第28話 キュアリスの魔法講義

 ディールがフェルダと〝術試し〟をした日の夜のこと。彼らはウォールロック邸の食堂で食事をとっていた。

 大きなテーブルにはディールとウォールロック。その向かいにはキュアリスとメリッサが座っている。各自の目の前にあるのは肉と野菜を煮込んだ料理。それとパンだ。ウォールロックの前にはワインもあった。


「それはまた、初日から大層な経験をしたの」


 ウォールロックが笑いながら言う。ディールは照れた表情を浮かべている。


「でもそれで、一つだけ気になったことがあって……」


 メリッサが言った。ディールの活躍をウォールロックに話していたのは、主に彼女だった。

 メリッサはディールが魔法を使ったこと。ディールが何かしたことにへゼルが気づいていたこと。そしてもし、魔法という存在をへゼルが知った時にどういう反応をするのか心配に思ったことを伝えた。


「魔法の存在を学院や王家に知られた場合か……うむ。それについてはまったく気にしておらなんだの」


 弟子メリッサの話に、師匠ウォールロックは髭を触りがなら答える。

 へゼルは只の学生ではない。傍系とはいえ王族であり、魔術学院との繋がりも強い。彼の胸三寸でディール、ひいてはキュアリスの扱いが変わる可能性もあるのだ。

 キュアリスは見た目も行動も人間と変わらないがその本体は魔導書。メリッサたちの常識の枠を越えた存在だ。普段ならそんなことは気にもしていないメリッサだったが、他の者が皆、彼女やウォールロックのようにキュアリスを受け入れるとは限らないのだ。


「何か問題があるのか、メリッサ?」


 そんなメリッサの思いなど知る由もなく、キュアリスが暢気のんきに訊く。


「問題があるかどうかすらも分からない……って言うのが正直なところね」


 メリッサの心配は、あくまで彼女の思いこみに過ぎない。案外、へゼルも学院もあっさりと受け入れてくれるかもしれない。だが……。


「魔術と魔法はあまりにも違い過ぎるわ。わたしは魔術が魔法に劣るとは思っていないけど、それでも魔術にはできないことが魔法で出来てしまう。それをどう捉えるか……分からないの」

「そうじゃの」ウォールロックが言葉を継ぐ。「儂は魔法というものは非常に面白いとおもうた。魔力を別のものに変え、現象を起こす。それも魔術のように呪文も必要なく、魔力が尽きて消えるということもない。

 魔法と魔術は違うものじゃとはいえ、似たことができる以上脅威に感じる者もおるかもしれんの。特に呪文を必要とせんことをな。これは魔術では決してできぬことじゃ」

「え? でもノーフェイスは無詠唱で魔術を使えたって……」


 ディールは英雄譚サーガに出てくる大魔術師の名前を言う。それを聞いてメリッサはあきれ顔になった。


「ノーフェイスは実在した英雄だけど、英雄譚は英雄たちを称える為に誇張されているものよ。全くの嘘ではないけど、全部が本当でもない。素直に信じてるなんてディールは子供ね」メリッサは何故か得意そうに言う。

「ほほほ。そう言えば昔、似たようなことを儂にうた者がおったの」


 どこか愉快そうにウォールロックが口を開いた。


「と、とにかく、魔術師の間ではノーフェイスは密唱をしていたって言われてるわ。だから仮面越しに声が聞こえなかっただけだって」


 メリッサはディールに顔を固定したまま、慌てたように言葉を紡ぐ。そして彼が自分から顔を逸らさないように視線で圧力をかけた。それはまるでディールの関心がウォールロックの言動に向かないようにしているみたいだった。

 メリッサの目論見は上手くいったらしく、ディールは首を掴まれた子猫のように動けない。


「密唱……ですか」


 かろうじてディールはその言葉を口にする。

 密唱とは小さな声で呪文を唱えることを言う。魔術の呪文は声に魔力を乗せて唱えることで初めてその効果を発揮する。特殊な発声を必要とするのだ。その為、呪文を唱える声の大きさが魔術師によって違うということは、基本的にはない。


 だが呪文の詠唱に熟練した一部の魔術師は声を抑えた密唱を行うことができた。そして密唱には、唱えている呪文を相手に知られずに済むという利点があった。呪文を知られないということはどのような現象を起こそうとしているのか、顕現するまで分からないということだ。


 魔術は破呪レジストという形で相手の呪文を上書きすることができる。しかし破呪レジストはただ呪文をぶつければいいというものではない。上書きするには起こった現象を打ち消すのに適した現象を起こさないといけない。

 それでも相手の唱える呪文の内容が分かればすぐに対応する呪文を用意することができる。だが、相手の唱えた呪文の内容が分からない場合、現象が起こってから対応しないといけない。

 それでは破呪レジストが間に合わないことも多々あるのだ。


「呪文が聞き取れないのは脅威じゃからの。密唱を使う魔術師同士の争いでは呪文の読み合いになる。もっとも魔法を魔術で破呪レジストできるとは思えんが」


 ウォールロックが言う。老魔術師はキュアリスから魔法を学んでおり、魔法がどういった原理で現象を起こすのかを知っている。魔力ではなく元素によって現象を起こす魔法。

 現象の誘因が魔力でない以上、呪文による書き換えはできない。


「そう。破呪レジストよ。あなたあの時に何をしたの? フェルダの作った岩壁が消えたのはディールの魔法なのよね?」メリッサが勢い込んで言う。「お師匠様が言うように、もし魔術に魔法は破呪レジストできないのなら、一方的に無効化できるってことじゃない」

