弟、と言われれば頷ける気品の漂う整った顔立ちではあったが、勇人が北条時行と対面して最初に抱いた印象はそれではなかった。
子どもの眼では無い。
いや、大人であっても、こんな眼をしている者はそうはいないだろう。
まだ十歳を少し越えたはずの年齢だが、見ていて気圧されてしまう程の鋭く深く冷たく、そして暗い眼をしている。
五郎や六の宮と言った勇人がこの時代で出会った同年代の子どもとはまるで違う、絶望と哀しみとそれらを飲み込むほどの怨嗟が全身に満ちているのが一目で分かる眼だ。
関東、下野の地である。
二月の末に多賀城を攻めた足利方の兵が引き上げる隙を狙うようにして、小夜が五千ほどの兵と勇人、和政、時家を伴い、上野から関東に入ると下野からさらに信濃との境辺りまでを転戦する事を始めたのである。
各地で繰り広げられている宮方と足利方との戦いに介入し、いくつか小さな城を落としたり、あるいは攻められている城を守る事を繰り返している間に、軍勢に加わって来る武士や、そうでもなくても陣へと挨拶に出向いてくる武士は数多くいた。
そんな者達の中に、北条時行もいたのである。
一度は鎌倉を奪還したこの北条一族の嫡子が関東に根を張っている意味を見極める事もこの出兵の目的の一つのはずだったが、形としてはまだ敵であるはずの軍勢に僅かな供回りだけで訊ねて来たのはさすがの小夜も意表を衝かれたようだった。
「北条時行です。お目通り叶いました事、望外の喜びでございます」
時行ははっきりとした口調で挨拶すると、頭を深々と下げた。
「陸奥守北畠顕家である。時行殿が反足利の旗を掲げ関東で戦い続けている事は聞き知っている。しかしそこもとは今だ朝敵でもある。ここには降伏のために参った、と言う事で良いのかな?」
小夜は陵王の面を外さないまま拝謁し、感情を見せない声色で言った。
「降伏する事によって主上より勅免を与えられ、そして足利尊氏との戦いに加えて頂けるのであれば、喜んで」
時行は全く臆した様子も見せずに答えた。しかしかと言って覇気のような物が感じられる訳では無い。
そして時行の周囲に控えている者達は、一人を除き全員が身じろぎもせず、話を聞いているのかいないのかすら分からない、まるで死人のような表情でその様子を見詰めている。
ただ、一人僧形の男が時行の側に付いており、その男だけが何かを図るように注意深く小夜と時行とのやり取りを聞いているようだった。
「勅免を与えられぬ、となったら?」
「その時は北条のみで足利と戦う事を続けるだけでございます」
「私がここでそこもとを捕える事は恐れていないのか?」
小夜がそう言っても時行の表情は変わらなかった。
「この場で逆賊として私の首を刎ねると言われるのなら刎ねられるが良いでしょう。この命、鎌倉を二度目に失った時にすでに無い物と思い定めております」
「死にに参ったのか、ここに」
「最早北条一族だけでは鎌倉を奪い返す事も尊氏を討つ事も叶いませぬ。主上の勅免を得て、陸奥守様に味方と認められぬ限りは。このまま関東の地で何も成し得ぬまま逼塞するぐらいであれば、死んだ方が武家の誇りは立ちましょう」
時行の淡々とした口調の、しかし苛烈過ぎる言葉にもやはり配下の者達は特別な反応を見せはしなかった。
全員が時行の言葉を当然の物として共有し、受け入れている。話し合いの結果、この場で死ぬ事になっても、恐らく何の疑問も無く全員が時行に殉ずるだろう。
異常な集団だった。全員が時行の抱える怨念の元に団結している。そしてやはり僧形の男だけが、傍観者のようにその様子を眺めている。
十歳程の子どもを相手にして、小夜が少し気圧されているのが仮面越しにでも勇人には分かった。
和政も何か異質な物を感じたのか警戒しているような様子を見せ、時家の方は痛ましい物を見るような表情で時行を見詰めている。
「望みは尊氏を討つ事だけだと申すか。朝敵として討たれた北条家の者が、仇である朝廷の下で戦おうとする事に迷いはないのか」
「北条一族が朝敵として討たれたのは北条一族に罪があったからでしょう。臣に非がありそれが主上によって正されるのであれば、それは受け入れます。足利尊氏や新田義貞と言った者達が北条を裏切り朝廷側として戦ったのも、より大きな義に従ったのだと考えればそれは正しい事です。しかし尊氏が己の欲のために朝廷の威を借りて北条を滅ぼし、次は朝廷に反旗を翻しているのであれば、それは北条一族のどのような罪よりも薄汚い不忠で不義で恥知らずな振る舞いです」
