第13話 土曜日の小百合
高校一年の春。入学して間もない頃。
志望校に入れたのはいいけれども、あたしの中学から入った子は僅かだった。
同じ中学校出身の女子は、そんなに仲がいいわけではない。かと言って、いがみ合うほどではない。
要するに入学当初、あたしは、ひとりぼっちだったのだ。
あたしの後ろの席には女の子が座っている。彼女のストレートセミロングヘアは、さらさら。顔立ちは素朴で、派手さは無いけれども、愛嬌はありそう。やさしそうな雰囲気の娘だ。確か……日和塚さんだっけ。
彼女に話しかけてみよう。
「日和塚葵さんだったよね」
「そうだけど?」
初めて、あたしに声をかけられたからか、少し緊張しているようだ。
「あたしは箱根小百合。
初めて話す相手だけど、今のあたしの悩み事を打ち明けてみた。やさしそうな彼女なら、聞いてくれるだろうと思ったから。
「わたしも似たようなものよ。わたしは緑野国中出身なんだけど、仲の良い子がみんな他の高校に行っちゃって」
彼女も似たような状況らしい。これが、あたしと葵の初めての会話だった。
あたしと葵は同じ部活に入った。そう、バドミントン部。
入部に深い理由など無かった。単に楽しそうという理由だけで選んだ。
この高校のバドミントン部は小さくはないものの、本気で全国大会優勝を目指すような所ではなかった。
部員も、単純に楽しみたいという人たちが大半。それは今でも同じだ。
この頃、あたしと葵は既に下の名前で呼び合うようになっていた。打ち解けたのだ。
葵は派手にガヤガヤと騒ぐような人間ではない。けれども、木漏れ日を思わせる柔和な明るさは、とても魅力的だった。
あたしは葵のことが好きになった。ただし、これだけは言っておく――あたしはレズビアンではない。
あたしはスポーツが得意だ。運動会の時は、ほとんど一位。もちろん、スポーツテストでも一、二を争っていた。
それはバドミントンでも例外ではなく、いつの間にかエースとして扱われ、ついには部長として抜擢されてしまった。
それで、現在のバドミントン部の部長は、あたし。副部長は葵になって欲しかった。けれども副部長は、あたしの次に上手いとされる
葵は決して下手ではないが、特別上手いというわけでもない。それに、温厚な性格が災いして、他人に強く言えないところがある。葵が副部長になれなかったのは、これらのことが原因だろう。
それでも、この体制は決して悪くなかった。むしろ正解とも言えた。桜は何だかんだで頼りになるし、あたしとの関係も悪くない。それどころか、部員の中では葵の次にあたしと仲がいい。
こうして、あたしと葵たちは楽しく部活をやってきた。
先月、あの忌まわしい事件は起きた。
あの事件のせいで、葵はしばらく学校を休んだ。
そして、部活からいなくなった。
お見舞いにいった時の、あの葵の涙は忘れない。
今日は土曜日。あたしは部活のために学校に来ている。
今日、練習場所として体育館を丸一日取れたのは、ラッキーである。風の無い場所で、思う存分シャトルを打ち合えるから。
あたしは今、体操着姿。手にはバドミントンのラケット。
「小百合、いくよ~」
声の主は目のぱっちりしたショートボブの女の子、桜だ。ここのところ、彼女を相手にする機会が多い。
桜がラケットでシャトルを打ってきた。シャトルは放物線を描きながらネットを超えて、こちらにやって来た。
あたしは、それを打ち返す。同様にシャトルが飛んでいく。
こうして、あたしたちはラリーを続ける。向こうからは時々、獲物を襲う
だが……
桜がシャトルをこちらに向けて打ち上げてきた。よし!
