7-11 北畠小夜(4)
関東から軍勢が陸奥に向けて進んで来たのは十二月になってからだった。
三万を超える大軍だったが率いているのは上杉憲顕で、斯波家長自身は鎌倉を動いていない。
今この時期にそれほどの軍勢を斯波家長が出して来るのは意外だったが、どうやら斯波家長が上杉憲顕を差し向けたと言うよりも、関東の功に逸った武士達を上杉憲顕がまとめ上げ、半ば独断で出陣して来たのだと言う事が宗広からの情報ですぐに察せられた。
上杉憲顕の父である憲房は先の京での戦いで討ち死にしており、それのせいで血気に逸っている所もあるのかもしれなかった。
斯波家長は無理に上杉憲顕を止めようともしなかったようだ。やらせるだけやらせてみよう、と言う事だろう。
ただ、三万と言う軍勢が遠征して来たと言う事はそれだけ関東の足利方が強固に固まり、勢い付きつつあると言う事で、そちらは小夜にとっては頭が痛い問題ではあった。
軍勢は真っ直ぐ多賀国府に向けて進んで来ている。
その動きを見る限り、すでに国府の機能の大部分を霊山に移し終えている事は、少なくとも上杉憲顕は知らないようだ、と小夜は思った。
斯波家長がそれを掴んでいない事は無いだろう。霊山に国府が移っている事を上杉憲顕に教えれば、三万の軍勢が険阻な山城を攻める事になる。それよりはこちらがすでに捨てた多賀国府を取ると言う手柄を上げさせるだけで、ひとまず戦を終わらせようと言う事か。
激しい戦が起きないと言う事はそれだけ陸奥が乱れないと言う事で、小夜にしても願ったりではあった。
三万を正面から迎え撃ち、打ち破る事は決して難しくは無いが、その程度の勝利を挙げた所で足利に従う武士達は揺るがないと言う事は良く分かっている。
「おかしな話」
ほとんどの人間が引き揚げ、閑散とした多賀国府の自室で書類の整理をしながら小夜は呟いた。
「何がだい?」
その作業を手伝う勇人が顔を上げた。
「いつの間にか、どこかで斯波家長の事を信用している自分がいる。少なくとも戦のやり方や、何を考えているかって事に関しては、主上や、それに従う味方のはずの武士達の一部よりも、よっぽどに信用出来る、って」
「本当の名将同士の戦いで互いに読み合いに入ると、そう言う事もあるのかもしれないね。どちらも小細工をするだけ無駄だと分かっている。だけど裏を返せば味方のはずの相手がそれだけ信用出来なくなっている、って事でもあるだろうから嘆かわしくもあるな」
左近を通し、直義配下の忍び達からの停戦の提案が入っていたが、小夜はひとまずこちらからはこれ以上手を出すな、と忍び達に命じるだけに留めておいた。形としては停戦を受け入れた事になるが、それ以上の事では無い。
それでも、表で戦いつつ裏ではそれをやめたのだから、普通ではない状況ではあった。
「それで、多賀国府を捨てる段取りは?」
「多少は足止めの戦をしないと、そのまま霊山にも向かって来るかも知れない。ひとまず一千ほどは残そうかな」
「一千なら、時家殿と正家殿か」
「あの二人なら、大した犠牲も出さずに戦って、最後は人を喰ったような方法で城から落ちると思う」
師行は北へ戻ったが時家は国府に留まっていた。そして正家も五百ほどの兵と共に陸奥へと入って来ている。
「焼いていく書類の整理が終わったら、私達は一足先に引き揚げようか。六の宮も移さなくちゃいけないし、さすがに残っていても却って足手まといになると思う」
「そうだね」
そう言いながら勇人は、小夜の自室をゆっくり見まわした。
「どうかした?」
「いや。二年以上ここで過ごした。まあ、他所で駆け回っていた時期の方が長かったけど。それでも君が僕をここに受け入れてくれたおかげで、ここが僕の家になったな、って」
「いずれ陸奥が平穏になったら、また帰って来れるよ。平和な時の国府としては、この場所が一番だし」
