第6話 きみを助けたい

 ――誰かいる。

 人の気配を感じたので、顔を上げると、そこには一人の男子がいた。

 背は小百合より少し高い程度。二重瞼、くりっとした綺麗な目、薄い唇、女の子のような顔立ち。

 男子だから髪は短くしてあるものの、髪型を工夫して女装させれば、誰もが振り返る美少女に変身できるような容姿をしていた。

 背は男子としては高くないものの、テレビ番組に出演している男性アイドルと比べても引けを取らないほどの美貌を持っている。

 ――それにもかかわらず、彼が女子から言い寄られたという話は、一度も聞いたことが無い。

 彼には仲の良い友達が二人いる。いずれも文化部所属の地味な男子。彼は休み時間になると友達と一緒に、漫画、アニメ、ゲーム、ライトノベルがどうのこうのという会話をよくしている。

 要するにオタク趣味全開の男子。オタクの人はキモイという偏見は良くない。けれども、心の奥底では、こういう男子に近づきたくないと思っている女子は多い。わたしも含めて。

 これで活発なキャラクターだったら……と残念がる女子も少なくない。

 そんな残念な王子様の名は、麦穂星蓮むぎほぼしれん。わたしのクラスメイトだ。


 彼はブレザーのポケットからハンカチを取り出し、わたしに差し出した。どうやら、わたしは泣いていたようだ。

 わたしは彼の厚意に甘え、そのハンカチで涙を拭う。

「どうしたの?」

 彼は心配そうな顔をして、優しくわたしに語りかけてきた。

「男子トイレから、わたしについての話が聞こえてきたの」

「どんな話?」

 彼は怪訝けげんそうな顔をした。今、伝えた話だけだと、なぜ泣くほどのことなのか、わからないに違いない。

「わたしについてのエッチな話。わたしをどうこうしたいとか」

「……」

 彼は何やら考え込んでいるようだ。

「わたし、こないだ、痴漢に襲われたのよ。だから、こういう話を聞くと、怖くなってしまう。男子に襲われるんじゃないかって」

「その話は、みんな知っている。やはり被害者は、きみだったんだ。今のきみの様子からすると、相当辛い目に遭ったことくらいは想像がつく」

 彼の話によると”あの時”のことは、みんな知っているらしい。わたしは小百合にしか話さなかったけれど、口止めはしなかった。人の口に戸は立てられないし、その話がみんなに広まっていても、不思議ではない。

「きみについてのエッチな話をしていたところで、彼らが襲ってくるようなことは、まず無いと思う。ゲラゲラ話しているからって、そこまで馬鹿じゃない。だから、そんなに怖がらなくてもいいと思うよ。もし不安なら足早に立ち去ればいい。ところで……」

「何?」

「ぼくも男子なんだけれど、きみはぼくのことが怖くないの?」

 言われてみれば確かにそうだ。けれども、彼からは不思議と恐怖が感じられない。なぜかしら。

「あなたは、なぜか怖くないみたい」

 彼の顔を見る。やさしい女の子みたいな顔立ち。なぜ、彼のことが怖くないか、わかったような気がする。

「だって……やさしそうだし、それに女の子みたいな顔をしているからかな」

 彼は、がっかりしたような、悲しそうな顔をした。もしかして、このことにコンプレックスを抱いている?

「ごめん! 傷ついた? 悪い意味で言ったんじゃないのよ」

 わたしは彼に申し訳なさを感じたので謝った。

「いや、別にいいんだよ。きみを慰めることができれば」

 彼ができるだけ気丈そうに振る舞っている様子が、見て取れる。

「ところで麦穂星くん、わたしは、あなたとあまり話したことがない。なぜ、わたしに……」

 わたしが疑問に思っていることだ。わたしは彼との交流がほとんどない。なぜ、わたしに手を差し伸べたのだろうか。

「すすり泣く声が聞こえたから。そこで、声がする所に行ってみると、きみがいた。きみを見ていると、昔のぼくを見ているように思えたから」

 彼が、やさしさと悲しさ、そして悔しさが混じったような顔で答える。その目は遠くを見ているようだった。

「昔?」

「そう、ぼくは中学時代、いじめられていたんだよ」

「いじめられていた!?」

 あり得ないことではないと思うけど、少し驚いた。

「そう、なぜ、いじめられていたか、詳しい理由はわからないけど、ぼくの見た目やキャラクターが原因だと思う。ワイワイガヤガヤと騒ぐようなタイプじゃなかったし、体格や顔のこともあって、女みたいな奴だと言われていた」