あたしはシャトルに近づいた後、ジャンプしてスマッシュを打つ。シャトルは勢いよく相手側のコートに突き刺さった。
「さすが小百合、凄い! あんなイナズマみたいなの取れないよ~」
桜が困惑しつつも、にこやかな表情で、あたしに言ってきた。半分は、あたしを絶賛しているように見えるが、もう半分は悔しがっているように見える。にこやかな表情の中に、わずかながらも般若のような怒りの表情が、混じっているように見えた。
それでも、何だか微笑ましい。桜もまた可愛い娘だと思う。
それにしても、桜の顔って麦穂星くんと似ているのよね……他人の空似かしら。
昼食の時間。今日はハンバーグ弁当だ。もちろん、おかずはハンバーグだけではなく、ナポリタン、ウインナーソーセージ、フライドポテト、サラダ等も入っている。
「いただきま~す」
あたしは弁当を食べ始める。美味しい。作ってくれたお母さんに感謝。
弁当を食べながら横目で桜の弁当を見る。桜の弁当はサンドイッチだ。ツナ、タマゴ、ハム、チーズ、レタス等々……これまた美味しそうだ。実際、桜も美味しそうに食べている。
弁当は美味しいけれど、以前と比べたら何か物足りない気がする。
葵が部活を辞める前は、三人で食べていた。葵がいない今、あたしは桜と二人で弁当を食べている。
もし、葵がいたら、今日はどんな弁当なのだろうか。鮭、唐揚げ、焼肉、三色そぼろ、おにぎり……
「ところで、小百合さ」
「何?」
「昨日の放課後、何かあったの? 掃除当番にしては、妙に遅かったし……」
「葵に付き合っていた」
「葵に付き合っていた? どういうことで?」
「男子が喧嘩して、それで、怪我が酷い方を、葵が保健室に連れて行った。あたしもその場にいたから、それに付き合った」
「へ~」
桜が何やら考え込んだかと思っていると、「う~ん、なるほど~」という彼女のつぶやきが、小さいながらも聞こえてきた。
「桜?」
「ううん、何でもない、何でもない」
桜は、かぶりを振っている。何か考えていそうだったけど、追及はしなかった。多分、大したことではないと思う。
今日もまた楽しく汗をかいた。走ったり、シャトルを打ったり、跳ね返したりして、何度も一喜一憂。
けれども、どこか虚しい。あたしのどこかに、ぽっかりと穴が開いたような気分。わかっている。そう、葵がいないせい。
部活を終えたあたしは校舎に入る。そして、更衣室に向かう。
更衣室に入り、ロッカーを開ける。体操着を脱ぐ。そして自分の体を見る。
適度に豊かな胸、くびれた腰、適度に引き締まったヒップ……我ながら見事なプロポーション。
日頃の美容の賜物だ。あたしは一瞬だけナルシストになった。
ふと、あの事件のことを思い出した。もし、あの時あの場所にいたのが、あたしだったら、痴漢に襲われたのは、あたしだったかもしれない。
葵の話を思い出す。痴漢が葵にしたという、おぞましい行為。あれは聞いている方も、寒気がしてくる。あたしが同じことされる場面を想像したら、寒気がしたので、さっさと服を着ようと思う。
もう少しで制服に着替え終わるというところで、ロッカーを隔てた場所から声が聞こえてきた。
「日和塚さんって子、いるでしょ?」
「いるいる。最近、男子から変なことで注目浴びてる子」
声の主は二人。多分、クラスメイトの……
ピアス、ネックレス、ブレスレット等々……アクセサリじゃらじゃらの派手でうるさいコンビ。アイシャドーや口紅まで塗りたくっていて結構ケバイ。
髪の染め方まで派手。どちらも髪を金色に染めているけど、それぞれの染め方は違う。メッシュの方が根多米さんで、全部金色にしている方が沖猿さんだ。あたしも髪を染めているけど、少しだけ茶色っぽくする程度だ。
背は二人とも低めで、二人のことを可愛いと言う人もいるけど、個人的には可愛くない。
あたしは、この二人が嫌いだ。人――特に地味な人――を見下した言動が鼻につく。時々、話しかけてくることがあるけど、適当にあしらっている。