そう言いながら、自分でもまるで生まれた家を離れるような気分になっている事に小夜は気付いた。ここで過ごしたのは小夜も決してそれほど長い時間ではなかったはずだが、京の屋敷よりもよほど愛着を感じてしまっている。
それほどに、陸奥に赴任してからの自分は懸命に生きて時間を使って来たのだろう。
年が明け、霊山に小夜と六の宮が移ってから数日後、多賀城が三万を超す軍勢に攻められている、と言う報が入って来た。
時家と正家の二人はやはりさほどの犠牲も出さず、攪乱による足止めをしばらく行った後、城が落ちると同時に整然と撤退し、山の中を潜みながら霊山まで兵を引き連れて来た。
三万の軍勢は、大した戦もしないまま、多賀城を落としたと言う手柄で満足するように徐々に引き揚げ始めている。
一度手柄を上げれば、それで戦意を失ってしまう。勝ち馬に乗ろうとしているだけの武士の集団には、いつもそんな部分があった。
「上杉憲顕は、そう大した大将では無さそうでしたな」
霊山国府に入って来た時家がいつも通りの涼しい表情で言った。山の中の行軍を重ねた後だったと言うのに、貴公子然とした様子はまるで崩れていない。
「三万の軍勢を一応まとめてはいましたが、大軍を持て余しているように見えました」
「戦のため、と言うよりも斯波と上杉の主導権争いのために鎌倉に送り込まれてきたのであろう。斯波家長も苦労しているであろうな」
「上杉憲顕はまだ若く戦の経験があまり無いと言うのがまずは大きいのでございましょう。あまり侮ってはなりませぬぞ」
正家が苦笑しながら口を挟んだ。小夜よりも時家を相手に言っているようだ。
「そう言う物ですか」
「お主や陸奥守様の様にさほど経験もせぬままいきなり見事な指揮が出来る者達ばかりでは無いのだ。上杉憲顕もいずれ経験を重ねる内に、思わぬような成長を見せるかも知れぬ」
「心しておきます」
正家の言葉に時家は素直に頷いた。
戦のやり方がどこか似ているせいか、この二人は短い間で息が合うようになっていた。正家の方には時家に楠木一族の戦を伝えようとしている節もある。
歳が離れている事もあり、親子の様に見える事も時折あった。
「それで、関東への出兵はいつ頃?」
時家が話を変えるように小夜に顔を向けて来た。素直に頷いてはいても、小夜の前で諫められると言うのは居心地が悪いのかもしれない。
才気走った部分は、しばらく師行の下にいてかなり控えめにはなっていたが、それでも完全に抜けてはいなかった。
「斯波家長自身は恐らく私が上洛の意思を見せる時まで動かぬと思うが、上杉憲顕が霊山にも改めて出兵してくるかもしれぬ。多賀城を攻めた軍勢が全て引き揚げたらそこからさほど間も空けず、だな。三月頃か」
「伴われるのは?」
「さほど多くの兵を連れて行くつもりはない。和政と勇人、そして時家、お前は連れて行くのは決めている」
「はい」
「場合によっては、お前はそのまま関東に留まる心積もりをしておいてくれ」
「心得ております」
時家はさほど表情も動かさず、頭を下げた。
この時期に小夜が自身で関東に出兵する事にどんな意味があるのか。小夜の中でもその全てがはっきり見えている訳では無かった。
ただ少なくとも、多賀城が落ちた後にそのままこちらから逆に打って出ると言うのはそれだけで陸奥や関東の武士達に影響を与えるだろう。
そして、関東の中で一際異彩を放っている北条時行の勢力をどう扱うか、その出兵の中で何としても見極めなければいけなかった。
時家は小夜がそれを見極めようとしている事と、そのために自身が関東への出兵に伴われるのだと言う事を良く分かっているようだった。
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