第3話 お見舞い

 葵は今日も来ていない。先生に聞いても詳しいことを教えてもらえないし、先生もよくわかっていないみたい。ただ単に体調不良とだけしか言わないのだ。

 ――胸騒ぎがする。

 今日の部活は副部長のさくらに任せて、葵の家にお見舞いに行こう!


「桜、悪いけどあたし、今日、部活を休む」

「え? 何で?」

「葵の家にお見舞いに行くからよ。なぜ、休んでいるのかわからないし、心配になってきた」

「わかったわ。アナタがいない間に、部活乗っ取ってしまおうかしら。なーんて、冗談よ。いってらっしゃい」


 ――というわけで、あたしは今、葵の家に向かっている。葵の家は高校を挟んで、あたしの家とは反対の方。だから、一緒に帰ることができないのが悔しい。葵の家からあたしの家まで、徒歩だと五十分はかかる。帰りはバスかな。

 葵との出会いは高校一年の時。席が近かったので話かけてみたら、すぐに打ち解けた。部活も同じのに入った。



 高校を出てから約十分。小学校の前に差し掛かった。校門の学校銘板には「緑野国小学校」と書いてある。

 歩道に立て看板が置いてある。立て看板には、筆と墨汁で書いたような極太の書体で「ちかんに注意」と書いてある。この辺、住宅街だし、人通りが少ないから、こういう事件が起きやすいのかしら。

 そういえば、あたしの高校の生徒が痴漢に遭ったのは、この辺だっけ。もう犯人は捕まったけど。

 それにしても、嫌ねえ。ここの教師が犯人だったなんて。世も末ね。



 さらに歩くこと約十分。あたしは葵の家に到着した。

 葵の家の前でインターホンのボタンを押す。

「はい、どちらさまでしょうか」

 葵のお母さんの声が、インターホンのスピーカーから聞こえてきた。

「葵の友達の箱根です」

「あら、小百合ちゃん? ちょっと待っててね」

 少しだけ待つと、葵のお母さんが玄関の扉から出て来て、迎えに来てくれた。葵の母親だけあって、顔立ちが似ている。

「こんにちは。おばさん」

「今日は、どうしたの?」

「葵のお見舞いに来ました」

「まあ、葵のために。わざわざありがとう」

 葵のお母さんが微笑みを浮かべながら、感謝の言葉を述べた。けれども、その微笑みは、どこか元気が無さそうだった。

「それでは、おじゃましま~す」

 あたしは玄関で靴を脱ぎ、葵のお母さんと共に、二階にある葵の部屋に向かっていった。

 葵のお母さんが部屋の扉をノックする。

「葵、小百合ちゃんが見舞いに来てくれたわよ」



 葵の部屋に入る。床の上には可愛らしいぬいぐるみがいくつも置かれており、机の上には色とりどりの花が飾られている。そして、本棚には少女漫画や恋愛小説、ファッション雑誌等がいくつも並んでいる。典型的な女の子の部屋だ。

「小百合!? 部活はどうしたの? あなた、部長でしょ?」

 パジャマ姿の葵がベッドから起き上がり、こちらに向き直る。元気無さそうだ。顔色も優れない。

「桜に任せてきた。それより、体の調子はどう? 先生に聞いても、何であなたが休んでいるのか、わからないのが気になるんだけど。どこが悪いの?」

「……」

 葵は黙った。何か思い悩んでいるようだ。

 葵が口を開いたのは、しばらくしてからだった。

「小百合には本当のことを話そうかな……」

「本当のこと?」

 一体、どういうことだろうか?

「わたし、体の調子が悪いというか、何というか、その……精神的にまいってしまっていて、それで……」

「精神的にまいる?」

 あたしは驚いた。葵の身に何が起こったのだろう。

「わたし……こないだ、痴漢に襲われたんだ……」

「痴漢に襲われた!?」

 あたしはホームルームのことを思い出した。帰宅途中の女子生徒が痴漢に遭ったという話。このことは新聞にも載っていたし、インターネット上でもニュースとなっている。

 とはいえ、扱いは決して大きくない。ちなみに内容は、帰宅途中の女子高生が男に背後から抱き着かれて胸を触られた、というもので、犯人は現行犯逮捕。よくある話だ。その被害者が葵?

 確かに夜道でこのようなことをされたら、ショックを受けて寝込むのも無理はない。

 あたしはホームルームでのことやニュース記事のことについて話した。

「確かに、それ、わたし……。だけどね、胸を触られるとか、そんな生ぬるいものじゃなかったよ……」

 葵が泣きそうな顔になった。どんなことされたのだろう。

 やがて葵が、その時のことについて語りだした。


 あたしは絶句した。葵が受けた仕打ちの酷さと破廉恥さに。

 服の上からやられただけではない。ブラジャーの中にまで手を入れられて、色々といじられたという。

 レイプされたわけではない。性器や肛門をいじられたわけでもない。わいせつ行為が原因で怪我をしたわけでもない。

 けれども、これは凌辱りょうじょくと言ってもいいのではないか? 尊厳を傷つけられたのだから、間違いはあるまい。

「痴漢って、漫画やドラマでは、小悪党扱いされているけど、わたしが遭った痴漢は、無茶苦茶怖かったよ……まるで吸血鬼! エスカレートする度に血の気がなくなっていく。抵抗しても全然ダメ! スマホを弾き飛ばされた時の絶望感は、ハンパじゃなかったよ……」

 語り終えた葵は今、嗚咽おえつを上げている。

 あたしの(親友である)葵に、可愛い葵に、何ということを!!

 あたしの体の底から、怒りの炎が込み上げてくる。この炎で、あの痴漢野郎を焼き殺してやりたい!!

 あたしは、ふと思った。

 ――もし、その時にあたしが一緒にいれば、葵が襲われることは無かったのではないか?

 仮に襲ってきたとしても、どちらかが通報すればいいし、通報なんてしなくても、二人がかりで撃退するということもできたかもしれない。

 葵の家は高校を挟んで、あたしの家とは反対の方にある――このことについて、この時ほど呪ったことは無い。

「小百合……」

 葵が、あたしに弱々しく語りかける。

「悪いけど、わたし……部活を辞めようかと思っているの……」

 理由は察しが付く。寂しいけれど、こればかりは仕方がない。

「夜道が怖くて、怖くて……とても歩けたものじゃないんだ……」

 葵は申し訳なさそうな表情であたしに伝えた。

「わかったわ。顧問の先生にも伝えておくね」

「ごめんね、小百合……」

「いいのよ、葵」

 あたしは葵をそっと抱きしめた。あなたの気が済むまで、いくらでも泣いていいのよ……



 葵の家から歩いて数分の所に最寄りのバス停があるので、そこからバスに乗った。帰宅するために。

 バスの中は、そんなに混雑していない。あたしは出口から向かい側の席に腰掛けている。

 あたしは窓から外の景色を眺めながら考え事をしている。

 葵が部活を辞める……これまで一緒に楽しくやってきたのに。

 いや、それ以前に葵は再び登校できるようになるのだろうか。

 胸をかきむしられるような思いがする。せめて登校だけでもできるようになって欲しい。

 窓から眺める外の景色は、色彩を欠いたように寂しく感じられた。

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