「うちの彼氏が言ってたんだけどさあ、その子、麦穂星くんとできてるらしいよ」
「マジ!? 麦穂星くんと言えば、陰キャキモオタトリオの一人じゃん。よくそんなのと付き合うよね~」
「陰キャキモオタトリオ! 言い過ぎ! きゃはは! でも、三人の中では一番、顔がいいのよね~。だからと言って、うちはそんなのと付き合いたいとは思わないけど。というかそれ以前に、うちには
「で、棕櫚くんって、どうやってそれ知ったの? 藍多奈」
「麦穂星くんが蘇鉄くんに喧嘩売ったらしくってさ、その現場に彼氏もいたの」
「マジ!? なんでまた喧嘩売ったん!?」
「その理由がさ、日和塚さんの悪口を言われたかららしいよ」
「へ~。で、どうなった?」
「言うまでもなく、麦穂星くんのボロ負け」
「やっぱり。きゃはは、ウケる~」
「その後、日和塚さんたちが来たらしいんだけど、日和塚さん、ボコられた麦穂星くんの顔を見て、泣きそうな顔してたらしいよ。その後、麦穂星くんを保健室に連れて行ったとか」
「へ~」
すごくムカつく。麦穂星くんだけではなく、葵までバカにしているようで。
もし、あたしが二人のそばにいたら、ポコッと殴ってしまうかもしれない。麦穂星くんが鬼瓦くんに対してやったであろうことと同じように。いや、そこまでマジにはならないか。
「そうそう、忘れちゃいけないのが、二人の名前の呼び方。下の名前で呼んでたらしいよ。『蓮!』『葵!』とかさ~」
「ここまでくると確定だね」
さらに付け加えると、葵は麦穂星くんのことで涙を流した。そして、麦穂星くんから可愛いと言われて頬を赤らめた。
葵と麦穂星くんができている――あたしも気になるところだ。あの時は、あえて言わなかったけど。
誰と付き合おうと、葵が満足であれば、幸せであれば、それで構わない。
麦穂星くんは相手として、どうなのだろうか……うーん、何か頼りない気がする。
どうせ彼氏にするのなら、もっと頼りになる人にして欲しいと思う。
果たして、麦穂星くんは葵を幸せにできるのだろうか。
いや、二人が付き合っているか否か、恋人同士であるか否か、決め付けるのは、まだ早いか。
しかし、何かしら? この寂しいような腹立たしいような感覚は。
麦穂星くんが妙にムカつく一方で、葵があたしから少しずつ離れていくような、そんな気がした。
――あたしから葵を取らないで。
……もしかしてあたし、麦穂星くんに嫉妬している?
視線を感じた。出口がある方に振り向くと、離れた所から二人の女子がこちらを見ているのが、わかった。
根多米さんと沖猿さんだ。
二人は、あたしと目が合うと、そそくさと出口の方に向かっていった。
着替えを終えたあたしは、学校を出て帰路に就く。
「またね!」
あたしと桜は互いに手を振る。あたしの家は学校から南、桜の家は学校から西。あたしたちの帰路は、ばらばらだ。
既に日は暮れていた。真っ暗というほどではないけど、だいぶ暗くなっている。空には月が見えるし、星も少しくらいは見える。
あたしは歩きながら葵と麦穂星くんのことについて考えている。
そういえばこの二人、付き合っている素振りは、見せていなかったな。麦穂星くんが鬼瓦くんと喧嘩するまでは。
いつ、どこでつながりを持ったのだろうか。
素振りを見せていなかったということは、陰でコミュニケーションを取っているのかしら。葵があたしに麦穂星くんのことを話してくれなかったことに、悲しさを感じる。あたしたち親友でしょ、葵。
葵と麦穂星くんの関係については、どこかで確かめたい。かといって、葵を下手に刺激するわけにはいかない。葵は、あの事件のせいで相当傷ついているから。
いつ切り出そうかしら。う~ん、上手い方法無いかしら。
――こんなことを考えながら、あたしはバス通りを歩いている。視線を斜めに向けると、路線バスが走っているのが見えた。
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