第12話 【変】わりたいと言う願いは――

 遠いどこかで声がする。


 暗いまどろみの中、温かいなにかに包まれた感覚がやけに心地よい。


 だけど、ずっと上の方。沈んでいくたびに闇に解けていく体にわずかな光が届く。

 光ではない。人の声だ。


「ふざけんなっ! こいつは俺たちに勝ったわけじゃねぇ! お前が不意を突かれてやられただけだろうがっ!」


「……落ち着いて、川崎君。この子――彼の成長は普通じゃなかった。試験を受けた人の中では、間違いなく可能性がある一人だと思うわ」


 聞き覚えのある――あぁ、川崎先輩と鈴木先輩だ。


「こいつが『アンドロマリウス』より強くなる保障はねぇだろうが!」

「いいや、AIに頼るよりは十分に可能性があるよ。AIでは『奴』には勝てない」


 川崎先輩の声がかなり荒立っている。逆に、山葉先輩のあの人懐っこいとぼけた声が、聞いたこともないくらいに穏やかで、落ち着いている。


 三人は、いったい何を言い争っていうんだろうか。



(ダメだ……瞼が重い)



 そういえば、今日のためにずっと不眠不休でゲームやってたんだっけ。徹夜でゲームをやり続けるなんて、いつぶりだろう。


 このまま――深く眠りにつけたら、どれだけ幸せだろうか。


「彼の努力は認めるべきだ。これは、彼のゲームプレイ時間だ。総プレイ時間150時間――最低限の睡眠と食事以外はすべてログインして彼はこのゲームをプレイしていた」

「つけっぱなしなだけの可能性も――」


 何か忘れているような……そういえば、どうして僕はこんなところに……


「対戦履歴を見ればわかる。今のセイグリッド・ウォーは一週間分すべてのリプレイがサーバーに保存されている。本多君の総対戦数はすでに700戦以上だ。それに、ゲーム終了後に気絶する程の疲労度からして、流しでやっていたわけではなく、そのすべてを真剣にやっていた――じゃないとあの成長速度は説明できない」


「素人に毛が生えた程度だろ。あれじゃあ上には通じねぇ」


 闇に解けていた手が確かに熱くなる。

 薄れかけていた脳に劇薬が打たれたかのような衝撃に、吹き飛ばされる。


 ――そうだ。僕は戦場にいた。僕は戦って――そして、キルされたんだ。

 あれだけ頑張って、それでも、この先輩達には勝てなかったんだ。


 僕は結局、何もできなかったのかもしれない。

 何かを掴んだ気がしたけど、結局この手には実態のあるものは、何も残っていない。


「確かに、あれではまだまだ足りない。だけど、可能性はある」

 

 山葉先輩の『可能性』と言う言葉が僕を揺らす。

 ドクンドクンと、生への脈動が高鳴る。空っぽの胸に何かがこみ上げてくる。


 山葉先輩を貫いたあの感覚が、自分を殺した感触が、僕の体に熱い血を流す。


「彼が、彼の才能に気づくことができれば――僕らにはない戦力になる可能性がある」

「俺たちにはない――だと?」


 眠っている場合じゃない。諦められない。

 このまま、負けたままじゃ終われない。


 あの戦いは、すごかった。あのすごい人たちと、戦えていた。

 もっとやりたい。僕は、もっとできる。


 これで終わりたくなんかない!


「認めねぇ……俺は絶対に認め――」

「――それなら、再試験させてください……」


 重い瞼を開け、僕はサーバー室で寝ているんだと自覚した。柔らかい絨毯の床に倒れ、鞄を枕に、おでこには冷たいハンカチが当てられているようだ。


「気が付いたんだね」


 山葉先輩がにっこりと笑い、僕の頬に小さく冷たい手で触れている。

 どうやら、山葉先輩が僕を介抱してくれたようだ。


「僕は……何度だって挑みますよ。断られても……拒まれても……何度だってやります」


 抜けた体に力を込めて、僕は起き上がって三人の先輩を見つめる。


「変わりたいんです。僕は――変わりたい」

 そして、その固めた拳を見つめる。

 

 この手は空っぽだ。でも、戦う前になかったものが確かにある。


「諦めるのはもう嫌なんです。これ以上……自分を嫌いになりたくないんです」


 認められたい。他の誰よりも、自分のことを認められる人間になりたい。

 その一念で僕は戦った。


 不意に目の前が曇り、自分がまた泣いているのを知る。


 悔しい。あの日、先輩たちにボコボコにされて、家で泣いた時よりも――もっと、もっとくやしい。


「…………泣いて強くなれんなら――」

「私は、認めてもいいわ」


 川崎先輩の言葉を、鈴木先輩が止めた。


「鈴木――テメェ」

 川崎先輩睨むが、その視線を鈴木先輩は気にも止めない。


 大粒の涙を親指でぐいっと僕の顔に塗り込むように拭い、鈴木先輩は優しく笑った。


「これで二対一だ。忘れてないよね。大切なことは多数決で決めること――それが僕たちのルールだ」


 その山葉先輩の言葉に、川崎先輩は反論を飲み込み、顔を逸らした。


「……わかった。だが、俺は認めねぇ――こいつが逃げ出す可能性もある。『アンドロマリウス』は俺一人でも完成させる」


 そう言って、再び自分の椅子に座り、僕を無視して作業に戻ってしまった。


「……わかった。それでいいわ」


 鈴木先輩はやれやれと首を振り、ゆっくりと僕の前にしゃがむと、僕のおでこから膝元に落ちたハンカチを拾い上げて、僕の手に触れる。


「あなたの面倒は私が見る。それでいいでしょう?」


「あぁ、頼むよ。鈴木さんが誰よりも適任だ」


 触れた手でしっかりと握手すると、ギュッと何かを送り込むかのように力を込めた。



「よろしくね、本多君」



 何が何だかよくわからず、二人の先輩の顔を交互に眺める。

 僕の混乱に山葉先輩はクスリとまた笑って、


「君の同好会入会を認める。ぜひ、僕たちにその力を貸してくれ」



 その言葉の意味を――僕はただただ、理解できなかった。

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