時行は激しい言葉を長広舌で振るったが、しかしやはりそこには何の熱さも無かった。ただこの場にいないはずの足利尊氏に対する冷たい殺意が、その眼には宿っている。
「これまでの行動は全て尊氏の朝廷に対する謀叛を止めるためであり、朝廷には何の怨みも無い。そう言うのだな」
「はい」
「時行殿の言い分は分かった。私とて恭順の意思を見せている子どもを敢えて討つ事は好まぬ。このまま関東に留まりながら折を見て主上に許しを願う使者を立てられるが良い。最後は主上のお考え次第ではあるが、私からも口添えをしよう」
「ありがとうございます」
もう一度時行は深々と頭を下げた。
「ところでこの者は知っているな、時行殿」
小夜はそう言って時家の方を見た。
「はい。北条一族の一人で私の従兄に当たる方です。私が鎌倉を攻める前に軍勢から離れられましたが」
時行は言われて初めて時家に意識を向けたようだった。
「陸奥で縁があって私の下で働いている。双方色々思う所はあろうが、私にとっては心知れたる者の故、時行殿の軍勢に与力をさせたいが異論はあるだろうか?」
小夜がそう言うと時行はわずかに戸惑ったような様子を見せた。視線を泳がせ、それから助けを求めるように横に控える僧形の男を見る。
「これは連絡を円滑にするためだけでなく、監視の意味もあると思ってもらって構わぬ。しかし時行殿が今語った言葉に偽りが無いのであれば、同じ北条一族同士、手を携えて朝廷のために働く事が出来よう」
僧形の男が頷いた。時行がそれを見て、小夜の方を向き直り頭を下げる。
「陸奥守様のお心遣い、感謝いたします」
北条時行が去った後、小夜は兵達を遠ざけ、勇人、和政、時家だけを本陣に集めた。
「以前からああだったのか、北条時行は?」
陵王の面を外し、時家にそう訊ねる小夜の顔には若干の疲労が滲み出ていた。それほどにあの目通りは異常な空気だったのだ。
「いえ。それがしが知っている限りでは、周囲の家臣に担がれているだけで、自分では何かを考えると言う事もほとんどお出来にならぬ柔弱な若君でした。まさかあれほど荒んでしまわれているとは」
「一度鎌倉を奪還したが、それを奪い返された。その時に諏訪からずっと自分を担ぐと同時に守っても来てもいてくれた得宗被官の者達の大半を失った。それが北条時行の何かを決定的に壊してしまったのだろうな」
「時行殿が尊氏に鎌倉を奪い返された際、鎌倉に踏み止まり最後は自害した諏訪の一族達は皆自分で顔の皮を剥いだ上で死んでいた、と言う話を聞きました。逃げて生き延びた者の判別を難しくするためでしょうが、それだけの期待と怨念を一身に受けてしまったのかもしれません、あの若君は」
「その期待と怨念が北条時行の下に集った生き残りの北条一族の者達にも共有され、団結しているのだとしたら、恐ろしい軍勢ではあるな」
「まさか、と言う思いです。ただ、怨念とそれに支えられた強い意思とそれで集まる軍勢はあっても、やはり時行殿にはそれを活かす才覚は今の所無いようではありましたが」
終始しっかりとした意志を見せながら、時家の事に付いて判断を迷った時にはすぐに僧形の男を頼った。その事を言っているのだろう、と勇人は思った。
「それを利用しようとしている者がいる。思った以上に、危険な存在かも知れぬ、あれは」
「あの僧形の男。あのような者が恐らく相当数、時行殿の周囲には入り込んでいるのでしょうな」
小夜と語る時家の言葉は一際沈んでいた。表情には悲痛な物さえ感じられる。
「後悔していますか、時家殿。時行殿の下から離れてしまった事を」
勇人は口を挟んだ。
「読み間違えた、と言う思いは強くあるな。自分が側にいれば、と言う思いと、自分がいてもやはりあの怨念に飲み込まれてしまったかもしれない、と言う恐怖もある。一度は見捨てるように逃げて来たのに、何を今さら甘い事を、と自分を嗤う気持ちもある」
言葉の通り、自嘲するような表情を見せながら時家は答えた。
「お前にもまた難しい役目を与えてしまうな、時家」
「いえ。物は考えようでしょう。陸奥守様に従う道を選んだ事で、武士としての誇りを保ちながら、一度は捨てたはずの北条一族としての責任を果たす事もこなせそうなのです。一族のためにも、必ず時行殿を利用しようとする輩の企みを止めて見せます」
小夜の言葉に、何かを振り払うようにして時家は言った。
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