第23話 小学校訪問

 こないだ、裁判に行ってきた。以前、「俺の寿命がストレスでマッハ」という言葉をインターネットで見つけたけど、わたしの感想はだいたいそんな感じだ。ちなみにこの言葉、あるネットゲームプレイヤーが残したものらしいけど、真相はよくわからない。

 ”あの男”の弁護士が罪を軽くしようとするのは想定内だけど、やっぱり腹が立った。弁護士によると、職場では評判のいい人物であり、復帰を望む職員も少なくないとか。わいせつ教師が教壇に立つ学校なんて、悪夢以外の何物でもない。あの弁護士に「冗談も大概にして!」と言ってやりたい。

 何よりもつらかったのは、”あの男”からされたわいせつ行為の詳細が、色々な人に暴露されたこと。”あの男”へ罰を与えるのに必要なのはわかっている……わかっているのだけれど、やはりつらい。無理矢理、AV女優にされた人は、こんな気持ちなのだろうか、いや、この場合は無理矢理、官能小説の登場人物にされたという表現の方が、ふさわしいかもしれない。

 わたしのことを見かねたのか、裁判から帰る時、お母さんは、わたしをファミリーレストランに連れて行って慰めてくれた。



 ――放課後――

 わたしは今、緑野国小学校に向かっている。わたしの母校にして”あの男”の勤務先だ。

 裁判は長期化するだろう。他にも被害者がいるのだから。そのため、裁判の準備にも時間がかかったらしい。

 わたしの小学校時代の恩師は、例の事件のことを、”あの男”のことを、どう思っているのだろうか――裁判に行った後、わたしは思った。そして、”あの男”は弁護士の言う通りの人物なのかと。

