7-13 建速勇人(2)
上杉憲顕の軍勢が出て来たのは、時行との目通りから二日後の事だった。
数は一万ほどで、宇都宮での戦に介入している奥州軍の背後を突くような態勢である。
「さすがに見過ごせなくなったか。上杉憲顕に取っては多賀国府を落とした直後にこうまで暴れられては、逆に自分の面目を潰されている事になるだろうからな」
小夜がどこかのんびりとした口調で言った。
「無理に相手をせずこれで退く、と言う手もあるでしょうが」
小夜に応える和政も特に脅威を感じている口ぶりでは無かった。ただ、口から出るのはやはりいつも通り慎重な意見だ。
実戦では相当な強さを見せながらも、いつも小夜の身を案じ、彼女を守る事を何よりも第一に考えているのが和政だった。一見武士らしい武士であるように見えて、この男も本当はそこから少し外れている所がある。
この関東転戦の間ずっと勇人と和政が小夜の両翼で時家は遊軍と言う形で戦を続けていたが、勇人はそれで自分が和政と同格になった、などとは考えていなかった。
剣で一対一での立ち合いでならあるいはもう負けないかもしれないが、小夜の護衛を始めとした麾下の指揮に関しては、これまで積み重ねて来た経験が比べるまでも無く違う。
「戦って負ける事は無いにせよ、大きな戦を起こせばそれで次から次へと足利の軍勢を引き寄せる、と言う事になりかねぬからな。今の所他に呼応するような大きな動きは無いが」
こちらは関東転戦中に同心してきた武士達を合わせて一万ほどだった。数では互角だが、新たに集まって来た五千は奥州軍と比べれば明らかに動きは悪い。
まだ時家と別れていなかったのは幸いだったかもしれない。
「出て来たのはやはり上杉憲顕の独断でしょうか」
斯波家長の事は勇人もそろそろ多少は分かっているつもりだったが、上杉憲顕の事は何も知らなかった。時家と正家が多賀城で軽く小競り合い程度に戦ったと聞いているだけだ。
「恐らくは。斯波家長は今この時に関東で大きな戦をする事は望んではいまい。もし動くのであれば私が関東に入った直後に動いているよ。これで動かざるを得なくなるかもしれないが」
「軽くぶつかってみた限りでは上杉憲顕にはそう非凡な物は感じなかったな。もっとも今の所は、だが。関東の原野で兵法の常道通りの戦い方をするしか知らない、と言う様子だったよ」
勇人の聞きたい事を先読みしたように時家が言った。
「ここは戦ってみようと思う。ここで勝てばそれなりに関東を揺さぶれるであろうし、上杉憲顕を打ち破った上で斯波家長がどう動くか。それでまた見えて来る物もあるだろう」
「時行殿の下に行く前に、陸奥守様の御前で多少は大きな戦が出来そうですな」
小夜の言葉に時家は高揚を隠す様子も無かった。やはりこの男は根っからの戦好きなのだろう、と勇人は思った。
新たに集まって来た兵は宇都宮に抑えとして残し、元々の奥州軍五千だけで上杉憲顕の軍勢と向き合う事になった。
敵は騎馬と徒が入り混じった陣を組んでいる。常に徒が騎馬を守りながら戦えるが、その分どちらの長所も生かし切れない編成でもあった。ただ、数の利を生かして戦うつもりであれば悪い構えではないだろう。
奥州軍も基本は騎馬一騎に何人かの徒が付いた編成だが、五十騎や百騎の単位で騎馬だけが集まった騎馬隊と呼べるような物がいくつかあり、戦の最中にそれがさらに集まったり、周囲の騎馬が加わって大きな一塊になったりもする。
敵は左右に大きく広がっていた。数を活かして包み込むように挟撃して来ようと言うのだろう。
「時家、どう戦うか何か存念はあるか?」
「両翼のどちらかをそれがしの手勢で止め、そのまま引き付けましょう。残りの半分を端から突き崩すか、あるいは中央を突破されれば良いかと」
「五百で五千を受け止める事になるが、出来るか」
「あの地形でなら」
時家が不敵に笑いながら言った。戦場は原野と木々が立ち並んだ地形とが入り組んでいた。敵は木々を避けるように進軍してきている。
「良かろう、やってみるが良い。和政と勇人は私の側に付け」
