第11話 女帝闖入

 保健室の扉がガラッと開いた。

「おっと!」

 そこから鬼瓦くんが、よろけるようにして入って来た。後ろから誰かに突き飛ばされたみたいだ。

「蘇鉄、アンタも診てもらいな! ケガしてんだろ!」

 張りのある声がした。声の高さからして女子のものだ。その大きさから、気丈な性格の持ち主だと思われる。

 鬼瓦くんの後ろから、背の高い女子が入って来た。身長百七十センチ以上はある。下手な男子よりも大きい。隣のクラス――二年四組――の獅子城ローザさんだ。

 彼女は確か……お父さんが日本人で、お母さんがアメリカ人だったと思う。

「今の話、聞かせてもらったよ。だからなのか……どいつもこいつも! 日和塚のことばかり! なぜ、このアタイに目もくれない!」

 廊下にいた筈の獅子城さんは、わたしたちの話を聞いていたらしい。なんという地獄耳。

 わたしに嫉妬しているみたいだけど、身に覚えは無い。それに獅子城さんから見たら、わたしなんて嫉妬するほどの価値は無いと思う。

「蘇鉄……アタイは悲しいよ。アンタまで日和塚の話して。このアタイがいるというのに」

 獅子城さんが鬼瓦くんに話す。その口調には悲しさと怒りが混じっているようだった。また、鬼瓦くんに情けなさを感じているようにも思えた。

「日和塚は痴漢に襲われたんだぜ。どういう体してるか、気になるじゃねえか。特に胸……」

 鬼瓦くんの口調は弱気だ。獅子城さんには頭が上がらないみたい。

 それにしてもいい加減、わたしに対するエッチな話はやめて欲しい。

「はあ!? あの痴漢は小学生にまで手を出すような変態じゃないか! アンタ、あんなロリコン大魔王のセンスをあてにするのかい!」

 獅子城さんが稲妻のような口調で話す。さながら雷神と化した獅子城さんが、鬼瓦くんに雷を落としているようだった。

「ひぃっ! あてにしねえよ……」

 鬼瓦くんは怯えている。悪いことしたのがばれて、お母さんに叱られている子供みたい。

「そうだ、日和塚」

 獅子城さんが、わたしに声をかけた。

「え? わたし?」

 一体、何だろう。

「ブレザーを脱げ」

 獅子城さんがブレザーを脱ぎながら、わたしに命令する。わたしは、しぶしぶブレザーを脱いだ。

「そんで、アタイと並んで蘇鉄の前に立て」

 上半身がワイシャツにネクタイという姿になったわたしと獅子城さんが、並んで鬼瓦くんの前に立つ。

 改めて見ると獅子城さんは凄い美人だ。

 栗色の長い髪、二重で切れ長の美しい目、整った高めの鼻、ふっくらとしていながらも大きすぎない唇、メロンのように大きい胸、蜂のようにくびれた腰、豊かなヒップ、短いスカートから覗くむっちりとしていながらも太すぎない太腿――

 モンキー・パンチの漫画『ルパン三世』に登場する美女、峰不二子を具現化したような容姿をしている。

 しかし、獅子城さんが峰不二子になることは、できないだろう。峰不二子は男性に取り入るために、媚びるような色っぽい口調で話したりする。攻撃的で口の悪い獅子城さんには、できない芸当だろう。

「アタイと日和塚、どちらが美人でナイスバディだい?」

「そりゃあ、ローザに決まってんだろ」

「そうだろ、そうだろ」

 獅子城さんが嬉しそうな表情で言う。無邪気さすら感じる。

「でもよ……日和塚は可愛いし、プロポーションもそう悪くはないぜ。揉みたくなるくらいの胸はあるし……」

 もう、そういう話は、いい加減にやめて。血の気がなくなってくる。

 わたしは気分の悪さをこらえようとした。その時――

 隣から凄まじい殺気を感じた。

「蘇鉄! アンタの女は誰だい! このアタイだろ! こんな小娘なんか見てないで、アタイだけを見ていればいいんだよ!」

 獅子城さんから鬼瓦くんに向かって再び雷が落ちた。

 小娘……確かに獅子城さんと比べたら、わたしなんて子供だ。わたしの身長は百五十八センチ。それに対し、獅子城さんの身長は、どう見ても百七十センチ以上ある。

「わかったよ、ローザ。マジで悪かった! これからはオマエだけを見つめるから。許してくれ!」

 鬼瓦くんは獅子城さんに許しを乞う。二年三組の餓鬼大将が、なんだか情けない。まるで恐妻家だ。だからか、憎めない人物に思えてきた。


 鬼瓦くんも同じように手当てを受けた。

 鬼瓦くんが杖辰先生を見て、顔を赤らめながら鼻の下を伸ばす。それを見た獅子城さんが、鬼瓦くんをにらむ。すると、鬼瓦くんが顔を青くする。再び先生を見て赤くなる。また獅子城さんからにらまれて青くなる……

