第3話 【炎】天下の絶叫のが、僕にはまだ聞こえる
ずっと前の、蝉喚く夏の炎天下。
それは、幼い僕が、自分は『
手に残り続ける擦り傷と青アザの痛み。
そして何よりも、口いっぱいに広がる鉄の味と、泣きじゃくる女の子の声は、今も忘れらることはない。
景色が夏の陽炎で歪む。容赦の無い日の光と絶叫する蝉の声。
それに反比例して、熱を失っていく体と一緒に――この心も冷めていった。
僕の人生はテレビやゲームの主人公のようにはいかない。
だって、主人公はいじめっ子なんかには負けない。
泣いてる女の子を助けられないなんてことはない。
だから、この結果は『僕という存在』を証明していた。
あの時から、僕はずっと待っていた。
どうしようもない、こんな僕を変えてくれる日を。
この熱を失った心に、また再び火が灯ることを。
他の誰でもない、自分だけの居場所を。
ただただ、ずっと絶叫の中で――待ち続けていた。
◇
「エレクトリック・スポーツ……か」
これは通称eスポーツと呼ばれるゲームを競技として捉えた際の正式名称。そのプロの一部は、海外ではメジャーリーガーと同じくらい英雄視されている超人気者だ。
テニスやダーツのように
そして、ゲームプロの最大の特徴でもあるのは、年齢制限がなく、幅広い年代の選手がいることだろう。
今の時代、小学生や、現役を引退したスポーツ選手がプロゲーマーになることも珍しくはない。
もちろん、小学校・中学校では得られる賞金もやや少ないが、高校にもなれば大人やプロが参加する大会団体にも普通に参加できるし、その賞金も破格だ。
たしか二年前くらいには、公立高校のeスポーツ部がカードゲーム世界大会で優勝し、賞金1000万円をチームで分け合ったとニュースがあったし、そのチームの中心選手は、たまにコメンテイターとして動画サイトの生放送で見かけることがある。
このeスポーツ同好会ならサッカーや野球、吹奏楽よりも協力できることは多そうだし、試合を見ているだけ、応援しているだけでもかなり楽しめそうだ。
ただ、あの先輩は求めているのは少数精鋭(レンジャー部隊)なんて言っていたから、僕なんかの実力で役に立てるかどうかはわからない。
教室についてからは、ずっと先輩に貰ったチラシを見つめていた僕は、何かを感じてふと周りのクラスメイトを見る。
入学初日は皆、クラスの誰がどんな人かもわからずに、サバイバルPVPゲームのスタートのように他者同士牽制し合っているようではあったが、今はいくつかのグループを作り、朝礼前に先日のテレビや漫画の話に花を咲かせている。
その様子を見れば、大体は部活で括られているようで、朝練を終えた野球部やサッカー部のコミュニティが目立つ。
赤藤高校は進学校だから部活動は強制ではない。
けれど、大体の人は何かしらの部活には入部する。それは勉強のストレス発散だったり、科学部や数学研究部なんかは授業の延長だったりする。
入学から二週間目ともなると、クラスのヒエエラルキーはだいたいは決定しており、僕はもちろんその下の方。
逆にこのクラスの頂点と言えば、やっぱり――
「やばい――目があっちゃった……」
その頂点に君臨する人と目が合って慌てて視線を外した。
この学校には中学の時の知り合いは、彼一人しかいない。
ただ、その一人が僕にとってはとても苦手な人だ。
「朝からぼーっとして、何やってんだ?」
すっかり声変わりも終わり、貫禄ある低い声の男子。
僕はできる限りにこやかに、相手に不快感を与えないように、慎重に言葉を選びながら挨拶をする。
「た、大成君……お、おはよう……」
大成 征宗。小学校時代からサッカーをしており、中学ではキャプテン、聞いた話では県の代表メンバーに選ばれるくらいの実力者だ。
ただ、大成君はスポーツだけではなく頭も良い。
全国模試でも常に上位の成績でもあり、お父さんは有名な書道の先生だからなのか、書く字も綺麗で中学卒業アルバムでは表紙を達筆な力強い文字で代筆していた。
どこのコミュニティでも発言力があり、リーダーシップもあり、頼れる兄貴肌な彼だが……
「相変わらず、男のくせにビクビクして気持ち悪りぃな……お前」
僕に対しては常に冷たく、高圧的だ。
「ご、ごめん……」
こうなったきっかけはわからない。
小学生の時から同じ学校に通っているが、物心というか、気がついた時にはこんな関係だった。
「つーか、今なにを俺に隠した? 見せてみろよ」
ギクリ――目が合ったと同時に机の中に押し込んだ勧誘チラシがバレてたなんて……さすが大成君だ。
僕が一番されたくないことに、誰よりも先に気付く。
「いや、そんなに面白いものじゃないよ。今朝通りがかった先輩にもらって――」
「見せろ」
「……はい」
僕は抵抗虚しく若干汗ばんだ手で、彼に貰った勧誘チラシを渡す。鼠が猫に今日の晩ご飯のチーズの欠片を手渡す気分だ。
「なんだこりゃ? eスポーツ同好会?」
大成君が僕の傷口でも見つけたかのようににやりと笑う。僕はなんとか見つかった傷口を広げられないようなるべく温厚に、なるべく丁寧に説明する。
「うん。知らない? ゲームの大会とかに出る部活で……」
「オタクのパソコン部と何がちげぇの?」
「いや、パソコン部の中にも、ゲームの大会に出場する人はいるだろうけど、うちのパソコン部はゲームやマルチメディアコンテンツのアプリを作ったりするソフト関連と、パソコンを一から組み立てたりするハード関連だけみたいで……」
なんとか理解して貰おうと口を回すが、
「早口で何言ってるかわかんね。頼むから日本語で話してくれよ、宇宙人」
一刀両断した上に、傷口に塩を塗りつけられる。
痛い――主に心が!