 ――わたしは知りたい。

 そこで、わたしは緑野国小学校を訪れることにした。裁判が終わらないうちに、わたしの恩師がいるうちに。

 けれども、校門の前を通るのは怖い。また、あの幻が襲ってくる。しかし、既にアポを取っているので、行かないわけにはいかない。

 だから、蓮と一緒に行くことにした。今、わたしの隣には彼がいて、一緒に歩いている。


 緑野国小学校の前に着いた。象牙色の校門に「緑野国小学校」と書かれた学校銘板が付いている。

 勇気を出して入ろうと思ったその時――

 空がいきなり暗くなり、着ている服が夏服に変わった。蓮を含めた周囲の人たちが消えた。やっぱり、小学校の前は怖い……

「葵……葵!」

 蓮の大きな声が聞こえた。目の前には蓮がいる。空は明るいし、服も元に戻っている。

「蓮……」

「大丈夫? やっぱり、この場所が怖いのか?」

 心配そうな顔をした彼からの問いに、わたしはうなずいた。

「……それでは、こうしよう」

 彼が、わたしの手を掴む。

「目をつむって」

「……うん」

 わたしは目を閉じる。

「ぼくがきみの手を引くから、きみはぼくが手を引いた方向に歩いて」

「うん、わかったわ」

 彼が、わたしの手を引くので、わたしは手を引かれた方向に歩く。そのまま歩いていると、手を引く方向が変わったので、わたしは、それに従って歩く。

「目を開けて」

 わたしは閉じていた目を開けた。わたしたちは小学校の敷地内にいる。

「ありがとう、蓮。あそこに来客用玄関があるから、そこから入りましょう」

 ここまで来ると不思議と怖くない。母校だからか、なつかしさすら感じる。

 わたしたちは来客用玄関から校内に入り、スリッパに履き替えて職員室に向かう。



「先生! できました!」

 家庭科の調理実習で作った野菜いためを先生に見せる。少なくとも見た目は悪くないし、それなりに自信はある。

「どれどれ……」

 先生が野菜炒めを一口食べる。

「美味しいわ! 日和塚さん、貴方達の班、凄いじゃない! 良く出来ているわ、この野菜炒め」

 班のみんなで力を合わせて作った野菜炒め。それが褒められた時は嬉しかった。

 ――小学六年生の時の話だ。

 先生の名前は那智浦槙なちうらまき。わたしが小学五年生から六年生の時の担任で、当時三十四歳だったから、現在は三十九歳か。



 わたしは小学校時代のことを思い出しながら職員室に向かっている。校内は昔とあまり変わっていないが、既に放課後なので、生徒は見かけない。廊下の壁を見ると、顔がたくさん並んだ木彫レリーフが掛けてある。昔の卒業生が制作したものだ。これが見えたら、そろそろ職員室だ。

 わたしたちは職員室に入る前にコートを脱いだ。コートを着たまま職員室に入るのは、失礼だと思ったからだ。脱いだコートはたたんで、自分の腕に掛ける。

 わたしは職員室のドアをノックした。

「失礼します」

 わたしたちは職員室に入った。すると、一人の中年女性が立ち上がった。那智浦先生だ。先生が手招きしたので、わたしたちはそちらに向かった。

「那智浦先生、お久しぶりです」

「日和塚さん!? 久しぶり。綺麗になったわね」

「うふふっ」

 綺麗になったと言われたので、嬉しい気分になる。先生は、ちょっとだけ老けたけど、それを除くとほとんど変わっていない。やさしそうな顔立ちと少しぽっちゃりした体型は、相変わらずである。

「こちらの男の子は……」

「わたしの友達で、麦穂星蓮くんといいます」

「麦穂星蓮と申します。よろしくお願いします」

「教師の那智浦です。よろしくお願いします」

 蓮と先生は、互いに簡単な自己紹介を済ませた後、おじぎした。

「その制服からすると、二人とも緑野国高校でしょ。結構頑張ったのね」

「ええ、まあ。ところで、那智浦先生」

「何ですか、日和塚さん」

鵺通銭苔ぬえどおりぜにごけ先生って、ご存知ですか?」

 鵺通銭苔――”あの男”の本名だ。わたしにとっては、不倶戴天ふぐたいてんの敵なのだが、あえてという敬称を付けてみる。那智浦先生の本音を知るため、わたしが”あの男”の被害者であることは、隠しておきたい。

「あの先生ね。ここに勤めていたけど、もう辞めてしまったわ。面倒見の良さげな先生なだけに残念だったわ……」

 面倒見の良い先生……その言葉を聞いて愕然としたけど、できるだけ表情に出さないようにする。

 面倒見が良いと言っていたけれども、女子に手を出すために、そういうふりをしていた可能性も否定はできない。

「女子高生への痴漢行為が原因で、警察に捕まったそうですが、その前に、ここの女子生徒に変なことをしていた、ということについては、ご存知でしたか?」

 その女子高生は、わたし自身のことだけど、あたかも他人であるかのように思わせるため、あえてそのように言った。

「そういう噂もあったけど、おいそれと信じる事は出来なかったわ。そんなに評判の悪い先生じゃなかったし、校長先生達も鵺通先生をかばっていたわ。けれども、そのまさかだったとは……」

 校長先生が”あの男”をかばっていた……信じたくない話だ。胸をかきむしられるような気分になってきたけど、ここは我慢。

「あの……那智浦先生」

「何かしら?」

「校長先生とお話しても、よろしいでしょうか? お聞きしたいことがありまして」

「私じゃ駄目なの?」

「すいませんけど、校長先生本人にお聞きしたいことでして」

「わかったわ、相談してみる」

 那智浦先生が席を立って、校長室に向かっていき、校長室の扉を開けて中に入っていった。少しだけ待っていると、校長室から那智浦先生が出てきた。

「少しだけならいいって」

「わかりました、先生。蓮、行きましょう」

 わたしと蓮は校長室に向かった。那智浦先生の話から嫌な予感はしていたが、それは承知の上だ。承知はしていたが……この後、わたしは打ちのめされることになる。

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