第27話 認める者

「うわっ!」


 レオティエに抱きつかれたディールが、その勢いに耐えきれず尻餅をついた。


「あっ。ご、ごめんディール」


 倒れたディールの上にレオティエが乗っている。彼女は慌てて立ち上がった。そしてディールに手を差し出して来る。細く柔らかそうな少女の手。

 ディールはその手を取ろうとして、しかし途中で戻してしまった。そんな彼をレオティエは不思議そうに見る。思わず目を反らしてしまうディール。女の子に抱きつかれ支えき切れずに倒れたばかりか、引き上げてもらおうとしている。それが恥ずかしいのだ。

 だがレオティエの方は、手を引っ込める気はないようだった。

 諦めて、おずおずといった様子でディールは再び手を伸ばした。刹那、ディールの手は想像とは違う固い手によって握られた。そしてそのまま思いっきり体を引き上げられる。


「!?」


 驚いたディールが手の主を見る。目の前にはビダジールが立っていた。レオティエの横から手を出したのだ。


「よくやった……ディール」


 そう言ったビダジールの顔は少し不機嫌そうだった。レオティエはビダジールを驚いた表情で見ている。


「あ、ありがとうございます。ビダジールさん」

「ビダジール……アンタ、ディールのこと認めたんだね。成長したね。よしよし」


 レオティエは嬉しそうに言う。ビダジールはますます不機嫌な表情になった。ディールの方は彼女の言葉の意味が分からず、きょとんとした顔をしている。


「ディールのこと初めて名前で呼んだでしょ?」


 言われてビダジールから名前を呼ばれたのが初めてだったことに、ディールは気づいた。だが、なぜそれが認めたことになるのかは分からない。


「〝捨てたる者〟ではなくディールっていう名前のアナタとしてビダジールは認めたの。これで今日から二人とも友達ね!」

「おい、別にそ――」

「今度からコイツのことはビダジール。アタシのことはレオティエって呼ぶのよ。分かった、ディール?」


 ビダジールはレオティエに抗議の声を上げようとする。だが彼女にそれを無視され、最後まで言えずに終わってしまう。レオティエの方は催促するようにディールを見ていた。

 無言の圧力に負け、ディールが口を開く。


「あ。えっと……はい。れ、レオティエ」

「よろしい」


 レオティエがにっこりと微笑んだ。ディールは思わずそれに見惚れる。だが隣のビダジールが自分を睨んでいることに気づいて居心地の悪さを感じ、視線を反らした。


「ディール、ようやった」

「師匠!」


 助かったとばかりに、ディールはやって来たキュアリスの方を見る。


「どうやったのかは知らないけど、あなたが何かしたのは確かみたいね」


 キュアリスの後ろにはメリッサの姿があった。彼女が言っているのはフェルダが魔術で作った岩壁のことだろう。魔法を使い、魔術に干渉する。呪文を上書きする破呪レジストのようにはいかなかったが、咄嗟の思いつきにしては上手くいったとディールは思う。


「でもそっちの話は後ね。それよりもフェルダに約束を守って貰わないと」


 メリッサが視線でフェルダたちの方を示した。フェルダは呪紋陣の上でうな垂れていた。取り巻たちは声を掛けることもできず、近くでおろおろしている。


「そうだ、札!」


 レオティエがフェルダの方へと走って行く。ビダジールもその後を歩いて追う。


「あの……ビダジールさん」

「なんだ?」ビダジールが振り向いた。

「僕は話でしか知りませんが、祖父は〝桂月けいげつの兎〟だったそうです」

「……そうか」


 それだけ言ってビダジールは背を向けた。素っ気ない反応にディールは萎縮してしまう。そんなディールの様子を知ってか知らずか、背中越しにため息がひとつ聞こえてきた。


「部族を捨てたのがお前ではないのは分かっている。すまなかったな、ディール」

「えっ……い、いえ」

「それと……ビダジールでいい」


 ディールの返事を待つことなく、ビダジールは歩き出した。その背中からは以前のような拒絶するような雰囲気は感じなかった。


「なんじゃ。お主ら仲良くなったのか?」キュアリスが言う。

「えっと……多分」


 ディールの答えは自信なさげだ。レオティエは二人は友達だと言っていたが、そこまでの関係にはなっていないだろう。だが確実に、最初の時のように目の仇にされるようなことはない。そうディールは思う。