「感謝いたします、陸奥守様」
「何がだ?」
「お側を離れる前に、それがしの力量をお見せする事が出来ます」
時家の言葉に、小夜は小さく頷いた。
奥州軍が整然と前進して行った。先頭に立つように時家の五百。進路を変え、左翼の敵に向かっていく。しかしぶつかり合う事はせず、距離を保ったまま徐々に外側に離れて行く。
木々や窪んだ地形を巧みに使い、相手を幻惑しながら時家は左翼の軍勢を釣りだそうとしていた。相手が距離を取ろうとすればこちらから近付き矢を射かける。それに誘い出されるように、相手の陣形は次第に横に広がっていく。
「端から突き崩しますか?」
その様子を遠目に見た後、勇人は前へと目をやった。勇人の眼から見ても、上杉憲顕の軍勢の動きには確かに平凡な物しか感じない。
「いや、それをやると押された敵が左翼に流れて逆にまとまるかも知れぬ。ここはやはり中央を突破しよう。和政、勇人、頼むぞ」
「はい」
頷くと勇人は和政と共に並ぶようにそれぞれの騎馬隊の先頭に立った。二人で百騎ずつ。
何も言わず和政が矢のように駆けて行く。勇人はほんの少しだけ遅れてそれに続いた。迎え撃つ敵の兵。距離はあっという間に詰まって行く。
和政は先頭で馬を止めないまま右手を振るった。先頭に立ち、槍や薙刀を構えて陣を固めている徒が、和政が右手を振るうごとに一人ずつ倒れていく。
礫。ほんのわずかだがそれで騎馬を守る徒に間隙が二つ出来た。
勇人は朝雲の手綱を入れた。その間隙の片方へ向けて一気に馬を駆けさせる。もう片方へは和政が突っ込んで行っている。
自分を守る徒がいなくなり、明らかに動揺している騎馬武者を勇人は真っ直ぐに見据えていた。鬼丸国綱。ほとんど手ごたえは無かった。しかし視界の端で首が宙に舞っている。
人の首を飛ばす、と言うのも、やれるようになれば大した業では無かった。そして恐らく戦場ではそれほど大した意味もない業だ。
軍勢と言う物は互いが互いを守るように配置されている。だからその一角が破れればそこに新たな隙が生まれる。わずかな間隙を和政と二人でさらに押し広げるような動きになった。
押し広げた二つの間隙に後続の騎馬が攻め込み、そしてそこに小夜が率いる主力が突っ込んで来た。それに対する敵に対応は明らかに鈍い。
右翼の敵が巻き込むような動きでこちらの後方を衝こうとして来たが、こちらが敵の中央を突っ切る方が早かった。
敵の中を突っ切る間に勇人は十人程を切り倒している。
左翼も陣形を整え直そうとしているが、それは時家が抑えている。楠木勢が使っていた盾と同じような盾を並べて騎馬隊を防いでる以外に、武器も地形も、使える物は何であろうと使い、わずか五百の兵で敵を足止めする様は、なりふり構わない物でありながら、どこか美しいと思える所があった。
一度中央を突っ切られた敵はそれだけで半ば乱れ立っていた。小夜が太刀を振るう。それを合図に勇人と和政は反転し、今度は力を掛ける方向を敵の中央からそれぞれ逆にした。勇人は左翼へ、和政は右翼へ。それに主力も二つに分かれて続く。
二つに断ち割られた敵はそれでそのまま四つへと分断された。そこで今まで敵を防いでいた時家も攻勢に転じ、左翼の敵を大きく崩し始める。
勇人は時家と合流した。騎馬だけでは敵を断ち割り崩す事しか出来ないが、徒がいれば崩した場所にそのまま留まって分断し続ける事が出来る。
時家は騎馬隊との連携も実に見事だった。騎馬と徒では速さに差があるにも関わらず、わずかな合図だけでこちらの動きを先読みし、いて欲しい場所に回り込んでいる。
二人で四つに断ち割った敵の塊の内の一つをそのまま攻め立て続け敗走させた。右翼では同じように和政と小夜が敵の塊の一つを圧倒している。
敵の本陣の旗が揺れ、それから大将らしき人間が逃げ始めるのが見えた。
「ここで討ち取れるかな」
時家が馬を寄せて来た。
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