 赤くなったり青くなったりと、鬼瓦くんの顔は、まるで歩行者信号のようだ。しかも、それを高速で繰り返すのだから面白い。

 鬼瓦くんの方が軽傷である分、時間はかからなかった。

「ごめんよ、鬼瓦くん。いきなり殴ってしまって」

 蓮が鬼瓦くんに対して謝った。

「殴られたのはお互い様だ。オマエ、思ったよりもおとこだな」

 鬼瓦くんが蓮に向かって言う。蓮のことを恨んでいる様子は見られなかった。


 保健室に一人の女性が入ってきた。夏長先生だ。杖辰先生が連絡したのだろう。嫌な予感がする。

「げっ! 夏長先生だ!」

 鬼瓦くんが顔をしかめた。

「貴方達、職員室に来てくれる?」

 夏長先生が、わたしたちに呼びかけた。きっと、蓮と鬼瓦くんの喧嘩の件だろう。

 わたしたちは職員室に向かった。



 わたしたちは蓮と鬼瓦くんの喧嘩の顛末てんまつについて夏長先生に話した。

 喧嘩のことだけではなく、男子がエッチな話をしていたこと、それを聞いてわたしが泣いたことについても話した。

「……先生、麦穂星くんを許してください。麦穂星くんは、わたしを気遣うあまり、あのような行動に出たみたいで……」

 わたしは夏長先生に蓮を許すよう、お願いした。

「センセ、蘇鉄も許してくれる? 最初に手を出したのは向こうだしさ。ま、アタイを差し置いて、他の女のエロ話をする蘇鉄も悪いんだけどさ」

 獅子城さんも気持ちは似たようなものらしい。隣で鬼瓦くんが「余計なことまで言うな」と言いたげな顔をしている。

「日和塚さん、獅子城さん、貴方達の気持ちは分かります」

 わたしたちの気持ちがわかる? どういうことかしら。

 そういえば、この学校には夏長先生が二人いる。

 もう一人は夏長著莪なつながしゃが先生。今、話している夏長文目先生の夫だ。

 著莪先生は男子サッカー部の顧問。以前、部活動中に部員間でトラブルが起きたらしく、喧嘩両成敗的に二人の生徒を罰したと聞く。本人は正しいと思ってやったことらしいが、これが間違いだったらしい。

 一方の部員が不登校になってしまい、保護者からクレームが来たそうだ。それで、良く調べると、トラブルを起こした部員の片方が、もう一方をいじめてばかりいたらしく、それがトラブルの原因になったらしい。

 著莪先生は不登校になった部員とその保護者に謝罪した、と聞く。この時、文目先生が校長先生に「著莪先生を許してください」と、お願いしたらしい。

 わたしが一年の時、部活の先輩から聞いた話だ。

 この時の文目先生の姿が、わたしたちと重なったのだろうか。

「けれども、麦穂星くんと鬼瓦くんには反省文を書いてもらいます。原稿用紙一枚以上で構いませんので」

 わたしたちの気持ちをんでくれたようではある。けれども、喧嘩したことは重く見ているようだ。二人とも怪我をしているからだろうか。

「期限は来週火曜日の帰りのホームルームまで。本来なら朝のホームルームまで、と言いたいところなのですが、午前中、私は出張で不在ですので」

 ハッピーマンデー制度により、来週の月曜日は休日だ。なので、火曜日までということになった。

「楽勝だな」という声が聞こえてきた気がする。気のせいでないのなら、声の主は鬼瓦くんだろう。

「日和塚さん、少しだけここに残っていただけるかしら? 貴方と話したい事があるの」

「え? わたし?」

 一体、何の話かしら?

「他の人達は戻っていいわよ」

 夏長先生は蓮たちに職員室から出るよう促した。

「失礼しました」

 出入り口の所で、蓮たちが声をそろえて挨拶した。


「見ておれ、男子共!」

 廊下から声が聞こえてきた。獅子城さんのものだ。男子たちに腹を立てているみたい。

「お話って、何でしょうか?」

 わたしは先生に尋ねる。

「日和塚さん、先程の話を聞いて思ったのだけれど、貴方、大丈夫?」

「何がですか?」

「先月、大変な事があったでしょう?」

 例の事件のことだ。

「だから、大丈夫かと思って」

「……」

 わたしは返答に困った。大丈夫と言いたい気もするけど、現状は怪しい。

「その事で少しでも辛いと思ったら、私に相談してくれる?」

「はい」

「後、こういう所に頼るのも手よ」

 先生がパソコンのキーボードを叩く。すると、パソコンのディスプレイに何かが出てきた。

 先生がディスプレイを指し示す。そこには性暴力の被害者や犯罪被害者を救援するための機関が表示されていた。

「ちょっと大げさな気がしますけど……」

 こういう機関はレイプ等、深刻な被害に遭った人達が利用するというイメージがある。

「そんな事無いわ。泣く程辛いと感じる事もあるんでしょう? 利用する価値は充分にあるわ」

 先生が言うには、わたしが受けた被害も、れっきとした性暴力。だから、利用しない手はないとのこと。

 わたしは、ふと思った。わたしがあの時受けたのが性暴力なら、蓮が中学時代に受けた行為――いじめ――もまた性暴力ではないかと。あのズボンを脱がして股間を揉むという行為。

 蓮をわたしに置き換えてみる……とんでもない光景が、わたしの頭の中に浮かんだ。こんなことされたら、警察に通報してやりたい。

 蓮から話を聞いた時は、こういう意味でも、とんでもないこととは思わなかった。なぜ、思わなかったのだろうか? 性別が違うから? 単なるいじめというイメージがあったから? 自分のことで精一杯だったから?