「えっと……あれは無効化したわけでも破呪レジストしたわけでもないです。呪文を構成する魔力に干渉して、変化を促しただけ……です」


 そう言ってディールはキュアリスを見た。結果的に上手くいったとはいえ、あのやり方が正解だったかは自信がない。キュアリスであればもっといい方法を実行していたかもしれない。


「あの時のお主の判断は間違まちごうてはおらぬ。相手の魔力にしか干渉することはできぬのじゃからな」


 視線の意味に気づいてキュアリスが言う。師匠の言葉にディールは安堵の表情を浮かべた。


「でも魔力に干渉して現象を上書きしたのなら、それは破呪レジストだわ」

「あれは現象の上書きをしたわけでは……」


 メリッサは納得がいかないようだった。ディールは説明に困ったように言葉を止め、キュアリスに助けを求めた。


「まず〝レジスト〟の認識の違いを教えるべきじゃな」


 ディールに向かってキュアリスが言う。そしてメリッサに視線を移した。


「魔術で言うところの〝レジスト〟が現象の上書きというのなら、魔法にそのようなものは存在せぬ。魔法で言うところの〝レジスト〟とは、己に直接干渉してくる魔法に〝抵抗ていこう〟してみせることじゃ」

「直接干渉してくる魔法に……ていこう?」メリッサが鸚鵡返しに訊く。

「例えば相手の精神に干渉して不安にさせたり、その逆に相手を落ち着かせたり。或いは相手を眠らせたり……そういう魔法のことじゃ」

「え? 魔法ってそんなことまで出来るの!?」

「できるぞ。但し抵抗レジストされて効かない可能性もあるがの」


 驚くメリッサに向けてキュアリスは言う。メリッサは思わずウォールロックを見る。ウォールロックは特に驚いた様子を見せなかった。キュアリスの言葉を聞いて、何やら考え始めたようだ。


「魔法はこの世界を構成する元素を使い現象を起こす」キュアリスは言葉を続ける。「この世界の現象はどうやって起こっているかを確かめるために魔法を使つこうておるわけじゃな。魔導師が世界の真理に多辿り着く為の検証方法が魔法じゃ。

 だから魔法が一番得意なのは、無から現象を起こすことになる」


 キュアリスの横に開かれた本が浮かび上がった。彼女は右手のひらを上に向けた。刹那、その手の上に水の玉が浮かんだ。


「そして魔法は現在いま起こっている現象に干渉して変化を促すことができる」


 キュアリスの手の上に浮かんだ水の玉が氷の玉へと変化した。メリッサとウォールロックがそれを見て驚く。氷の玉は浮遊したままテーブルの上を進み、空になった皿の上にコトンと落ちた。


「ディールはあのフェルダとかいう者の呪文に対し、岩壁を構成している魔力に干渉して、変化を促したわけじゃ」

「起こっている現象に変化を促すのなら、岩壁を直接変化させるんじゃないの?」

「良い質問じゃ。メリッサ」


 キュアリスは教師が教え子に見せるような表情を浮かべて言う。


「魔法で干渉することができるのは元素が影響しあうことで存在する現象ものだけじゃ。あの場合、魔法で干渉できるのは元素で構成された魔力に対してのみ。岩壁は魔力によって一時的にできたもので、その本質はあくまで魔力じゃからな」

「結局、やってることは破呪レジストと同じじゃないの?」


 やはりメリッサは納得していないようだった。


「キュアリス殿がうておるのは、魔法でできるのは変化させることで、破呪レジストのように現象を違うものに書き換えてしまうことではない……ということじゃな」


 考え込んで喋らなかったウォールロックが口を開いた。キュアリスは老魔術師を見てにまりと笑う。


「さすがは大魔術師アーチメイジ殿。理解が早いの。魔法でできるのはあくまで変化を促すこと。現象を全く違うものに変えることはできぬ。正確には、元素で構成されたものならできぬことはないが非常に難しい。特に存在の確定しておるモノに魔法で大きな変化をさせようとするのはな。それに――」


 キュアリスはメリッサ、ウォールロックの順に視線を動かす。その顔には真剣な表情を浮かべていた。


「魔術で起こした現象をどうこうすることは、魔法では出来ぬ。せいぜい防ぐくらいじゃ。魔力に干渉できるとうても、それよりも先に相手に魔術が届けばよい。案外、魔法と魔術で〝術試し〟をしたらいい勝負になるじゃろうな。

 大魔術師アーチメイジ殿も、そう思うておるのじゃろ?」


 ウォールロックは一瞬、驚いた表情を浮かべる。そしてすぐに、悪戯が見つかった子供のようにばつが悪い顔になった。


「さすがキュアリス殿。お見通しじゃな」ウォールロックは苦笑する。「しかし魔法が強力であることには変わりないの。学院では魔法の存在は伏せ、しばらく様子をみた方がいいじゃろう」


 ウォールロックの言葉に、ディールたちは頷いてみせた。

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