 女みたいな奴……確かに彼の顔は女の子っぽい。

「それだけならまだいい。やんちゃぶった男子たちが、ぼくを羽交い絞めにして、ズボンを脱がすんだよ。それも女子の見ているところで。そうした上で、ぼくの股間を揉んで『こいつ、女の顔してるくせに、金玉ついてるぞー』とか言うんだよ。ぼくがやめろと言ってもやめないし、誰も助けてくれない」

「……」

 わたしは、そのいじめの内容に絶句した。

「他にも、こういうことがあった。文化祭の時に、ロミオとジュリエットの演劇をやることになって、ぼくがジュリエットの役をやらされることになった」

 彼の演ずるジュリエット……。不覚にも似合いそうだと思った。誰もが振り返るような……それこそ彼の名前が意味する花――はす――のように美しい姿を想像せざるを得ない。

「その演劇が終わった後、舞台裏でロミオ役の男子が『気持ち悪いんだよ!』と言って、ぼくを殴った」

 彼は悔しそうな顔をして、中学時代のことを語った。

「麦穂星くん、辛かったでしょ。不登校になったりしなかったの?」

「学校に行きたくないと思ったよ。それどころか、死にたいと考えたこともある。けれども、ぼくをいじめる連中は、例外なく勉強ができなかった。だから、頑張っていい高校に入れば、いじめから逃れられるのではないかという希望があった。だから、ぼくは耐えながら学校に通い続けた。もっとも、そのいじめは三年生になる頃にはだいぶ収まっていたけど」

 いじめが収まった理由は、彼にもわからない。彼いわく「いじめに飽きたか、もしくは先生たちが裏で動いていたかのどちらか、あるいは両方」らしい。

 彼は、いじめを耐え抜いた。その忍耐力に、わたしは感心した。

「日和塚さん……」

「何?」

「ぼくがいじめられっ子だったこと、みんなには黙っておいて。いじめられっ子というのは、ステータスとして情けないから」

 彼が両手を合わせ、頭を軽く下げながら頼み込む。

「いじめられっ子」というステータスは情けない――ひどいことに、そう考える者は多い。特に小中学生。高校生や大学生、大人にもそう考える者は、いるかもしれない。だけど……