 わたしは目を閉じて片手で目を覆った。また気分が悪くなってきた。

「日和塚さん?」

 先生が心配そうに声をかける。

「あ、はい」

「少しだけ待っていてね」

 先生がパソコンを操作して、ディスプレイに表示されている内容を紙に印刷した。

「はい、これあげる」

 先生が、印刷した紙を渡す。

「ありがとうございます。先生」

 わたしは先生からもらった紙をブレザーのポケットに入れた。


 職員室を出ると、そこでは蓮と小百合が待っていた。蓮の友達は部活に行ったらしい。

「葵、先生とどういう話していたの?」

 小百合が、わたしに尋ねてきた。

 わたしは周囲に小百合と蓮以外の人がいないことを確認してから、先生からもらった紙を小百合と蓮に見せた。

「なるほど」

 小百合は妙に納得した様子だった。蓮は神妙な表情をしていた。


「葵、先程の保健室での話なんだけど」

 蓮が話しかけてきた。

「もしかすると、獅子城さんが、きみに貼られたレッテルを剥がしてくれるかもしれない」

「どういうこと?」

「獅子城さんは、男子の注目がきみに行っていることが、気に入らないみたいだね。だから、何とかして男子を振り向かせようとする。そうすると、きみへの注目が逸れることになる」

「……そうなるといいな」

 彼の言う通りになるかどうか、わからないけれども、わたしは期待することにした。


「葵、今更だけどごめんね」

 小百合が突然わたしに謝ってきた。何だろう。

「あたし、あなたのこと、部員に話したんだ。本当に部員だけ。けれども、いつの間にか学校中に広まってしまって……。もし、広まっていなければ、あなたが辛い思いをしなくて済んだかもしれないのに。ごめんね」

 小百合は少しうつむいて、辛気臭い表情で話した。

「別にいいのよ、小百合。わたし、口止めなんかしなかったし」

 わたしは小百合を許した。というよりも、小百合を責める理由は無い。小百合は悪くない。



「ただいま」

「お帰り、葵。今日は遅かったわね」

 わたしは、蓮が鬼瓦くんと喧嘩したことと、そのために保健室まで付き添ったことを、お母さんに話した。

「まあ、蓮くんが喧嘩したの!?」

「うん、だから蓮は今日、病院に行ってくるって」

 蓮は帰宅した後、整形外科に行って治療してもらう予定だ。

「早く怪我が治るといいわね。それにしても蓮くんって、やっぱり男の子なのね。葵のことで喧嘩するなんて」

 お母さんは蓮のことを心配しつつも、その表情は少し嬉しそうだった。



 わたしは公園のまわりを軽くジョギングした。

 その後、公園のブランコをぐ。

 ブランコを漕ぎつつ、今日の出来事について考える。

 蓮が鬼瓦くんと喧嘩した。

 わたしを侮辱するようなことを鬼瓦くんが言ったのが原因らしい。

 蓮は顔に怪我を負った。せっかくの美形なのに。侮辱と言っても、些細なことなのに。こんなことで喧嘩する必要ないのに。痛い目に遭わなくてもいいのに。

 わたしは蓮の顔を見て、ショックを受けた。そして、保健室に連れて行った。

 ……あれ? 今日は蓮との間にある筈の見えない壁が無かったな。いつも学校にいるとあるのに。


「おねえちゃん、きょうはひとり?」

 小さい女の子が話しかけてきた。幼稚園児から小学校一年生ぐらいだと思われる。あどけない顔立ちで、ミディアムくらいの髪をツインテールにしている。

「ええ。今日は一人よ」

「おにいちゃんは? もしかして、ふられちゃったの?」

 女の子が悲しそうな顔をして、わたしに聞いてきた。

 驚いた。この子は、わたしと蓮のことを見ていたのか。それにしても、なんというませた子だ。そのようにわたしたちを見ていたとは。わたしと彼は、そのような関係ではない。けれども、子供の夢は壊したくない。

「お兄ちゃんはね、怪我しちゃったの。だから、病院に行っている。もしかしたら、しばらく来れないかもね」

 わたしは、できるだけ優しく話した。

「そうなんだ。はやくなおるといいね」

 彼の身を案じているようだ。優しくていい子だ。

「そうね」

 わたしは、この可愛い子に返事した。この子と同じように、彼の身を案じながら。


 空がオレンジ色に染まっている。そろそろ帰ろう。

 夕焼けを見ると哀愁を感じる。わたしは今日、ひとりぼっちなので、余計にそれを強く感じる。

 心にぽっかりと穴が開いたような気分だ。

 心の中にまで、ひんやりとした風が吹いてくる。

 早く彼の怪我が治って欲しい。また二人で公園に来たい。

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