幕間の物語 ~それぞれの派閥編~ CATASTROPHE

第13話 夕暮れの【学】び舎で

 桜の絨毯もすっかり薄くなり始めた頃。


 空が淡い色のまま、それに色調を合わせるように、やや薄く静かな町の景色は、物語のイントロを彷彿とさせる。


「おはよう、本多君」


 時計は朝の五時を僅かに回った頃、校門前で二年の鈴木 夏輝先輩が待っていた。


「お、おはようございます、鈴木先輩。遅れてすみません」

「いいえ、私も今来たばかりよ」


 入会試験になぜか合格した僕だが、まだまだスキルが足りなさすぎるということもあり、今日から、鈴木先輩との練習が始まる。


 中学時代には運動部にも文化部にも入っていなかったので、こうした先輩との朝練というのは初めてだし、夜更かしや徹夜をしてゲームをすることはあっても、早起きしてゲームをすることなんてなかった。


「それで、いったいどんな練習を?」

 ゲームが上手くなるための練習とはなんなんだろうか? 僕にはそこがさっぱり見当がついていなかった。


 動きやすい格好とのことだったので、僕は学校指定のジャージに着替えて登校してきたが、鈴木先輩は白と青のナイロン質のウェアだ。靴もいかにもランニング用のシューズだし、スポーツ選手って感じでかっこいい。


 この格好とゲームの練習になんの関係があるんだろうか?


「じゃあ、まずは準備運動をして、ランニングよ」

「……へ?」


 鈴木先輩がさっそくと長い髪を一つにまとめ上げ、僕達の鞄を校門の前に置くと屈伸、前屈、アキレス腱伸ばしと慣れたように準備運動を始めた。


 ――1時間半時間後。


「ぜぇぜぇ……」


 最初の練習は赤藤高校の外周を走るランニング。軽いジョギング程度のものかと思ったが、ペースをリードする鈴木先輩はゲームのプレイ同様早く


「うっぷ……もう……無理です」

 他の部活の生徒が朝練に登校する頃には、僕は校庭にあるベンチに倒れ、吐き気と戦っていた。


「ごめんごめん、誰かと走るの久しぶりだったからペース間違えちゃった」

 脇腹が痛い。ふくらはぎが痛い。目の前がチカチカするし、心臓が爆発しそうな程うるさい。


 一方、僕を三週遅れにするペースで走っていたのに、鈴木先輩は汗を流している程度で済んでいる。


 校庭にいる他の生徒もそれぞれ朝練を開始している。みんなこんなキツいメニューを毎朝やっているなんて――想像以上に運動部というものは僕には厳しいようだ。


「本多君、よかったらこれどうかしら?」

 そう言って、鈴木先輩は鞄からタッパを取り出した。


 それは黄色い果物が入っており、液体に浸されていた。


「うわぁ……これってはちみつレモンってやつですか! 僕ずっと帰宅部だからこういうの憧れてたんですよね!」


 漫画やドラマで女子マネージャーが差し入れしてくれる長く伝統ある部活もの定番の疲労回復アイテムだ。


「い、いただきます!」


 僕は心躍りながらタッパを開けると、柑橘類の独特な臭いが鼻を指す。


「うちのはちょっと特別なのよ? はちみつのかわりに――」


 人差し指と親指で浸されたレモンをつまむと、それを口に運ぶ――瞬間、口の中で何かが爆発!


「ん~~~~~~~~~っ!?」


 あまりの刺激に反射的に涙が溢れ、ただ吐き出しては申し訳ないという強い意志で口元を押さえた。


 辛いとか甘いとかそんなものじゃない。

 今まで感じたことがない、舌が麻痺するほどの痛みだ。


 確かに根暗な僕だけど、いつのまに回復アイテムでダメージを喰らうアンデッド属性になってしまったんだ!?


「あら? ちょっと刺激的過ぎたかしら? ウチでは、はちみつの代わりにお酢につけてあるのよ」


 いやこれ回復アイテムじゃなかった!


「な、なんで、す、酸っぱいものに酸っぱいものを掛け合わせるんですか!」


 これにはどんな意味が!


「そんなの決まっているでしょ? より酸っぱく(おいしく)なるからよ!」


 いやそっち(味)が目的!?


「……おかしいわね、私が門下生の人にこれを持って行くと、『食べるのもったいない!』って言って、持ち帰ってくれるのに」


 いやそれ完全に拒否されてますよね! でも鈴木先輩が美人だから、断れないだけですよね!