「わたしたちも行くわよ」


 メリッサの言葉に三人が歩き出す。

 レオティエに追いついた時、彼女はフェルダに向かって手を差し出している所だった。握手を求めているのではない。手のひらを上にして木札を要求しているのだ。その横ではビダジールが、フェルダの取り巻きに睨みを利かせていた。

 対するフェルダは悔しそうな顔をして差し出された手を見ていた。右手には木札を握り締めている。


「まだ渡してなかったの?」


 メリッサの声を聞いて、フェルダがハッとして顔を上げる。一瞬、従姉メリッサを見てから、諦めたように木札をレオティエに渡そうとする。


「……ちょっと?」


 掴んだレオティエが引き取ろうとするが、木札は動かない。フェルダが離さないのだ。


「くそっ。ちゃんとした〝術試し〟なら負けなかった。初参入者ニオファイトなんかに、この俺が……」

「いいから離してよ。約束でしょ?」


 そう言って無理矢理引き取ろうとするが、フェルダは札を離さなかった。それを見てメリッサがため息をつく。


「フェルダ。さすがに男らしくないわ」

「そうだな。望んで勝負を受けたのであれば、潔く負けを認めるべきだな」


 少し離れた場所から、メリッサに賛同する声が聞こえてきた。大きな声ではない。だが落ち着いた感じのよく通る声。無視できない威厳のようなものが含まれた声。

 その場にいた全員が弾かれたように声のした方を向く。

 金髪碧眼の少年と栗毛の髪を後ろで結い上げた少女が歩いて来るのが見えた。ヘゼル・イスタマイヤとシャリア・クランベルグだ。


「へゼル様」


 メリッサが驚いた声を上げた。彼女だけでなく、ディールとフェルダ。そしてその取り巻きも驚いているようだった。


「見苦しい真似はお父上の勇名に泥を塗ることになるぞ、フェルダ・グートバルデ」

「っ。申し訳ありません」フェルダが札を離す。「……失礼します。へゼル様」


 そしてへゼルに一礼すると、逃げるように修練場を去って行った。取り巻きたちが慌てて後を追う。


「見ていらしたのですか?」


 メリッサの言葉にへゼルが頷いて見せた。その後ろでは相変わらずシャリアがメリッサを睨んでいた。


初参入者ニオファイトに〝術試し〟を持ちかけた実践者プラクティカスがいると報告が来てね。これでも学舎の代表を任されている。揉め事なら止めないとと思って来たのだが……」


 へゼルがディールを見る。理知的な光を浮かべた碧い瞳が、探るようにじっと見つめてくる。静かな迫力に圧されディールが身を竦めた。


「見事だった」

「え?」


 思いがけない言葉をかけられて、一瞬ディールの思考が止まる。だがすぐに声をかけたのが誰かを思い出し慌てて口を開いた。


「あ、ありがとうございます。へゼル様」

「〝術試し〟に人形遣いを使うとは考えたな。君の入れ知恵だね、メリッサ」


 へゼルが柔らかい笑顔を浮かべてメリッサを見る。


「はい。ディール……初参入者ニオファイトでもできるものを、と考えていたら人形遣い用のゴーレムを見つけたので。いつからご覧になっていたのですか?」

「ちょうど〝術試し〟が始まったあたりかな」


 ならばかなり早い段階からこの修練場にいたことになる。へゼルが入って来ればこの場にいた他の学生が気づくはずだ。気づけばそれはざわめきとなる。なのにメリッサは〝術試し〟に集中するあまり、いままで気づかなかった。