「わかったわ。けれども、麦穂星くん」

「何だい?」

「これだけは言わせておいて。あなたはいじめという苦しみを耐え抜いた。それは誇りに思っていいのよ」

「ありがとう」

「でも、なぜ、わざわざ恥を忍んでまで、そういうことを話したの?」

「きみが酷い目に、そして恥ずかしい目に遭ったということは知っている。それならば、ぼくの惨めで情けない過去も話さないと不平等だと思ったから」

「なるほど、わかったわ」

 フェアな精神の持ち主だ。いじめられっ子だったことを恥ずかしく思うのなら、わざわざ話さなくてもいいのにと思う。けれども彼は、あえて話した。

「それと、日和塚さん」

「何かしら?」

 他にも何か言いたいことが、あるのだろうか。

「もし、何か力になって……欲しいことがあったら……ぼくに言って欲しい。ぼくは非力だけれども……できるだけ……きみの……力になりたい」

 彼が清水の舞台から飛び降りるような口調で話す。

「その気持ちは嬉しいんだけれども、どうして……」

「きみがうずくまっているのを見て、昔のぼくを……助けたいと思った。そして……きみも……助けたい」

 照れくさいのか、彼は顔を赤らめつつも真摯な態度で言った。口調はたどたどしいけれども、態度は東洋なら武士、西洋なら騎士を彷彿ほうふつとさせるようなものだった。



 その日の夜、わたしはベッドの上でごろごろしながら、麦穂星くんとのことを考えていた。

 彼は、うずくまりながら泣いているわたしに、手を差し伸べてくれた。

 美男子と言えば美男子だし、あの状況なられてしまうことも、あり得たかもしれない。けれども、そうはならなかった。

 変な先入観――地味な男子たちとつるむオタク系男子――のせいかしら。

 でも、その先入観のせいで、人としての価値が下がるのだろうか。

 実際、わたしのクラスに彼らのことを陰キャだの何だのと見下す人たちがいる。しかも、男子と女子の両方に。

 だいたいそういう人たちは、やたらと派手でうるさい場合が多い。その人たちは大抵、陽キャとかリア充と言われている。そういう人たちは声が大きいので、他の人たちにも影響を与えがちだ。

 けれども、地味な人やオタク系の人を見下す――それは偏見、差別ではないだろうか。そして、情けないことに、わたしもそういう価値観を持っている。口にこそ出したことは無いけど。

 わたしって悪い子だな……。だから、あのような目に遭ったのだろうか。けれども、それは違う気がする。

 その先入観だけではないかもしれない。女の子みたいな顔をしているとはいえ男子。”あの男”のせいなのか、男は汚くていやらしくて暴力的で怖いというイメージが、こびりついている。やさしく接してくれた彼は、怖くなかったけど、そのイメージがどこかで、彼に対する感情に歯止めをかけていたのかもしれない。

 彼は元いじめられっ子。それを情けない、格好悪いと思う人もいるかもしれない。しかし、それに耐える強さが彼にはある。

 それに、他人から傷つけられたことがある彼ならば、わたしの気持ちを理解できるのではないか。

 ――何か力になって欲しいことがあったら、ぼくに言って欲しい――

 彼が力になれるようなことって、何だろうか。すぐには思いつかない。

 ”あの時”のことが原因で失われたものについて考えてみる。

 出席日数、夜道、部活、塾、母校への想い、男子に対するイメージ……

 出席日数については今のところ、そこまで深刻ではないだろう。このまま普通に出席すれば、留年はまず無い。

 夜道は怖い。”あの男”が捕まっていても。そのせいで、部活に出ることも、塾に行くこともできなくなった。

 部活……彼と会った後、退部届を出してきた。小百合たちと一緒に活動できなくなるのは残念だ。途中まで出て日が暮れる前に帰るということも、一瞬考えたけど、わたしだけそうするわけにはいかない。みんなに悪い。

 塾……通信講座に切り替えることで対処。先生にその場で教えてもらった方が、わかりやすいんだけど、仕方がない。

 母校……せめて、わたしの恩師だけでも、まともであることを祈るしかない。

 男子……襲ってこないとわかっていても、やっぱり怖いかな。ただし、彼はそんなに怖くない。

 ……ここでわたしは大事なものが壊されていたことに気付いた。

 わたしの夢である。少女漫画や恋愛小説を読んで、あのように素敵な恋ができればいいなと思ったことが、何度もあった。けれども、”あの男”のあまりの汚らわしさ、そして今日の出来事がきっかけで、男子のイメージが崩れてしまった。これによって、男子との恋愛に希望が持てなくなってしまった。なお、彼が恋愛対象になるかどうかは、わからない。

 ……考えてみたら、結構色々なものが失われている。ちくしょう……


 部活辞めたから、今日はちょっと暇だったな……そうだ!

 わたしの頭の中に、ある考えがひらめいた。彼に頼ってみよう。

 彼に頼ったところで、全てを取り返すのは、無理かもしれない。けれども、少しずつでいいから、取り返すことができるものは、取り返していこう。

 わたしはスマホを片手に、彼と連絡を取り始めた。あの時、弾き飛ばされたスマホだけど、ケースを付けていたおかげで無事である。

 わたしたちの学校では、連絡網に某SNSを利用している。このSNSは第三者に内容を公開されること無く、限られた相手とメッセージのやり取りができる便利なものだ。しかも、簡単で手っ取り早い。だから、このSNSを使って――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る