名もなき小さな島の物語

れんげそう

ちいさな島のものがたり



 ザザッ…


 細かい砂をさらっていく波の音が耳に優しい。

 ゆっくり瞼を持ち上げると、蒼い水平線がどこまでも遠くまで広がっている。

 優しいオルゴールの音色が体をよぎっていく風に混じって流れていった。


 5分も歩けば一周できる、青い海に囲まれたとても小さな名もなき島。

 今日もその浜辺にはたくさんの瓶が打ち上げられてくる。 


 赤だったり黄色だったり黒だったり。

 丸かったり四角かったり星型だったり。


 様々な色の様々な形をした瓶は一つとして同じものはなくて。

 どこか遠くの海から流されたそれらはこの小島にたくさん流れ着く。

 どこまでも青い波にのって。


 足元の瓶を一つ手に取って、瓶のコルクを外す。

 

 薄ピンク色で桜の花の形をした瓶。

 一瞬だけ見知らぬ場所の風の香りを楽しんで、中の丸められた紙をそっと取り出した。


 まるっこい文字が楽しかった今日の出来事を綴っている。

 家族で遊びに出かけた話。

 美味しくできたパンケーキの話。

 恋人と約束した次のデートの話。


 彼女にとってはありきたりな日常で、とても幸福な少女の物語。


「良かったね」


 笑みを浮かべた唇でそっと囁くと、丸め直した紙にキスを落として手を開く。

 紙はあっという間に形を崩し、手の中で細かい光の粒子に姿を変えて黒い夜空に向かって飛んでいく。

 小さな流れ星になったそれは、きっと見知らぬ島の見知らぬ少女の元に届くだろう。


 5歩ほど歩いて別の瓶を拾い上げる。

 傷だらけの黒い瓶。

 コルクを外すと強いアルコールと消毒液の匂いがした。


 丸めた紙に綴られていたのは不幸な少女の物語。

 痛くて辛くて自分を責める言葉。

 自分より幸せな人を妬む呪いの言葉。

 たくさんの傷とたくさんの薬の話。


「……」


 小さく溜息をついて手を開くと、黒い灰になった紙がサラサラと海に零れ落ちた。

 打ち寄せた波にさらわれてあっという間に見えなくなった。

 きっと暗い海の底へと流されて、もう誰にも見られることなく消えていく。


 さらに5歩歩く。

 裸足の足にコツンと当たったのはパイナップルの形をした赤い瓶。

 拾い上げてコルクを外すと淀んだ煙草の匂いが鼻についた。


 紙には赤いインクで書かれた乱暴な文字が連なっていた。

 どうして自分の苦しみに共感してくれないのという悲鳴。

 気に入らないメッセージなら無視してくれればいいのにという叫び。

 これ以上自分を傷つけないでと滲んだ文字が泣いている。


「それはあなたが瓶を自分の海に沈めなかったから。

 あなたの言葉を受け取った知らない誰かを知らず傷つけてしまったから」


 呟きは誰の耳に届くこともなく、いたずらな風に流されて消えていく。

 けれどその言葉はたとえ瓶の主の元に届いてもきっと彼女を救いはしない。

 両耳を塞ぎ涙を流して背中を丸める、彼女の心にはきっと届かない。


「あなたにとっては瓶を流してしまえばそれで終わり。

 でも、その手紙はきっと誰かが立つ浜辺に流れ着く。

 この世界に暮らす誰かの目に留まる。

 見知らぬ誰かを思いやれない人は、きっと誰からも優しくしてはもらえない」


 白い星が瞬く夜空に向かって呟く。

 聞くべき相手をもたない言葉は唇から離れた瞬間に形を失って消えていった。

 手を開くと黒灰が強い風に吹かれて遠くの海まで飛んでいく。

 もう二度とその島から何かが流れ着くことはないだろう。


 海に背を向けて裸足で砂を踏んで歩く。

 背後では色とりどりの瓶が海に転々と浮かんで、もう一つの星空のようだ。

 何百年という月日をかけて届いた輝きが静かに見下ろしている。


「優しい世界なんて本当はどこにもない。

 周囲にコツコツ優しさを配って歩いた人の周りがほんの少し優しくなるだけ」


 足の裏で今日も変わらず砂が鳴く。

 柔らかく裸足を受け止めた砂の上に一人分の足跡が点々と残った。


「今日はどんな瓶にどんな言葉を詰めて流そうか…」


 とくに代り映えのない灰色の日々。

 心躍らせることも落ち込むこともない無機質な一日。

 それがこの名もなき小さな島の日常。


 ポツンと建つ小さな家に向かう小さな呟きは波の音がさらっていった。




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名もなき小さな島の物語 れんげそう @rengesou6

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