そうなんだよな……僕って必死になるとすぐに早口になるんだよなぁ。
「ご、ごめんなさい……」
こうなった、僕はもう何も出来ない。
猫にはチーズの欠片も奪われて、後は自身が晩ご飯になるのを待つばかり。
「それに、何がeスポーツだよ。椅子に座ってパソコンの前でマウスとキーボード握ってゲームすることの何がスポーツなわけ?」
いや、ゲームも以外に体力がいるものもあるんだよ。大会ともなると連戦の場合があるし――いえ、別に口答えとかじゃありません。そうですよね、45分×2を走りっぱなしのサッカーと比べたら……その通りでございます。
「…………」
僕は抵抗はやめてただひたすら耐久に徹する。
あと数分でチャイムが鳴ってホームルームが始まる。そこまで耐えればいいだけだ。
「まぁ、お前にはお似合いなんじゃねーの? いつも学校終わったら、部活も勉強もやらずにゲームばっかりやってんだろ?」
はい、その通りでございます。
「中学ん時もそうだったもんなぁ? お前から借りたゲーム全然面白くなかったし」
アレは無理矢理、大成君が僕から奪って――いえ、喜んでお貸ししました。そして二度と返ってくることはなかったんですけどね。
「そんな奴がなんでこんなとこにいんの? 中卒でバイトでもしながらずっと家でゲームやってりゃよかったのに」
そうだ。なんで僕なんて人間がここにいるんでしょうか。勉強もできないはずなのに、この進学校に何の奇跡か入学できて、更に大成君のクラスメイトになるなんて。
「うぜぇから、明日からホームルーム始まる直前に教室入って来い。休み時間も便所にでも引きこもって、俺の視界になるべく入らないよう努力しろ」
何の抵抗もせず俯く僕を虐めるのに飽きたのか、彼はそう吐き捨ててチラシをこれ見よがしにクシャクシャに丸めて教室の床に捨てると、自分のグループに戻っていった。
「…………」
そんな僕を他のグループのクラスメイトも笑っている。
このの丸められたチラシを拾えば、僕は完全にヒエラルキー最下層決定だな。
別にいいか。僕ってどこででもそんな存在だし。
「あんな言い方しなくてもいいのにね」
ひょいっと僕の目の前に会ったチラシが誰かの手によって拾い上げられる。
「え?」
そしてその子は、それを細くて綺麗な指で広げて、僕の机の前に置いてくれた。
「おはよう、本多君」
僕のようにくるんとした前髪だけど、彼女のは僕のように無造作、不作法じゃない風に靡くような自然さのウェーブ。長く揺れるやや茶色に染まった猫のような髪に、少し大人びた顔つきのクラスメイト。
名前はたしか、松田 暦さんだ。
「……あ、お、おはよう。ま、松田さん」
「おっ! 偉いね。ちゃんとこの間の私の自己紹介聞いてくれてたんだね」
僕はクシャクシャの皺だらけになったチラシを見る。
たった数分ですっかり変わり果ててしまったものだけど――破れないように、丁寧に伸ばしてくれたのがよくわかる。
「私は別に変じゃないと思うよ。私のお兄ちゃんもゲーム好きで、よく隣で一緒にやるし!」
僕と違って自然な笑顔でそう言うと、前の椅子に座って身を乗り出すように話かけてくれる。
「え? 松田さんもゲームするの?」
「ううん。私は下手っぴだからお兄ちゃんのを見てるだけ。でも、映像は綺麗でホントに実写映画にしか見えないよね」
そうか。確か松田さんの趣味も僕と同じ映画鑑賞だったっけ。
「そうなんだよ。最近のゲームは実際に動きを俳優が演じるものもあって、ハリウッドの有名俳優がその姿のままキャラクターになることもあってね――今度発売するゲームはあのキエル・リーブが主役でこの間の世界的ゲームの祭典でサプライズゲストで現れて凄い盛り上がったんだ。しかも、それに共演して出るヒロインは、彼の出世作とも言われる映画の時のヒロインと同じで――」
とここまで話してようやく僕は自分が空回りを始めていることに気がついた。
(またやっちゃった……さっき早口になってると注意されたばかりなのに……)
なんて考えていると、僕の予想とは逆に――引くのではなく、前のめりになって松田さんは
「その映画知ってる! キエルって日本食好きでよく四国のうどんを食べに行ってSNSで話題になってるよね! 私のお兄ちゃんは格闘ゲームが好きで私もよく見るんだけど、動きは実際の格闘家の動きを参考にしてるって聞いたよ」
と笑い返してくれた。
僕の話を、嫌がることも、聞き流すこともなく、ちゃんと聞いてくれている。
「私、お兄ちゃんがよくオンライン大会に出るときは応援してるから得意なんだ。本多君がやるんなら、私が応援してあげるね!」
今、このクラスで僕と話すなんてリスクでしかない。
一歩間違えれば同類と見なされてヒエラルキー最下層に落ちちゃうかもしれない。
いや、松田さんは綺麗だし、気さくだし優しいから、きっとそんなことにはならないか。
だから、僕にきっと優しいんだ。
「……ありがとう、松田さん」
松田さんが、不思議そうに小さく首を傾げた。
僕にはできないことが出来る人に敬意を示しつつ、そんな僕を応援してくれると言った彼女に――例え、それが上辺だけの、本心ではなくても。
その言葉に、勇気づけられたのは間違いなかった。
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