「いらっしゃった事に気づかずに……申し訳ありません」

「気にしなくていいよ。邪魔をしては悪いと思ってね、回りにも静かにするように言ってあったんだ」


 へゼルは異色の〝術試し〟を止めることなく見ていた。単純に害はなさそうだと考えたのか、それとも――


「見応えがあったよ。さすがウォールロック様が推薦するだけのことはある」


 その言葉でメリッサは確信する。へゼルはディールを試したのだ。ウォールロックが己の弟子でもないのに推薦したという初参入者ニオファイトの実力を。そして彼は認めたのだ。

 へゼルが再びディールへと視線を移す。


「特に最後のは見事だった。何をしたのか、非常に興味深いね」


 へゼルの視線を受けディールはひたすら恐縮していた。そんな二人を見ているメリッサは、ディールとは違う意味で緊張していた。フェルダの呪文が造り出した岩壁。あれが単純に魔力が尽きたことで消えたわけではないと、へゼルは気づいている。

 魔法の存在は知らずとも、ディールが何かしたのだと気づいているのだ。もしへゼルが魔法の存在を知ったらどう考えるだろうか。メリッサやウォールロックのように好意的に受け取るだろうか。それとも異端と見なすだろうか。

 魔術と魔法はあまりに違いすぎる。良くも悪くも。今更ながらメリッサはそれに思い至った。

 へゼル・イスタマイヤ。彼はイスタマイヤ公爵家の中でも若くして才名を轟かせるている。性格は温厚だが、敵と認めた人間に対しては苛烈と言われていた。


「あの……」


 ディールがおずおずと口を開いた。魔法について語ろうとしているのだろうか。それに気づいたメリッサがディールを止めようと口を開く。今はまだ、へゼルに知られるべきではない。咄嗟にメリッサは考える。


「へゼル様。先生がお待ちです。そろそろ行かないと」


 だがメリッサが何か言う前にシャリアが口を開いた。


「ああそうか。すまない。これから人と会う約束していたのだったな」


 へゼルが振り返りシャリアを見て言った。それからメリッサ、ディールの順に顔を見る。


「一度、ゆっくり話を聞かせてくれ」


 へゼルとシャリアが修練場を去って行く。ディールは緊張が解け、いまにも座り込みそうな、疲れた表情を浮かべている。


「うわさっきの人すっごいイケメンなんか迫力もあったねアタシ思わず息止めて見入っちゃたあのままいたら息できずに気絶してたかも」


 レオティエが止めていた息を吐き出すかのように一気に喋った。


「へゼル・イスタマイヤ様よ。イスタマイヤ公爵家のご子息」

「え? それってこの国の……」


 メリッサの言葉にレオティエが驚く。流浪の民であるレオティエでも知っているくらいイスタマイヤは有名だった。


「王族ね、一応」

「ひぇ……って、え? じゃあ親しそうに話してた、メリッサってもしかしてすっごく偉い人?」

「わたしは別に」レオティエの言葉にメリッサは苦笑してみせる。「お父様と叔父様が、ちょっと有名人なだけよ。それよりもなんかお腹がすいたわ。みんなで食堂に行きましょう。ディールが奢ってくれるはずよ」

「え? あ、その、僕……勝ったんですよね?」


 突然話を向けられて、ディールが驚いた顔をする。〝術試し〟の前に「奢れ」と言われたのはディールが負けた場合のはずだ。


「冗談よ。わたしが奢るわ。戦勝祝ね」

「うわ、やったー」

「おいレオティエ。俺たちは――」


 無邪気に喜ぶレオティエをビダジールが窘めようとする。


「遠慮しなくていいわ。あなたたちはディールの友達でしょ? ならわたしにとっても友達よ」


 「友達」という言葉にビダジールは顔をしかめた。だがそれを否定することしない。そんな彼に気づいて、レオティエはニカリを笑ってみせる。歩き出したメリッサの後ろを二人はついて行く。


「何してるの? キュアリス、ディール。行くわよ」


 立ち止まってメリッサが振り返る。


「ここでの生活は、賑やかになりそうじゃ。のうディール?」


 キュアリスはにまりと笑い、ディールを引き連れてメリッサたちの後を追った。

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