「ん? 今、門下生って言いました?」

「うん、私の実家、道場なの」


 それは以外だ。鈴木先輩は細いしあまり格闘家というイメージはない。どちらかと言えば活け花だとか書道、着物が似合う大和撫子って感じがする。


「ちょっと見てて」


 鈴木先輩が僕の前で肩幅程度に足を開く。

 そのまま大きく息を吐き、小さく巣込んだかと思うと――


 柔らかい顔つきと空気が変わる。


「覇ッ!」


 空気が弾けたと錯覚するような音――鈴木先輩のウェアがこすれた音なのだろうが、突き出した拳の圧が僕の汗ばんだ肌にぶつかる。


 続いて流れるような足捌きからの前蹴り、溜めてからの正拳突きと続き、最後はゆったりとした動きで最初の体勢へ戻る。突きのスピードや迫力、その流れもそうだが、何よりも合間に入る気合いに圧倒される。


 それは僕だけではなかったようで、自主連中の生徒達も何事かとこちらを見て手を止めている。

 周りから注目される中、まったくそれに動じない鈴木先輩の顔つきが、元の柔らかいものに戻る。


「どう?」


 それら一部始終に僕は圧倒され、一瞬言葉を失うが


「武道とかは初めて見ましたけど――なんていうか空気は痺れてて――キレがスゴイです!」

 すぐに興奮し、拍手で答えた。


「ありがと。久しぶりだったから声出るか心配だったけど――うん。まだ少しはできるみたい」


 そう言って鈴木先輩は少し寂しそうな顔つきになった。


「……やめちゃったんですか?」


「うん……嫌いになる前にやめることにしたんだ」


 それはどういう意味だっろうかと尋ねる前に、鈴木先輩は笑って僕から例の刺激物を取り上げると、


「さぁ、まだ朝のメニュー半分も終わってないよ。休憩終わり! 始業のベルが鳴る前に階段ダッシュと筋トレを終わらせましょう」


 当然、僕はまた吐いた。


 ◇


「死、死ぬかと思った――」


 朝のホームルーム間近――部室で制服に着替えた僕は、重い体と痛む下半身を引きずってなんとか自分の席につく。


 ぐおぉぉぉぉ、なんだこれ――どんどん体の痛みが増していく。これ大丈夫なのかな? このまま動けなくなって死んじゃうんじゃ……などと考えていると。


 曲がった背中に気合いの張り手が一発。


「おはよっ! 本多君!」


(うぎゃああああああああああああああああ!)


“きゅうしょにあたった、こうかはばつぐんだ″


「ごめん、大丈夫?」

「あ……えっと……おはよう松田さん」


 僕は涙を堪えて耐えきった。

 振り向くと、松田さんが僕を見ている。



 入会試験後――僕は夕方の校門前で部活帰りの松田さんに会った。


「心配したよ。急に学校に来なくなっちゃうんだもん。病気だったの?」


 五日間勝手に学校を休んだ僕。たぶん、僕の事なんて誰も気にしないと思っていた。


 だけど、なんとなく松田さんだけはほんの少し、気にとめてくれているのかなと――


「あの……松田さんに話があって……」


 だからこそ、僕はちゃんとケジメを付けなきゃいけない。


「おやおや? もしかして私に告白でもするのかな? 夕日指す誰もいない教室ってのは、確か恋愛ゲームでは定番のシチュエーションだもんね」


 え? あああああ! しまった! 言われてみればそんなシチュエーションが……って違うぞ! 僕はそんなゲーム少ししかやったことないぞ!


「ち、違うんだ。えっと、その――実はエレクトロニック・スポーツ同好会に入ることができて――それで――」


 必死に誤解を解こうとする僕を、松田さんはくすっと笑った。


「だから……その……」


 僕は松田さんの誘いを、裏切った。


 僕のことを思い、僕の居場所を作ろうとしてくれた優しさを踏みにじった。

 許してくれるとは思わない。嫌われても仕方が無いことだ。


 だけど、辛いときに僕に優しくしてくれた松田さんには、せめて、正直でありたかった。


 夕焼けの西日がより低く傾いたのか、教室の窓から差し込んでいるせいで、今は松田さんの表情が見えづらい。


 僕は頭をさげて、はっきりと言葉にした。


「ごめん。バドミントン部には入れない。本当に、申し訳ないんだけど――」


 頭を少しだけ上げ松田さんの顔を覗うと、松田さんの顔が目の前にあってびっくりする。


「嘘、ついてないよね」


 松田さんの大きな目が、まっすぐと僕を取り込んでいる。


「つ、ついてないよ」


 僕のその瞳に答え見つめ返すと、松田さんは頬を緩めって


「それならよかった! 本多君が一番やりたいことをやるのが一番だよ!」

と僕の手を握った。


「それじゃあ、今度は私の番だね。約束通り、私は本多君を応援するから」


 嫌われると思った。

 見捨てられるとも、冷たくされると覚悟していた。


「……ありがとう、松田さん」


 だけど、それは……松田さんへの侮辱だった。


「うん? まだ何もしてないからお礼を言うのは早いよ?」

「そうだね……でも、ありがとう。それに――ごめん」


 だからもう一度お礼をして、そして心から謝った。



「すごい朝早くから走り込んでたよね? もしかして朝練? 頑張るねぇ、私も負けてられないね!」


 それ以降、僕と松田さんはちゃんとした友人になった。

 一緒に食堂でお昼を食べては、授業や部活のことなんかの笑い話にする。



 この高校で、初めて友達ができた。

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